第七話『心の錯綜(さくそう)』
「ねぇ、ミアン。アタシ、思うんだけど」
「なにをにゃ? ミーにゃん」
「ミアンって、感情を表になかなか出さないような気がするの」
「そう……にゃろうか?」
「絶対そうよ。そこでアタシは考えたわん」
「…………」
「あれっ? ミアン、どうしたの? 急に黙りこくっちゃって」
「にゃあんか悪い予感がするのにゃけれども」
「そんなことないわん。全てはミアンの為と思って用意したものなのよ。アタシの愛がいっぱいつまっているわん。ミアン、是非、試してちょうだい」
「と言われてもにゃあ……。まぁ、そこまでいうにゃら一つやってみるかにゃ」
「そうこなくっちゃ。それでこそミアンよ」
「それでミーにゃん。試してほしいというのは、どこにあるのかにゃ?」
「ここよ、ここ」
「ここって、ウチが首に巻きつけて持ってきた風呂敷じゃにゃいか」
「あったぁりぃ! アタシがミアンに見せたいのは、ずばり、これよ!」
「これよ、って……。小さなまな板じゃにゃいか。うん? にゃにか細工がしてある。四隅に穴が空いていて、それぞれに紐をとおしているのにゃん」
「そのとおり。二本の紐が交差するような形でとおしてあるの。穴に通した紐の端には大きな結び目を造ってあるから、抜けてしまうことはないわん」
「いつの間にこんにゃものが。最初の予定よりも少し角ばっているにゃあ、とは思っていたのにゃけれども」
「まぁ、いいじゃない。それより、この二つの紐を首にかけてよ。……そうそう。その状態で、後ろ足だけで立ってみて」
「こうかにゃ? ……にゃんか、まな板がおなかのあたりにぶらさがっているのにゃん」
「うんうん。それでいいわん。お次はこれとこれよ!」
「包丁とたまねぎ? こんにゃものどこで?」
「ほら、通路の端にある台所よ。あそこで見つけたの」
「一回しか入っていにゃいのに随分とめざといにゃ。それでこれをどうする気にゃん?」
「こうするの! えい!」
「ふっふっにゃにゃにゃあああんと! 前足が勝手に!」
たんたんたんたんたん! たんたんたんたんたん!
「た、たまねぎが刻まれていくぅ……。ううっ。にゃ、にゃあんか目がおかしく……」
「……ふふふ。念動霊波でミアンの身体を操るのに成功したわん。しかも、効果てきめん。ミアンの目から涙が流れ始めたわん」
「うわんにゃ。うわんにゃ。どうしてにゃん。包丁を握っている前足が、ウチの目から流れている涙が、どちらもとまらないのにゃあ!」
たんたんたんたんたん! たんたんたんたんたん!
「うわんにゃ! うわんにゃ! うわんにゃ! うわんにゃ!」
「うわぁ! すごいわん。滝のように涙が流れ落ちているぅ!」
「うわぁんにゃ! ミーにゃん、ウチはどうなってしまったのにゃあああん!」
たんたんたんたんたん! たんたんたんたんたん!
すたすたすた! すたすたすた!
「へっ? ミ、ミアン、な、なんでこっちへくるのよぉ!」
ばたばたばた。ぺたっ。
「しまったぁ! 壁に張りついてしまったわん。身動きがとれない!」
「うわぁん! ミーにゃあん!」
「いけない、アタシまで目がおかしく……。しょうがない。やめちゃおう。ここまでやれば十分だわん。えい! えい! えい!」
たんたんたんたんたん! たんたんたんたんたん!
「ええっ! どうして? 念動霊波が効かない! これじゃあ、とめられないわん。
ミアン、お願いだからこっちへこないでぇ! むこうへ行ってぇ!」
「ミーにゃああん!」
たんたんたんたんたん! たんたんたんたんたん!
「うっ。うっ。ア、アタシも目から……目から涙がぁ!
……うえぇん! うえぇん! うえぇん! うえぇん!」
「うわぁんにゃ! うわぁんにゃ! うわぁんにゃ! うわぁんにゃ!」
「うえぇん! うえぇん! うえぇん! うえぇん!」
たんたんたんたんたん!
…………………………………………………………………………。
「はぁはぁはぁ。ウチは一生分の涙を流してしまったような気がするのにゃけれども」
「はぁはぁはぁ。ア、アタシなんか一生の五倍ぐらいは流した気がするわん」
「ミーにゃん。どうしてこんにゃ悪さを」
「悪さなんかじゃないわん。ただミアンに涙を流すことの素晴らしさを教えたくて」
「ミーにゃん。今更こんなことをいうのもなんにゃけど、感動で流れる涙と目をおかしくして流れる涙とは別物だと思うのにゃけれども」
「うん。アタシも泣いているうちに、そんな気がしてきたわん」
「ミーにゃん。こんにゃ、ぐったりとした状態でも本を読むのかにゃ?」
「あ、あたりまえよ。さぁ、勇気を振りしぼって第七話だわん」
第七話『心の錯綜』
アタシは今、挫折と安堵を味わいながら、再びミアンの背中で、ごろごろ、している。しばらくしてから、ミアンが話しかけてきた。
「にゃあ、ミーにゃん」「なに? ミアン」
「ミーにゃんは、どうしてバトルを始めたのにゃ」
どきっ。
「べ、別に。遊ぶのに理由なんてないわん」
「でも、ウチが『イオラの森』にいた頃には、一度もこんな遊びはしなかったじゃにゃいか」
「それは……」とアタシは言葉につまる。
(ええと、なんていったら……、そうだ!)
「あ、あたりまえよ。イオラがいるもん。いくらなんでもイオラの前ではできないわん」
そういうと、ミアンは口をつぐんでしまった。その目はアタシを見つめたまま、動こうとしない。アタシも自然と言葉が口から出せなくなってしまった。
(今のは思いつき、ってばれちゃったかな)
「ミーにゃん」
沈黙を破って、ミアンは話しかけてきた。とても静かな口調で。
「ウチのせいなんにゃろ? ミーにゃん」
(どうして、そんなことを)
アタシは思わずミアンの前に跳びおりた。
「なにいっているのよ、そんなわけ」「ミーにゃん」
ミアンがアタシの言葉をさえぎる。次につむぎでた言葉は、アタシの心をいいあてていた。
「ウチが森を出ていったからにゃろ? ごめんにゃ、ミーにゃん」
「ミアン……」
「判っていたのにゃ。バトルを始めた最初から。ミーにゃんの力を受けとめる度に伝わってきたのにゃ。ミーにゃんの思いが。心に秘めている喜びや嘆き。そして怒りが」
「……そうか。ミアンの命には、イオラの『命の欠片』があるんだもんね。判らないはずはなかったんだ」
そう。ミアンのいうとおり。アタシはさみしかった。ミアンは、アタシが生まれた時から、ずっとそばにいた。何百年という幼年期も、ともにすごしてくれた。ミアンを見て、その声を聞いて、アタシは生きてきた。そばにいるのが当然。そう思っていた。それなのに。
ミアンは森を、ううん、アタシの元を去っていった。ミアンは、『ご主人さまができたから』、といっていた。判らなかった。なんでそんな理由でいなくなっちゃうのか。それまでは朝起きても、夜眠る時でも、昼間でも、ミアンはそばにいた。たまに外へ出かけることはあったけど、その姿を目にしない日は一度もなかった。それなのに。
もちろん、森を去ったあとでも、ミアンは時折、顔を見せにやってきた。だから、逢えなかったわけじゃない。でも、すぐに帰っちゃう。アタシの心に不満が募っていった。不機嫌な顔をしていることが多かったかもしれない。つまらないことで森の生きものたちに八つあたりをしたことがあったかもしれない。アタシはだんだん自分の気持ちが判らなくなっていった。
そして……、イオラから森の外へ出る許可がおりて何日かしたあと、アタシは、とある病院の窓から、……見つけたの、ミアンを。ミアンと再会して喜びあったその中で、二つの感情が、アタシの中で渦巻いているのが判った。一つはミアンに逢えた喜び。もう一つは森から消えたことへの怒り。これらが錯綜していた。その思いが、アタシを『バトル』へと駆りたてた。それは自分のおさえきれない感情をぶつけられる唯一の手段。だから楽しかった。だからつづけたかった。それなのに、もし、それができなくなったら……、自分が自分でいられなくなっちゃうんじゃないか。そう思えてならなかったの。
「大丈夫にゃよ、ミーにゃんは」「えっ」
ミアンは座ると、ふわふわの白い毛が生えたおなかにアタシを乗せた。
「ウチはバトルをとおして、ずっとミーにゃんの心に触れていたのにゃ。確かに最初は、喜びとか怒りにゃんかが入りまじった、なんとも変てこな感情が体あたりをしてきていたのにゃ。でもにゃ、今は違うのにゃよ」
「違うって、どんな風に?」
「『自分の思いに耐えきれなくて心が壊れてしまうんじゃにゃいか』っていう漠然とした強迫観念。それだけが渦巻いていたのにゃ。バトルをすることで、その強迫観念をふりはらい、安心感を得ていた。その安心感を得ることを、楽しいことだとミーにゃんは錯覚していたのにゃ。
でもにゃ。もうそんな強迫観念にゃんていう幻影に惑わされなくてもいいのにゃよ。ミーにゃんはもう、自分が考えている以上に強い心を持っているのにゃん」
「……そう……なの?」
アタシは半信半疑ながらも、ミアンの顔に釘づけだった。
「ミーにゃんは森の外に出てから、いろいろなものを見たり、いろいろな生きものに触れあったりしたにゃろ? その一つ一つの体験がミーにゃんの心を強くしていったみたいにゃ。多分、イオラにゃんも、それを見こんで外へ行くことを許したのじゃないかにゃ。森の中で自分の心を持てあましたまま、いらいらしているよりも、その方がずっとミーにゃんのためになるって」
「本当に強くなっているのかな。自分ではよく判らないわん」
「ずううっと、ミーにゃんを見てきたウチがいうことにゃよ。間違いはないにゃ。ミーにゃんは、もう身体だけじゃなくて、心も幼年期を脱しているのにゃん。だから大丈夫。もうバトルをやらにゃくても、自分を見うしなうことは決してにゃい。ミーにゃんは、もっと自分を信じてもいいのにゃよ」
「ミアン……。そうか。だから、ミアンはバトルをやめようっていったのね。アタシを、アタシ自身が造りだした強迫観念から解きはなつために」
「えっ。……違うにゃよぉ。それは単にウチがバトルにあきたからにゃあん」
(ミアンったら、とぼけた顔でそっぽを向いているわん。ほおもほんのりと赤くしちゃって)
「ふふっ。ミアンがそういうなら、それでもいいわん。でもね、ミアン。これだけはいっておきたいの」
「なんにゃ? ミーにゃん」
「アタシはミアンが大好き。どんなに心や身体が成長しても、これだけは変わらないと思うわん。……って、あれっ? 上から、ぴたっ、となにかが落ちてきた」
「ミーにゃん、ごめんにゃ。嬉しくって、つい涙がぽろっ、と。
ありがとうにゃん。ウチもミーにゃんが大好きにゃよ」
「えっ。えへへ。ありがとう、ミアン」
アタシはミアンの温もりが伝わるおなかの上で、ちょっぴりと照れていた。
「ぐすっ。ミーにゃあん。にゃんか、いい話だとは思わないかにゃ?」
「ぐすっ。ミアンのいうとおりだわん」
「あのバトルの中に、こんな思いが秘められていたにゃんて」
「アタシにはミーナの気持ちがよく判るわん」
「ウチもミアンの気持ちが。ミーにゃん。ミーにゃんがウチに知ってほしかったのは、この涙のことなんにゃろ?」
「うん。アタシが間違っていた。さっきの涙とは別な涙だって、はっきりと判ったわん。
ミアン。念動霊波なんて使ってごめんね」
「いいのにゃよ、ミーにゃん。判ってくれたのにゃら」
がさごそ。がさごそ。
「うん? ミーにゃん。ドアのむこうから音が」
「またなにか置いたみたいね」
「行ってくるのにゃん」
ずぼっ。
ずぼっ。
「ミーにゃん。こんなもにょが!」
「すっごい! あわあわの飲みものに『蒸しどり』のお肉。それに、けーきもあるわん」
「どうしてこんにゃにごちそうが」
「いいじゃないの。くれるっていうなら有難くいただこうよ」
「それもそうにゃ。ずるっ」
「ミアン。よだれを流している場合じゃないわん。本を脇にかたづけて、かごの中にあるものを全部並べようよ」
「判ったにゃん」
せっせ。せっせ。
…………………………………………………………………………。
「ふぅ。これで準備は整ったのにゃん」
「見てよ、ミアン。こじゃれた『ぐらす』もあるわん」
「じゃあ、この飲みものを開けるとするかにゃ」
ぽん!
「ミ、ミーにゃん。見たかにゃ? ちょっと押しあげただけで」
「飲みものの栓が吹っとんだわん。しかも小粋な音を立てて豪快に」
「にゃんかわくわくしてきたのにゃん」
「アタシも、だわん」
「お次は『ぐらす』についでみるにゃよ」
どっどっどっどっ。
「これは……」
「『おさけ』ってやつ? ミアン」
「違うみたいにゃ。指につけてにゃめてみたところでは甘い香りと味がしたのにゃん」
「へぇ。お肉もけーきも美味しそうだし、いうことないわん」
「それじゃあ、ミーにゃん。いただき」
「待って、ミアン」
「どうしたのにゃ? ミーにゃん」
「ほら、かごの下にこんな紙切れが。なんか書いてあるわん」
「どれどれ。……ふむふむ。食べる前に、この言葉を言ってほしいみたいなのにゃん」
「儀式みたいなものかな?」
「そうかもしれにゃい」
「どうする? ミアン」
「こんなにごちそうを用意してくれたのにゃん。いわにゃいと悪いと思うにゃ」
「それじゃあ」
「うんにゃ。いおう、ミーにゃん」
「うん」
「『ぐらす』を持ったかにゃ? それじゃあ、いくにゃん。せーのぉ!」
「めりーくりすます!」
かちん!




