第三十三話『亜矢華の中へ』
ぱっかぁぁん! ぱっかぁぁん!
「ふぅ。なかなかいいお湯じゃにゃいか」
「ねっ。とても入りやすいでしょ?」
「まさか、部屋の一つに温泉へ通じる道があったにゃんて。そうと知っていれば、すぐにでも入ったのににゃあ」
「今まで閉まっていて入れなかったんだもの。しょうがないわん」
「急に開いたのにゃん?」
「ええと。ふと気がついたら開いていた、ってとこかな。いつ開いた、なんて正確なことは判らないわん」
「奇妙な話にゃ。奇妙といえば……」
「どうしたの? ミアン。考えこんだりして」
「この温泉の泉質にゃよ。ウチらの肌にあまりにもなじんでいるとは思わにゃいか?」
「どういうこと?」
「端的にいうとにゃ。イオラの森にある温泉場のお湯にそっくりにゃん。匂いといい肌触りといい」
「そういえばそうだわん。入りやすいはずね。でもどうして? 単なる偶然かな?」
「実はミーにゃん。前にいおうとして黙っていたことがあるのにゃよ」
「なになに?」
「読書の間に差し入れされた、数々の料理のことにゃ」
「ああ、あれね。それがどうしたの?」
「ミーにゃんはにゃにか気がついたことはなかったのにゃん?」
「気がついたことねぇ……。美味しかったってことぐらいかな。あと、どれも舌になじみのある味だったような気がしたことぐらいだわん」
「そこにゃあ!」
「えっ。どこどこ?」
「別にきょろきょろしなくてもいいのにゃん。ウチがいいたいのはあの料理の全てがネイルにゃんの造ったのと寸分変わらにゅ味だったってことにゃよ」
「あっ。なぁぁるほろ。それでどこかで食べたような感じがしたんだわん」
「にゃあ、おかしいにゃろ?」
「えっ。どこが?」
「どこが、って……。にゃから偶然、同じ泉質だったり、同じ味だったり、ってとこが、にゃん」
「ミアン。ここは天外魔境からやってきた空間なのよ。天外魔境は、自分が、こういうところに行きたい、って考えるだけでそこに行けちゃうっていう特典つきの分岐点。アタシたちが無意識に、自分たちが棲みやすい場所を、って願っていたかもしれないじゃない。だとすればよ。不思議でもなんでもないわん」
「いや。ウチには別な考えが重くのしかかっているのにゃ。そしてそれこそが、この空間が存在する最大の理由なんじゃにゃかろうかって思っているのにゃん」
「へぇ。それで? ミアンはどんな風に思っているの?」
「それは、にゃ。それは……」
ずるずる。ずるずる。どぼぉん!
「あらら。ミアンったら温泉につかりすぎだわん。のぼせて気を失っちゃ……」
ずるずる。ずるずる。どぼぉん!
ぱっかぁぁん! ぱっかぁぁん!
ずぼっ。ずぼっ。
「やっと読書の間に帰れたのにゃん。
ふぅ。危なかったにゃあ。もう少しでウチは『ゆでねこ』になるとこだったのにゃん」
「塩をふって食べたら案外美味しかったかもね」
「そうにゃん? でも、ウチ自身は食べられないのにゃ。残念至極にゃん」
「まぁ、アタシも『ゆで花』になるとこだったしね。ミアンが気がつかなかったら大変だったわん。ありがとう」
「別に礼をいわれるほどのことはしていないのにゃけれども」
「と落ちついたところで」
「第三十三話へ突入にゃん!」
「そ、そんなぁ。……ううっ。また先にいわれてしまったわん」
第三十三話『亜矢華の中へ』
アタシは『ラミアさんもミレイに乗って飛んでいるはず』と思っていた。だけど、いくら周りを見まわしても、ラミアさんはおろか、アーガの影すら見あたらない。『どこに行ったのかな』と思っている間に、霊山『亜矢華』の真上まで飛んできてしまった。
「全然いないわん。一体どこに?」
あたしはそこら一帯をぐるぐると旋回した。まるで迷い子を探しているみたいに。しばらくすると、『アーガの森』の方からミレイが姿を現わした。
「やっと来たわん」
背中に乗っているのは、もちろん、ラミアさん。彼女のそばには、ロープが束になって積み重ねられていた。見れば、ところどころに結び目がある。
「そうか。このロープを造っていたんだ。穴の中へ入るのに使うつもりなのね」
ラミアさんはミレイに声をかける。
「ミレイ。この場所に浮かんだまま待機できるか?」
「くぉーっ(周りに浮かんでいる霊力を集め、それで身体を支えれば可能かと)」
「じゃあ、それで頼む」「くぉーっ(判りました)」
ミレイの身体が紅く輝く。左右に少しずつ身体をゆらした。
「くぉーっ(大丈夫のようでございます。ラミアさん、行ってらっしゃいませ)」
「判った」
ラミアさんは意を決したみたい。既にミレイの身体にはロープが巻きつけられてある。別に束ねられていた分を袋の中にしまうと、それを背負った。
「これでよし、と。じゃあ、行くか」
彼女はロープを両手に握ると、『えい!』とばかりに、ミレイの身体から飛びおりた。
ひゅぅっ、…………ばたっ。
霊力を使わないため、なんの障害もなく、ラミアさんは『亜矢華』の頂上に足をおろすことができた。実はこの時、アタシも霊山による霊圧を少なからず受けている。だけど、アタシ自身の、個体の小ささと霊力の弱さが幸いしたのか、飛行にはほとんど支障がなかった。今は、霊山が発する霊波の内側に入っているので、霊圧による影響は一切なくなっている。普通に空を飛ぶような感覚で動くことができる。
木々で覆われた頂上のど真ん中。そこにはぽっかりと穴が空いていた。
「この木なら大丈夫だな」
ラミアさんは背負っていた袋を地面に置いた。ミレイとつながっていたロープをはずすと、袋にしまっていたロープのはし、二つを取りだす。片方の先端は選んだ大木へ巻きつけ、しっかりと結んだ。それが終わると、もう一方の先端には小さな輪を造った。輪の中にロープをとおして大きな輪にすると、その中に身体をくぐらせる。どうやら、小さな輪の先から出ているロープを引っぱればしまり、ゆるめれば身体が抜けやすくなっている仕かけのようだ。
「中に入れるのかな」
ラミアさんは再び袋を背負った。岩から伸びているロープを両手に軽く握りしめ、それっ、とばかりに穴の中へ飛びおりる。ひゅるひゅるっ、と背負った袋からロープが送りだされた。
やわらかい土の層は表面部分だけ。すぐに厚い岩盤の層が現われる。岩壁と岩壁の狭いすきまの中を、ラミアさんはゆっくりと降下していく。
「下の方が広くなっているみたいだ。だけど、どうしてなんだろう? 妙に明るい。これなら霊火の灯りを用意しなくても、探すのに不便はなさそうだ」。
ラミアさんは更におりようとしたものの、思い直したようにその動きをとめた。
「そうだ。この中でも霊覚交信が使えるかどうか試してみよう。……ミレイ。聞こえるか?」
「くぉーっ(はい、聞こえております)」
「ふぅ」とラミアさんはため息をつく。
「ミレイ。念のためだ。ミアンをここへよこすようにネイルに頼んでくれないか」
「くぉーっ(判りました。では早速)」
「うん。頼む」
霊覚交信が終わったみたい。ミレイが病院の方へと飛んでいったのだろう。思いがけない事態にアタシはとまどう。
「どうしよう……。ミアンのところには行きたいし、かといって、ラミアさんをこのままにしておくのは……。ええい、しょうがない!」
アタシは苦渋の決断をする。居残ることにした。
ラミアさんは一人つぶやく。
「これでよし、と。……どれ。もっとおりてみるとするか」
手をゆるめたとたん、彼女の身体は、するするっ、と奥へおりていく。もちろん、アタシもつづいてあとを追う。
(ふふん。ラミアさん、きっと驚くな)
「本当に狭……、あれっ!」
穴の幅が急に拡がり始めた。視界がどんどん開けていく。彼女は眼下に映る光景に目を見張っているみたい。
「これは……。そうか。本当に狭いのは入口だけなんだ。中は空洞になっている。それにしても、この光は一体」
空洞の中を銀色に光るものが飛びかっている。ラミアさんの周りにも近よってきた。
「銀光虫だ。そうか、この明るさは銀光虫たちが造りだしているんだ」
そう。ラミアさんのいうとおり。狭い穴をとおりぬけた先には、神秘の世界が拡がっている。ここは岩壁に囲まれた沈黙の空間。穴のすきまからわずかにさしこむ陽の光と、たくさんの銀光虫たちが放つやわらかな光。それらがあいまって、荘厳なる姿を幻想的に浮かびあがらせている。紅い岩壁がきらきらと輝き、鮮やかな夕焼け色から深い闇の色へと、明るさや地層に応じて色彩を変化させている。ラミアさんは視界に映る、この世のものとも思われぬ不思議な光景に、ただただ息をのんで見つめていた。
「すごい岩壁だ。自然が造った象形。まさに絶景と呼ぶべきものじゃないかな。地上では絶対に味わうことのできない神秘がここにはある」
(確かに。こんな光景は地上では見られないわん)
ラミアさんの顔が底の方へと向けられた。彼女の目には得体のしれない闇だけが映っているはず。でも、アタシは知っている。闇の奥には青白く輝く霊火の炎が踊っていることを。『選ばれし者』以外、あらゆるものを焼きつくし、霊力へと還元してしまう力がそこにあることを。
(ごめんね。ラミアさん。本当なら、アタシが花を採ってくればそれですむはずなのに)
……とはいってもそれはできない。アタシは花の妖精。たとえイオラの花以外でも、花を採ることは、掟を破る行為だからだ。掟とは簡単にいえば、やらなければならないこと、やってはならないことだ。その内容は霊体によって異なる。掟は、霊体として生まれた時、その意識の中に刻まれる。精霊や妖精のみならず、どんな霊体であっても、だ。もちろん、アタシやミアンも例外じゃない。自分に課せられた掟を破れば、たちまち霊体としての資格と存在理由を失い、この世からあとかたもなく消えてしまうことになる。
(どこまでも自由気ままってわけにはいかないのよね。本当、つらいわん)
「ついにラミアさんが亜矢華の中に入ったわん」
「なにも起きないといいのにゃけれども」
「そりゃそうだけどね。でもさ、ミアン」
「なんにゃ? ミーにゃん」
「なにも起きなければ本にする必要なんてないんじゃない?」
「ミーにゃん……。あんたってまぁ、ずいぶんと根本的な話にまで言及するのにゃん」
「うふふふもじ。うはははもじ。うわはっはっはっもじ」
「だ、誰なのにゃん! 変にゃ笑い声をあげているのは!」
「は、早く出てきなさい! そんなことでアタシたちを怖がらそうったってそうはいかないわん!」
「と口ではいいながら、にゃんでミーにゃんはウチの後ろに隠れてびくびくしているのにゃん?」
「……こ、こ、こういう喋り方がね。最近の流行なのよ!」
「そうだったのにゃん。最近はウチも流行にとりのこされていっているみたいにゃ。よぉし。それが最近の流行というのにゃら」
くるっ。ささっ。
「ちょ、ちょっとミアン。なんでアタシを前に押しだすのよ。なにかあったらどうする気なの?」
「にゃから、これが最近の流行」
「こんな流行なんかあるもんかぁ!」
「ミーにゃんがいったのにゃよ。でたらめでもにゃんでもかまわないのにゃ。ミーにゃんが責任をもって償えばいいのにゃん」
「そんなぁ。ねぇ、ミアン。考えなおして」
「お前らもじ。やかましいもじ!」
ざざざざぁぁん!
「うわっ。またまた本の中から登場だわん、って……?」
「ミーにゃん。つかぬことをお聞きしたいのにゃけれども。あれってなんなのにゃん?」
「ミアン。それはアタシが聞きたいわん。なんなのよ、あれ……」




