ガンダレッドの小説5 二月二十三日 朝
2/23 朝
あまり上手には眠れなかった。それはもちろん、昨夜の出来事があったお陰だ。それでなくとも、ミアンナには夜中の2時まで付き合ってもらったのだから、今辛いのは当たり前か。
ドンドンドンドン、と、起きて一分も経っていない頭の中に、脳を振動させる程の大きな音が鳴る。
「おい、起きろ! 起きろよ、大理石頭!」
扉の外で、けたたましく聞こえるのはドルフの声。朝から元気だなと、そう思わざるを得ない。しかし、そういえば……。
呑気に時計を見てみる。まだ時計は7時を回っていなかった。それでも尚、ドルフは声を張り上げて扉を叩いている。
「なんだよ、うるせえぞ。この時間に起きりゃ朝食には間に合うだろ」
僕が返事を返してやると、数人のため息が聞こえた。いや、どちらかというと安堵の息なのかもしれない。
「大事件だ。大事件なんだ大理石頭」
この時、僕のちょっとした作家本能の血が疼いていた。
「何があったんだ。そのまんま、なんの偽りもなく正確に言えよ」
少しの間、沈黙する。
思えば、この冷えた空気の瞬間から、僕は日常から切り離された架空の世界に連れ去られてしまったのだ。
「いいから、きてくれ」
さっきまで声を張っていたドルフだったが、急に声を低くしてしまった。その変わりように、冗談じゃないことの信ぴょう性が高まる。
「俺、まだ身支度も整ってないから。それが終わったらいく」
「ガンダレッド君、緊急なのだよ。そんな悠長なことしてられないんだ」
今度はラドンさんの声だ。この大会の主様まで出向く程の出来事があったのか。
二人からは決して、揶揄を感じさせる声を聞き取ることはできなかった。つまり、本当に何かがあったのだ。叩き起こされる程、重要な大事件が。
この時点で、好奇心は絶頂まで至っていた。
そして扉を開けると、廊下には参加者メンバーと、ラドンさんとオフィーリアが揃っていた。そこに、ミドルラード夫妻の姿はなかった。
「ジャックさん達、まだきてないのか」
僕のその問いかけには、誰も反応しなかった。
「いきましょう」
代わりに、ダンがラドンにそう呼びかけて全員が移動した。
僕は、黙って後からついていく他は何もできなかった。
終わったんだ。
僕は咄嗟にそう思った。留まることの知らない幸せの、笑顔の余韻。それが、一日で終わってしまった。
「返して、返して返してよお!! 私の幸せ、日常、全部全部、元に戻してええ!!」
僕の声に響いてくるのは、ノーラさんの絶叫。誰もが言葉を失う。僕はもう、直視できなかった。そして目を瞑ってしまっても尚聞こえてくる現実に、身の毛がよだつ。
ついにノーラさんは両手で顔を包み、その場にしゃがみこんでしまった。
「ノーラ。一回、表の空気を吸おう。その方があなたのためになる。いいね」
まるで夫のようにラドンさんはノーラの肩を叩いて励ました。
最初ノーラさんは抵抗していたが、次第に落ち着いてきたのかラドンさんの言葉に賛同したようで、赤く腫れた目のまま表に出ていった。それにはラドンさんもつきそった。
「何があったんだ」
目の前の、赤い鮮血の血だまりの中に沈んでいるジャックさんに向けて言った。しかし、答えてくれる訳もなかった。
「医者を呼べば、まだ助かるんじゃねえか」
「無理に決まってるでしょう! こんな、無理よ……」
アンもまた、泣き出してしまった。無理もない、アンはジャックさんにとてもよく可愛がられていたから。まるで叔父のような存在を無くしてしまったような気分だろう。それも、こんな無残な最後を遺して。
「尖った刃物で喉元からすぱっと上下にやられてるね。中の様子が見えるまで深く傷をつけた上に、何度も顔に切り傷がある。苦しそうな顔をして……。もう、助からないね」
冷淡とした口調でモーニンガードは告げた。まるで検死をするみたいにジャックさんに近寄って、その様子を鮮明に伝える。容易にジャックさんの様子が想像できて、腹の底からこみ上げてくる異物感を耐えるために、腹に両手をあてながらしゃがんだ。
「モーニンガード、よせよ。子供ならもっと後方で怯えてやがれ」
ドルフの言葉にモーニンガードは薄く笑った。なぜ、この状況の中笑うことができるのか、神経が理解できない。
「み、皆様。一度表に出ましょう。そして警察に連絡し次第帰宅を……」
オフィーリアは先導するようにそう言ったが、気づいたのか表情を固めたままぴしゃりと言葉を止めてしまった。
「ああ、帰れねえのさ……。警察が来るとしてもよくて三日後だ。最悪、今週は来ないかもしれない」
一人事情が飲み込めないらしく、アンは泣きながら帰りたい帰りたいと訴えていた。ドルフは兄らしく、そのアンの頭を暖かい手で撫でていった。
「俺たちはここまで、気風に沿って馬車できた。そして馬車を連れていたおっちゃんは最後こう言ってたよな。1週間後、また迎えにくるぜと。そうさ、1週間経たないと帰れねえのさ。この森の中に交通機関なんてある訳もねえから、電車も期待できねえよ……」
「それじゃあ歩いて帰ればいいでしょう! 死ぬより疲れた方がマシだわ!」
いつものアンからは想像できない口調で、僕に向かって怒鳴るように叫んだ。
「馬鹿野郎。それだと街につく前に迷子になるか、野獣に襲われて殺されるかで結局死んじまうかもしれねえんだぞ! アン、大丈夫だ。お前のことは俺が守ってやる。約束するから、な?」
ドルフがなだめた。いつもにまして熱血漢のドルフを見ると、勇ましく思える。純粋にかっこいいとさえ思った。アンはその言葉に安心したのか、兄の服に泣き顔を埋めてその体にしがみついた。
「とにかく、1回表に出ましょう。これからどう生きていくか、その会議をする必要があります」
ダンの提案に異議をなす者はいなかった。
そして歩き始めて、ふとミアンナの様子を見てみる。彼女は、不安そうに顔を曇らせていた。
「大丈夫だミアンナ。お前とは離れないし、心配すんな」
「うん、分かってる……。ガンダレッド、私は怖いだけだから、大丈夫」
ミアンナの肩をそっと抱いてやった。妹のために、姉だけは救ってやらねばならない。
外に出ると、背中を叩いて励ましているラドンさんの姿と、今だに涙の止まっていないノーラの姿があった。
「おや、君たちも花に慰められにきたのかね。うむ、いい案だね。花を見てごらん、立派に綺麗に咲いて、私たちの怯えた心を和ませてくれるからね」
ラドンさんは、虚無を見つめながら僕たちに向かってそういった。
そうして花を見てみる。綺麗に咲いた花の数々は、朝日に照らされて風と一緒に楽しげに歌って、笑っていた。その流れが屋敷のほうに行っていると思うと、穏やかな気持ちには決してなれなかった。無残な姿を残した屋敷に、楽しげなハーモニーが奏でられる。それは、とても残酷な光景ではないだろうか。
「ラドンさん。これから、一体どうすればいいんですか」
歌う花を黙らせるように僕は強い口調で言った。皮肉にも一層風は強くなり髪をなびかせた。
「犯人は獣だよ。人間じゃない。銃さえあれば、いつでも仕留められる。その銃はちゃんと屋敷にあるからね、大丈夫。人間の仕業じゃないよ、大丈夫だから、君たちは安心してくれ」
そんなことは重々承知していた。あんな残酷に殺せる奴は、人間な訳がない。
「私達も、殺されてしまうの?」
ミアンナが怯え切った表情でそう言った。
「冗談じゃない! 誰が愛しい君たちを死なせるものか。みんなで一緒にいよう。そうすればきっと、誰も死なずに済むからね」
そして一行はその場を離れ、別館の客間へと向かった。そして鍵を内側から閉め、窓も締め切って空気さえ出入りすることの
できない密室の中、8人はそれぞれ思い思いの行動を取っていた。