第二十一話『瘴気を吐く精霊』
「よしこ、はねっ。実は『吸血鬼』っていう妖魔に造られた人形なのよねっ」
「にゃんであんたを?」
「吸血鬼ってねっ。強いのよねっ。でも弱いのよねっ」
「うん? どういう意味なのにゃん?」
「アタシには判る気がするわん」
「ミーにゃん。なにか知っているのかにゃ?」
「これもマリアさんから聴いたんだけどね。吸血鬼って強い割には弱点が多いの。十字架とか霊水とか陽の光とか」
「へぇ。にゃんでマリアさんがそんなことを」
「そういう怖い話が好きなんだって」
「にゃあるほど。
……でもにゃ、よしこにゃん。そのこととあんたと、どんな関係があるのにゃん?」
「本当は自分の弱点を克服したかったみたいなのねっ。でも、なかなかできなかったのよねっ。そこで考えたのが、よしこ、なのねっ。よしこに血を吸わせて、自分はよしこから血を貰うことにしたってわけねっ。これなら労せずに、危険を冒さずに、血が手に入ると思ったのねっ」
「吸血鬼って昔から変わらないっていう話だったけど、やっぱり考えることは考えているのね」
「よしこ、は単に血を吸うだけじゃないのねっ。吸血鬼にあった弱点をほとんど克服しているのねっ。だから最強の吸血鬼っていわれても過言じゃないのねっ。えへん!」
「ウチらに威張ったって……。それで? その最強がどうしてこんにゃところに流れついたのにゃん?」
「それは……、そんなことはどうでもいいのよねっ。今、大事なのはねっ」
「にゃ、にゃに? 両目が急に赤く輝き始めたのにゃけれども。まるで怒っているみたいにゃん」
「まるで、じゃなくて実際、怒っているのよねっ。よしこ、がここに来たのはねっ」
びしっ!
「目の前にいる悪者を退治することなのよねっ」
「悪者? ええと、……ミーにゃんが?」
「ミアン。どうして自分が指差されているのに、アタシだと思うのよ」
「だってミーにゃんはウチの頭の上に座っているにゃろう? ウチでないとすればミーにゃんしかいないじゃにゃいか」
「あっ、そうか。でもアタシ、なんか悪いことをしたのかなぁ?」
「よく考えてみるのにゃよ。自分では、よかれと思ってやったことや、悪気が全然にゃくてやったことでも、相手にとっては悪意のなにものでもにゃい、ということはよくあることなのにゃ」
「ふぅん。自分がこう考えるからって、相手も同じように考えてくれるとはかぎらないってわけね。なかなか奥が深いなぁ。あっ。でもそれなら」
「どうしたのにゃん?」
「ミアンにもそのまま同じことがいえるんじゃないの?」
「にゃるほど、自分では気がつかにゃいうちに……。
うん? おかしいにゃ。ウチはよしこにゃんとは初めて会うのにゃん。それにゃのに、どうして怒られにゃければならないのにゃ?」
「それはアタシも……。(いや、待てよ。ひょっとして……、いや、違うかも……)」
「ミーにゃん。ウチの頭の上で身体を揺さぶるのはやめてくれないかにゃ。にゃんか、むずむず、してきたのにゃん」
「あっ、ごめん。ちょっと考えごとをしていたの」
「考えごとなら、ウチの頭から降りてやって欲しいものにゃん」
「こらぁぁねっ! さっきから、よしこ、を無視してなにを、ぐだぐだ、と喋っているのねっ。もう、絶対許さないんだからねっ! 覚悟をしなさいねっ!」
つかつかつか。
「こっちへむかって来たにゃ。一体にゃにを」
「まずは実行犯からお仕置きねっ!」
かぷっ!
「ふにゃあ、首筋を咬まれたにゃあああ!」
ちゅるちゅるちゅるちゅる……。
「ぐ、ぐわっ!」
ばたん!
「あれっ。よしこ、が倒れちゃったわん」
ぐっぐっぐっ。
「こ、この赤い血は……血じゃないわねっ!」
「よしこにゃん。それは『血化霊液』にゃよ。ウチは化け猫。霊体にゃん。この身体は実体波で造られている。生き物が身体を保つ為に血を循環させているように、ウチもこの霊液で実体波を維持しているのにゃん」
「で、でもねっ。ただの霊液ならこんなに苦しくは……」
「ウチとミーにゃんの身体には優れた浄化作用を持つ霊液が流れているのにゃん。よしこにゃんが苦しいのは、多分、ウチらの霊液がよしこにゃんの糧になることを嫌がっているからだと思うのにゃん」
「このままじゃあ……、ぜ、全部吐き出さないとぉ……ねっ!」
おえぇっ。おえぇっ。……。
「うわあっ、真っ赤っか。ねぇ、ミアン。アタシの霊液も赤いの?」
「ウチは生前の身体を元に造られているから赤いのにゃん。ミーにゃんは違うのじゃないかにゃ」
「まぁ、あまり見たいなんて思わないけどね。それにしても、まだ吐いているわん」
「でも、この分だとお亡くなりににゃらずに済みそうにゃん」
「ほっとしているの? ミアン」
「ウチの霊液を飲んでどうにかにゃってしまったら目覚めが悪いものにゃ」
「それもそうね。じゃあ、ミアン。このあたりで第二十一話を読みにいかない?」
「読み終わるまでには全部吐いていると思うから、ちょうどいいのかもにゃ」
第二十一話『瘴気を吐く精霊』
湖底を進むアタシたちの視界に、黒っぽい煙のようなものが現われる。
「先生。あれは」
ネイルさんが尋ねた。
「瘴気。毒性がある霧状の煙だ。湖全体に拡がろうとしている」
「大変じゃないですか。この湖が死湖になってしまいますよ」
「いや、この湖だけではない。村の五つの湖は、地上で見れば、それぞれ異なる形態で造られているように見えるが、実際は湖底深くにある水路でつながっている。つまり、一つが汚染されれば、全部に波及しかねないのだ」
アタシたちはとりあえず瘴気が届かない場所に足をおろした。
「ですが、先生。何故、瘴気がこんな場所で発生しているんですか?」
「それは、レイナスに聴いた方が早い」
セレンさんの言葉に、レイナスさんは、『判りました』と話を始める。
「では、ワタクシの方から説明させて頂きます。これからお話しするのは佐那の記憶にあったものなので、真実と受けとめてくださって結構です。
この黒い瘴気が発生している湖底には大きな亀裂ができていて、その中には古代の原木が眠っています。みなさんも聞いたことがあるとは思いますが、この村には昔、『死の灰』と呼ばれる噴煙が、地上から湧きあがってきたことがあります。当時、村には森の精霊が棲んでおり、彼女たちは命がけで噴煙の脅威から村を守ろうとしました。そのかいあって、噴煙の大半が食いとめられたものの、村に降りそそがれてしまったものもまた、あったのです。
あそこにある原木は当時、この湖のほとりに生えている木々の一本でした。この一帯は毒性の強い噴煙に見舞われ、多くの木々がなぎ倒されました。ほとんどの木は地面に横たわっていましたが、あの原木だけは湖の奥深くへと沈められたのです。噴煙が発生していた折、この村には地震も起きていました。湖底までたどりついたこの原木は、そのゆれのせいで転がりつづけ、あの場所へと墜ちてしまったのです」
「そうだったんですか……。僕も『死の灰』については聞いたことがあります。つまり、こういうことですか? 古代の原木なら、精霊が宿っているはず。原木が噴煙の毒に冒されたため、その精霊自体も異常をきたし、瘴気を発生するようになってしまったと」
「ネイルさん。おっしゃるとおりです。木の精霊は、たとえ宿り木が根こそぎ倒されたとしてもそれが全て朽ちるまでは、霊力こそ弱まりますが消滅はしませんから。原木の精霊があの瘴気を起こし、湖を死滅させようとしているのです」
「だけど、レイナスさん。原木が毒に冒されたのは、はるか昔の話ですよ。何故、今頃瘴気が? それに、地上へと降りそそいだ噴煙の毒は、雨神フーレが降らす雨の浄化作用によって、大気、地上、地中、そして湖と、ほとんどの場所から取りのぞかれた、と聞いています。あの場所へ落ちたとしても、既に浄化されていなければならないはずですが」
「ネイルさん。先ほどもお話したと思いますが、当時、地震も発生していました。ゆれのせいで毒に冒された原木が亀裂に墜ちたあと、その亀裂自体がふさがってしまったのです」
「亀裂が、ですか?」「はい、そうです」
「つまり、原木は浄化されないまま亀裂の中で閉じこめられていた、ということですね」
「はい、浄化はされておりません。それは今見てもはっきりと判ります」
「なるほど。それにしても今、あの亀裂は開いていますよ。一体どうして……。
あっ。そういえば先日、大地震が起きましたよね。ひょっとしたら、それが原因で」
「そのとおりです、ネイルさん。あの地震のせいで、ふさがったはずの亀裂がまた開いてしまったのです」
「おそらく」とセレンさんが話に加わる。
「原木の精霊は、亀裂がふさがっている何百年もの間、ずっと眠りについていたに違いない。それが、亀裂が開くことで新しい湖の水に触れ、覚醒した」
「セレンさん。ワタクシも同意見です。それ以外には考えられません」
「だが、長い時の流れは精霊自身の意識をもむしばんでいたはず。湖の水は、フーレが雨として降らせた浄化力のある霊水だ。精霊が自分への攻撃と考えたとしても無理からぬこと。当然、身を守る手段に打ってでる。瘴気をまき散らし始めたのは、そのせいだと思う」
「あの瘴気をこのままにしておいては、全ての湖が死滅してしまいます。ですがワタクシの浄化では、あの瘴気をおさえることができません。そこでセレンさんにご助力をあおいだのです」
(そうか。レイナスさんはネイルさんだけじゃなくて、セレンさんとも顔見知りなのね)
「先生を湖の中へと引きずりこんだのは、そんな理由があったからですね」といった後、ネイルさんは心配げな面持ちで、セレンさんの方へ目を向けた。
「それで先生は一体どうなさるおつもりなんです? うかつに近づくと、こっちの身も危ないですよ」
「実は先ほどから、呪術を使って浄化を試みてはいる。だが、思うようにはいかない。精霊が抵抗して、やたらと強い瘴気を吐きだしてしまう。だから、今は近づくこともままならない状態になっている」
「お手あげ、みたいな感じですね。なんとかならないんですか?」
「こうなれば手段は一つだ。我が霊体となって原木の中へと入り、本体を浄化する。これ以外にはない」
「先生。そんなことをして大丈夫なんですか? 曲がりなりにも、古代の原木に宿る精霊ですよ。かなりの霊力を持っているはずです」
「だが、毒に冒されているのも事実だ。霊力はかなりおとろえている、と見て間違いない」
「そうですか。それならあるいは……。あれっ? でもおかしいですね」
「なにが、だ」
「霊力がおとろえているのであれば、湖の精霊であるレイナスさんの力をもってすれば、浄化は造作もないことだと思うんですが」
「それがそうでもないのですよ」とセレンさんに代わってレイナスさんの口から、ため息交じりの言葉がもれる。
「ワタクシは今、普段行なっている湖の環境維持に加え、ここの瘴気が他の湖へ拡がるのを防ぐことにも、あるいはみなさんの身体を守ることにも、自分の霊力を費やさなければなりません。となれば、使える霊力はごく自然とかぎられたものになってしまいます。浄化するのに十分な力がふるえないとしても不思議ではないのです」
「我も単に力不足が原因と思う。……いや、そう思いたい」
「思いたい? 先生。それはどういう意味ですか?」
「もっとやっかいな事態になっている可能性も捨てきれない」
「というと?」
「『死の灰』に含まれていたのは毒性のある物質だけではない。ウォーレスで死んだ者の恨みや憎しみ、怒りや嘆きなどの負の念も、だ。これらがまとまって一つの強い怨念と化している恐れが多分にある。知っているとは思うが、天空の村は霊力に満ちている。これらの霊力は、強い意志にひかれ、そこに集まるという特性を持っている。その意志の善し悪しは一切関係ない。意志なき力は絶えず、意志ある力、つまり、霊体になることを望んでいる。そんなところへこの怨念が飛びこんできたらどうなる」
「……『邪霊』……が生まれる。そういいたいんですね。先生はそれを危惧している」
「そのとおりだ。そうであって欲しくないが、もしも、そうなら、……原木の精霊はむしばまれているだけではなく、邪霊にとりつかれ、意のままに操られている恐れがある」
「浄化だけじゃすみませんね」
「そうだ。除霊も同時に行わねばならない。この場合、果たして我をもってしてもできるかどうか、はなはだ疑問だ。そこで君を呼んだのだ」
セレンさんの言葉にネイルさんは思いっきり、『?(はてな)』の表情を浮かばせている。
「先生……。そんな状況下で、僕にもなにか手伝えることがあるんでしょうか?」
「我らは霊覚による交信が可能だ。もし、我の力が及ばず浄化がかなわない時には、君に力ぞえを頼もうと思っている。外側から支援してほしい」
「なるほど。そういうことですか」
ネイルさんは師の意をくんだらしい。
「先生は原木の内側から除霊と浄化の呪を。僕は外側から浄化の呪をかけるというわけですね。判りました。それならできるかもしれません。やりましょう」
「では頼んだぞ」
セレンさんは目の前で両手をからませ、両方の親指と人さし指のひらをそれぞれ重ねあわせて、三角形を形造る。目をつむり、呪の黙唱を始めた。
「……」「あっ、先生!」
セレンさんの身体から霊体が抜けだす。
「レイナス。我の身体を預かってくれ」「判りました」
霊体のセレンさんは原木へと向かって泳いでいった。霊体の抜けた彼女の身体が、がくっ、とくずれおちる。ネイルさんはその身体を抱きしめると、湖の底に拡がる地面へ静かに寝かせた。
「レイナスさん。先生の身体をこのままここに置いて大丈夫でしょうか?」
「この湖に入って以来、あなた方全員の身体は実体、霊体を問わず、水霊波によって守られています。心配なさる必要はありません」
「それを聞いてほっとしました。では、僕もあの亀裂の方へ行くとしましょう」
「行くのでしたら、あなたも霊体になってください。実体は瘴気の影響を受けやすいので、ワタクシの力をもってしても、いつまで耐えられるか保証できないのです」
「判りました」
セレンさんのかたわらに寝たネイルさんは、彼女と同じ方法で霊体となり、身体から抜けだした。
「レイナスさん、ミアンさん、それから、……ミーナさんでしたよね。じゃあ、行ってきます」
ネイルさんはセレンさんのあとを追うように、瘴気をまき散らす亀裂へと向かった。
「ねぇ、ミアン。アタシのことはミアンが話したんでしょ? でも、どうしてネイルさんは今、アタシがここにいることに気がついたの?」
「ミーにゃんにはいわなかったのにゃけれども、実は、ネイルにゃんは以前からミーにゃんのことに気がついていたのにゃ」
「えっ、そうなの?」
「うん。にゃけど、ミーにゃんの姿が見えたり声が聞こえたりするのは、霊力を集中させている時だけらしいのにゃ。普段は見えたり見えなかったりで不安定なんにゃと。対応が難しいから、黙っていたらしいのにゃ」
「そうだったんだ……。ねぇ、ミアン。どうしたら普段でもちゃんと見えるようになるのかな」
「多分、ネイルにゃんが今よりももっと、自分が潜在的に持っている力を引きだせるようになってからじゃないかにゃ。それまではお預けにゃよ」
「早くそうなるといいわん。仲間が多い方が嬉しいもの。……それにしても、大丈夫かなぁ」
アタシはセレンさんとネイルさんが心配でしょうがない。
「おや。どうやら吐き終わったみたいにゃよ」
「うん。あっ。またこっちを振りむいた」
「ふぅ。……なんとか苦しみが消えたわねっ」
よろよろ。よろよろ。
「大丈夫かにゃ? ねねねのよしこにゃん」
「少し座って休んだら?」
「『ねねね』って……、誰が『ねねねのよしこ』、なのよねっ」
「だってにゃ。『ねっねっねっのよしこ』じゃあ、いいにくいにゃん」
「そうよね。ミアンのいうとおりだわん」
「確かにいいにくい……、おっとと。危うく惑わされるところだったわねっ。
よしこ、の名はねっ。『ちがよしこ』なのねっ。『ちがよしこ』っていうのねっ」
「ねねねのよしこ、の方が可愛いのにゃけれども」
「この際、思いきって改名したら?」
ごごっ! ごごっ! ごごっ!
「な、なんにゃ! ねねねのよしこにゃんの後ろにめらめらと炎が!」
「ミ、ミアン、あれは怒りの炎だわん!」
「ひどい仕打ちをされた上、名前まで愚弄されるなんてねっ。
……もう絶対許さないんだからねっ」
ぶわわああっ!
「にゃ、にゃんと! よしこにゃんの金髪が部屋中に拡がっていくにゃん!」
「うわぁ! ミアン、見てよ。髪の一部がアタシの方に来たぁ!」
「ウチの方にもにゃあ!」
ぐるぐるぐる。ぐるぐるぐる。
「巻きつかれちゃったわん!」
「と思ったら、天井の方へ持ちあげられていくのにゃあ!」
ぐぃぃん! ゆらゆらゆら。
ぐぃぃん! ゆらゆらゆら。
「ふぅ。天井ぎりぎりでとまったわん。よしこ、早くこの髪の毛をほどいてよぉ」
「よしこにゃん。ウチらをどうする気にゃん」
「ふふふ。その身体が壊れるまで、床にたたきつけるのねっ。覚悟をしなさいねっ」
ぐぃぃん! ぐぃぃん!
「す、すごい勢いで下がっていくにゃん!」
「このままじゃあ、危ないわん!」




