第十八話『釣り場』
「みーにゃん。だからおんもに出てはいけないのにゃよぉ」
「やだわん。やだわん。いくもん。いくもん」
「ウチとおとなしく留守番しようにゃあ、みーにゃん」
「ミアァン、お願い。おんもにいかせてぇ。……ぐすっ」
「困ったにゃあ、みーにゃんが泣きべそをかきだした」
「うっうっ。……うえーん! うえーん! ……ミアンの意地わるぅ!」
「うわぁ。本当に泣きだしてしまったのにゃん」
じたばたじたばた。じたばたじたばた。
「みーにゃん、お願いにゃよ。泣くのをやめてくれにゃあ」
「うえーん! うえーん!
……ぐずっ。ミアンなんか……ミアンなんかぁ、……大っ嫌いだぁ! うえーん!」
「ああ、ウチは……ウチはどうしたらよいのにゃろうか?」
じたばたじたばた。じたばたじたばた。
「ええい。こうにゃれば切り札を出すまでにゃあ!」
びゅぅん! まきまきまきっ!
「よし、尻尾でみーにゃんの身体を巻きつけたのにゃ」
びゅぅん! ぽとっ!
「背中に乗せて、と。いくにゃよぉ、みーにゃん」
ぶるぶるぶる。
「うえーん! うえ……、うわっ!」
でん! ごろごろごろ!
「ほぉら。ミーにゃんの好きな『背中でごろごろ』が始まったのにゃよぉ」
ごろごろごろ。ごろごろごろ。
「ぐすっ。ぐすっ。……うわぁ、ごろごろ、ごろごろ」
ごろごろごろ。ごろごろごろ。
「わぁい! わぁい! ごろごろごろごろ」
「ふぅ。やっと、笑い顔になってきたのにゃ。あとはミーにゃんが落ちないようにすればいいだけにゃん」
「とまぁ、ミーにゃんが泣くたびに、そんにゃ感じであやしていたわけにゃよ」
「幼心にもよっぽど楽しかったのね。だから今も」
ごろごろごろ。ごろごろごろ。
「あっ、ミアン。落ちそうだわん。ちょっとお尻上げて」
「ふぅ。自分でとめにゃさい」
「えっ! ああっ!」
ばたん!
「……また同じような夢を見てしまったわん」
とんとん。とんとん。
「はいはい。ミアン、なんか用……」
くるっ。
「きゃあ……」
「ミーにゃん。いつまで続けるつもりにゃん」
「うぅぅん。ここまでにしておくわん。最初に見たほどの驚きはもうないしね。でも、見れば見るほどすごい顔だわん」
「いつまでもこのままではいられにゃい。元に戻すにゃん」
「あっ。ミアンの顔が回り始めた!」
くるくるくる…………くっくっくっ!
「うわぁ! 高速回転している! 顔が焦げ茶色の円になった!」
くっくっくっ……くるくるくる……くるっ!
「回転がとまって……、ミアンの顔が元に戻ったぁ! やったぁ!」
ひしっ!
「ミーにゃん。喜んで抱きついている場合じゃないのにゃよ。どうして……どうしてこんにゃことをやったのにゃん!」
「へっ? ……あのね、ミアン。アタシがやったわけじゃないわん」
「じゃあ、誰がやったのにゃん? この部屋にはウチとミーにゃんしかいないのにゃよ」
「だからアタシじゃないわん。きっとミアンが寝ぼけて自分で」
「ミーにゃん。幾らにゃんでもここまではやらないと思うのにゃよ。仮にやったとしても、にゃ。もっと手前で目が覚める筈にゃん」
「それもそう……。と、とにかくアタシじゃないわん。誰か他に……。あっ、あれよ。きっとあれがやったのよ!」
「あれって……。うん? おかしいのにゃん?」
すたすたすた。
「ウチの風呂敷に仕舞った筈の紐つきのまな板が……放りだされているのにゃ。それに、風呂敷でにゃにかを覆っているみたいにゃ。一体にゃにを?」
ばさっ。
「にゃんと! これは!」
「人形……みたいね。金髪で、ひらひらがついた服を着て……。
(はて。この人形、どこかで見たような)」
「でもにゃ、ミーにゃん。どうしてこんなところに人形があるのかは判らないのにゃけれども、これがウチをぼこぼこにしたっていうのは……」
「あっ! 見てよ、ミアン」
「うん?
(なんにゃろ? ミーにゃんったら、横目で人形を睨みながら目配せしているのにゃけれども。にゃにか変わったこと……)
あっ!」
「ミアン。ちょっと話があるの」
「ウ、ウチもにゃん」
「ミアン。今、あの人形」
「全部をいう必要はないのにゃよ。やっぱり、ミーにゃんも見たのにゃ」
「うん。すぐに動くのをやめたけどね。多分、アタシが気がついた、もしくは、アタシに気づかれそうになった、と思ったからに違いないわん」
「一体なんなのにゃろう?」
「そこまでは判らないわん。でも、あのままでいると、なにかよからぬことをしでかしそうだわん。ここは一つ」
「どうする気にゃん?」
「当たって砕けろ、よ。直談判だわん」
「ウチも賛成にゃ。行くにゃん!」
「一体あんたは誰にゃん!」
「……」
「人形の振りをしてもだめにゃん。さっき、ウチとミーにゃんは、あんたの目が動いているのを見たのにゃ!」
「……くっくっくっ。そうなのねっ。ばれちゃったのねっ。ならしょうがないわねっ」
すくっ。
「ミ、ミーにゃん。人形が……、声を出したと思ったら、立ちあがったのにゃん!」
「こんにちわねっ。それじゃあ自己紹介するわねっ」
すっ。
「差しだしたこれは……名刺みたいにゃん。まぁ、にゃんとも用意がいいことにゃ」
「ミアン。なんて書いてあるの?」
「ええと……」
『吸血人形 血香好子』
「『ちがすきこ』? じゃないかにゃ?」
「よしこ、なのねっ。『ちがよしこ』。それが名前なのよねっ」
「よしこにゃんか。それにしても吸血人形って一体」
「それはねっ」
「ということで、その謎が解きあかされる前に、第十八話へ突入だわん」
「謎ってほどでもないと思うのにゃけれども。自分で話すみたいにゃし」
第十八話『釣り場』
アタシは生いしげる木々の中を、のらりくらりとすりぬける。突然、視界がぱぁっと開く。目の前には草原が拡がり、その向こうに湖がある。
(あっ、いたいた)
二人を見つけたその時、雨が降ってきた。
「おや、雨だな」「先生。見てください、上空を。あんなにフーレが飛んでいます」
セレンさんたちが見あげた空には、たくさんの蒼い翼竜が翼を拡げている。
「確かに雨神が普段よりも多い。最近、日照りが強いからだろう。湿り気を多くしたいのではないかな」
「霧雨です。うっかりしていると、あっという間にびしょぬれになってしまいますよ」
「うむ。あの木陰でひと休みしよう」
傘を持っていないらしく、二人は釣竿を片手に草原の向こう側、大きな木の下へと駆けこむ。
「ふぅ。ここならぬれずにすみそうですよ、先生」
「そのようだな。……ふぅ。だいぶぬれてしまった。決して好ましいことではないが、やめろというわけにもいかない。村にとって水不足は深刻な問題だからだ。我らは霊水の雨を降らす雨神に感謝こそすれ、文句をいえる筋あいではない」
「先生のおっしゃるとおりです。雲海の上にあるこの村には、雲がほとんどできないため、雨が少ししか降りません。そこで頼みの綱としているのが、雲海の下に浮遊している複数の孤島、『天空の湖』です。孤島は大地の大半が水瓶のような窪みになっているとか。どす黒い雲海から降りそそぐ猛毒性を持つ雨水は、この孤島を覆う黄色い霊波にあたると選別が行なわれます。大量の雨水の中にほんのわずか含まれている、霊水の元となる純水。これだけが孤島の窪みに落ち、すぐれた浄化作用を持つ霊水へ変化するとのこと。その水を糧としているのが」
「雨神フーレ、というわけだ。実は、窪みにある霊水のままでは浄化力が強すぎ、かえって森や作物をだめにしかねない。フーレはおなかいっぱいに飲みこんだ霊水から、自分が必要とする霊力を吸収する。その結果、おなかに残った霊水の浄化力は低減、村に降らせる雨としては申し分のないものに仕あがる」
「ためこんだ霊水を翼やおなかの孔から散布することによって、フーレは僕たちに恵みの雨を与えてくれます。自然に降る雨があてにならない今、フーレはこの村にとって聖竜と同様、なくてはならない存在です」
「それだけではない。霊水の散布は、汚染された大地や大気、そして湖など、村全体を浄化する役割をも担ってくれる。村がはるか昔、地上から湧きあがってきた噴煙によって冒された大部分が、既にこの散布により浄化されているという。フーレを単に雨竜とは呼ばず、雨神という神の称号を与えられている所以はそこにある」
「そんなフーレを操っているなんて、レミナさんもたいした人ですね。
先生。彼女は今、どのフーレで指揮をとっているのだと思います?」
「一目瞭然だ。ネイル、見てみろ。上空で一匹の雨神が他の雨神たちと向きあっているだろう。おそらく頭領のモームだ。使い手であるレミナが乗るとすれば、よほどのことがないかぎり、あの雨神しかない」
「ああ、あれですか。なにか指示を与えているみたいにも見えますね。雨もだいぶ降りましたし、ひょっとすると、引きあげの命令を出しているのかもしれませんよ」
「ぜひ、そうあってほしいものだな」
いつになく暑い太陽の陽ざしが照りつける中、それを和らげるかのように降りそそぐ雨。
二人はその雨やみを待っていた。
雨がやむと、セレンさんたちは湖のほとりで釣りを再開した。今、この一帯には二人しかいない。離れてはいるものの、声をかけたり顔を見あわせたりすることが容易な近さにはある。ネイルさんは立ち姿。セレンさんは自分が持ってきた椅子の上に腰をおろしている。
「先生は釣竿だけじゃなくて、ちゃんと椅子とバケツも用意しているんですね」
ネイルさんが感心したようにセレンさんへ言葉をかける。
「むろんだ。ここには毎日来るからな」
多少、自慢げにうなずくセレンさん。
「好きなんですね」「うむ」
二つの釣り糸が湖へとたれている。互いの存在を忘れてしまったかのごとく、無言のまま釣竿の先を見つめるセレンさんとネイルさん。そこには『浮き』と呼ばれている物体がひょこひょこと浮いている。
「あっ!」
ネイルさんが釣竿をあげると、竿先が、ぐいぃん、と曲がった。釣り竿と糸が生きもののように動く。まもなく水面に釣り針をくわえたお魚さんが現われた。獲り逃すまいと釣り竿を操るネイルさんの顔には、楽しげな表情とともに緊張した雰囲気も漂っている。
「そぉれっ!」
手元にある網で、目の前まできたお魚さんをすくい獲った。
「よし。これで五匹目、っと」
釣りあげたお魚さんをしげしげと見つめるその目には喜びの笑みが浮かんでいる。
ぽっちゃん!
ネイルさんは釣り針をはずすと、石で囲った水たまりの中へお魚さんを投げいれた。
(どれくらい釣ったのかな?)
アタシは二人の釣果を確認してみることにする。
「ええと。ネイルさんは、ひぃ、ふぅ、みぃ……、あれっ、もう六匹入っているじゃない。
じゃあ、次はセレンさんね。どれどれ。…………えっ、ぼうず(〇匹)?」
(アタシの数え間違い……じゃないよね。もっともバケツにはなにも入っていないから、数えたくても数えられないんだけど)
「なぁ、ネイル」「はい? なんでしょう、先生」
「場所を交換してみないか?」
「またですか。さっき代わってあげたばかりですよね」
「あの時は、こっちの方が釣れていたからだ。だが、今はそっちらしい」
「先生。ちょっと釣竿をあげてもらえますか?」「ああ、いいとも」
セレンさんの釣り針には、えさが既になくなっている。
「その場所にもお魚さんはいます。ほら、えさをとられているじゃないですか。釣り逃しただけですよ」
「なるほど。確かにそうかもしれない。だが、頼む。今一度、代わってほしい」
セレンさんは目をうるませて哀願している。
「交換しても同じですよ」
そっけなくいうネイルさん。
「ネイル。我は君の師だ」「そうですけど」
「師が手をあわせて……頼んでいるのに。……そ、それでも聞けないというのか?」
「先生。そんな、涙ぐむほどのことじゃあ……」「頼む」
こうなると、もはや師もへったくれもない。うまいもへたもない。場所さえ代われば釣れるという信念に駆られてしまっているから、どうしようもない。
「先生、判りました。では、どうぞ」
ネイルさんは半ばあきれた様子でセレンさんと場所を交代する。二人は再び釣り糸をたらした。と、その時。
「かかった!」
ぎゅぅん! セレンさんの釣り糸が引っぱられ、釣り竿も曲がっている。
「ど、どうだ。見ただろう。我のいうとおりだ」
「そんなことをいっている場合じゃありませんよ。大丈夫ですか。腰まで浮かしていますけど」
「な、なんと強い引きだ。うかつに竿を操作しようものなら、釣り糸が切られてしまう!」
「すごいですね、先生。ついにやりましたね」
ネイルさんは、ぱちぱち、と拍手を送っている。
「ほら、あともう少しじゃないですか。最後まで気をゆるめないでください」
「なにを人ごとみたいに。師がこんなに苦戦をしているのだ。なにもいわなくとも、協力して一緒に釣竿を支えるのは弟子として当然……。あっ!」
どっぼぉん!
セレンさんは謎の生物に引っぱられ、湖の中へと沈んだ。
「せ、先生!」
ネイルさんが声をかけたけど、なんの応答もない。水面はやがて静けさを取りもどす。予想もしなかったできごとのせいか、ネイルさんは呆然と立ちつくしたままだった。
「大変だわん! セレンさんが湖へ、どぼん、だって!」
「大丈夫かにゃあ、セレンにゃん」
「ふむふむ。……へぇ、そうなの」
「ミーにゃん。なにを見ているのにゃん?」
「この『ぺぇじ』に挟まれていた紙切れよ。これによるとね。お話にある釣り場って、実は恐ろしい場所みたいなの」
「この釣り場は今でもウチらが遊びに行くじゃにゃいか。一体どんにゃ風に?」
「それじゃあ、読むわん」
『草原は丈の低い葉の草が群生した姿。数は少ないものの、黒茶の無粋な地面が色鮮やかな緑に彩られている。湖の水面も陽に照らされてきらきらと輝き、景色の美しさに花を添えていた。
まるで別世界にでもいるような風景。これならさぞかし、たくさんの人が訪れるのでは、と思いきや、草原の葉が踏み荒らされた様子はほとんどない。それもその筈で、この場所は立ち入り禁止区域。ここら一帯には浅瀬がなく、草原を走り抜ければ即、湖へ、どぼん! かなりの深さで人間の大人すら立つことができず、いや、そればかりか水草や蔓などにからまっておぼれることもあるという。美しきものには棘がある。それを大きな形で体現している。
そんな場所にどうしてセレンさんたちが入れるかというと……、答えは簡単。呪医だからだ。呪医は患者が発生すれば、可能な限りどこへでも行かねばならない。一刻を争うこともままある。村役場の許しを得てからでは間に合わなくなる場合が当然出てくる。それを回避する策として、呪医に限ってのみ、村中どこへでもアーガを使って飛ぶことが許されている。この権利には但し書きが一切ついていないことから、セレンさんは内容を大幅に拡大解釈。自分の昼休みにまで使っている……のにゃあ、とミアンはいっている。
(アタシじゃないわん)』
「ミーにゃん。ウチにもその紙切れをみせてくれるかにゃ?」
「えっ。うん。はい」
すっ。
「ふむふむ。これかにゃ」
くしゃくしゃ。くしゃくしゃ。ぽいっ。ぱくっ。もぐもぐもぐ。ごっくん。
「ミアン……。なんで食べちゃったのぉ?」
「長々と説明ばかりでつまらなかったからにゃ。味もあまり美味しくなかったのにゃん」
「ミアン……」
「なんにゃ? その目は」
「ひょっとして証拠隠滅? 万が一にでも、セレンさんが見たら厄介なことになると思って、それで」
「そ、そんにゃことは……」
「声も身体もぶるぶる震えているわん。もし仮に、よ。セレンさんがここにいたら、『新薬の被験体に』とラミアさんを誘っている時に使う決まり文句をいうに違いないわん」
「ミーにゃん、やめにゃさい。そ、その言葉をいうのは」
「ミアン、覚悟をしなさい。耳を塞いだってむだよ。霊覚交信を使って喋っちゃうから。
それじゃあ、いうわん。我」
ざざざざーん!
『我と注射針が君を待っている』
「きゃあああ! セレンさんが本から飛び出したぁ!」
ばたん! がくがくがく!。
「にゃんと! セレンにゃん。あ、あんた、湖に落ちたんじゃにゃかったのか?」
ばたん! ぶるぶるぶる!
「あれあれあれっ!」
ばたん! がくがくぶるぶる!
『湖の中で彷徨っている我に声が届いたのだ。我の言葉を聞きたい、とな。そこで声のする方へとあがっていったら、……この場所にたどり着いた、というわけだ』
「ミアン。なんかセレンさん、前に出てきたラミアさんみたいなことをいっているね」
「本の世界の住人が何度も顔を出すにゃんて。ここはよっぽど不安定な空間なのにゃん」
『それで? 我になんの用か?』
「べ、別ににゃあんもないのにゃよ。にゃあ、ミーにゃん」
「そ、そうね。きて欲しい、とまではお願いしていないわん」
『そうか。……どうやら我の早とちりであったようだ。邪魔をして済まなかった。では』
ざざざざーん!
「ふぅ。やっと帰ったにゃん。やれやれ」
「ミアン、よかったじゃない。注射を打たれなくって」
「全くにゃん。壁に耳あり、とかいうにゃ。これからは言葉には気をつけるのにゃん。
……って、うん?」
「どうしたの? ミアン……って、うん?」
「あれあれ……あれってなんなのよねっ!」
がくがくぶるぶる!
「あんたまで……腰を抜かしてどうするのにゃん?」




