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蒼星緑海  作者: ひらみ
9/21

過去(すぎさりし)、再生(ゆめ)






 雨が降っていた。

 小糠雨がしとしと降り頻る冬の夕刻。

 濡れ鼠になって帰宅したわたしを待っていたのは母が亡くなったという悲報だった。

 今でも憶えている肌に纏わり付くような雨水と冷え切った空気。

 呆然としたわたし自身。


 母は遠い異国の大きな戦争で死んだらしい。

 だれかのために大きな戦いに向かい、命を捨てて多くを守り抜いたという話だ。

 死体も残っていないという話だ。なにしろ突然の事態だったから遺言も無いらしい。

 母はひとり引き返す道無き戦いへ向かい、還らぬ人となった。

 形あるものもなく、言葉すらない。

 あまりに呆気なく、そして素っ気ない。

 それがわたしと母の今生の別れ。

 母と喧嘩をして、離れた後――突然のさよならだった。


 母の葬儀はしめやかに行われた。

 多くが参列するなか、多くの大人たちが奇異の視線でわたしを見つめる。

 可哀想ね、と薄ら笑みを浮かべながらわたしの身に降り掛かった不幸を嘲笑っていた。

 身を切るように冷たい眼差しと、泥にまみれたような偽りの言葉。

 誰一人として本当のことは言って無くて、誰もが母の死を悼んでなどいない。

 けれどわたしはなにも言うことは出来ない。今、わたしが思うままに言葉は吐き出すことは母の生き方を穢すこととなる。

 わたしはただスカートの裾を血が滲むほど握り締めて、吐き出しそうになる屈辱に唇を噛み締めて耐えていた。

 財産は欲しいが、薄気味悪い母の娘を引き取ろうとする人間は現れたりはしない。

 それは当然だろう。

 奇妙な母の死を鑑みれば、そんな怖ろしい親を持つ娘を引き取ろうと考えるはずがない。

 それを誰が責められようか。

 そんなことはごく自然な考えだ。

 誰だろうとそう考えて当然なのだから。

 わたしは親戚たちの遠回しな身元引き受けをやんわりと断ると、これまで母がやってきたことをわたしが継いでいくことを伝えた。

 はじめは反対されていたが、元々消極的な身元引き受けをするだけだった親戚一同はわたしの固い決意に沈黙をすることとなる。

 後見人はアワ爺が引き受けてくれた。

 アワ爺とは何度か出会ってはいたがこうして顔を合わせるのは初めてだったかもしれない。

 初めて会った時は驚いたものの、自分に力を貸してくれると優しく言ってくれたのを今も憶えている。

 なにも変わらないのだ。

 これまでも、これからも。

 ――坂守ユイを形作ってきた生き方は変わらない。

 それは母が死んだとて同じことだ。

 夢現事と嘲笑われても、わたしは立ち止まったりしない。

 母がそうであったように、わたしも――坂守ユイも自分に恥じることなくそうやって生きていくのだ。

 誰に後ろ指指されるようなことなどない、これがわたしの人生なのだから。

 やがて当人不在の葬儀は終わり、悲しみと静謐に包まれた一日は終わる。


 降り続く雨と告げられなかった和解の言。

 朝一番にアワ爺の元へ行き、発した言葉。

「――わたし、魔女になる」

 母と喧嘩の起因となった一言。母に別れを告げられなかった原因。

 “母のように自分も魔女になる”

 母と決別した一言は二度と交わることのない別離だったというのなら、

 ――それは最後まで貫き通さないと。

 わたしに普通の少女として歩んで欲しいとした母の願い、

 それに歯向かって魔女を目指そうと思ったわたしの想いも、どちらだって間違いではない。

 だが、それはもう意味のないこと。

 永久に“引き分け”にされちゃったんだから、もうわたしも迷わない。

 坂守ユイは泣いてなどいられない。わたしはもう振り返ってはいけないのだ。


こうして二年間という期限付きのチケットを片手に飛行機に乗って魔法学院へわたしは旅立つ。

 誰も知らない地へ。これからはただ一人で生きていかなきゃいけない。

 不安が胸を過ぎれば心細くもなるが、自分が選んだ道なのだから。

 憂慮は奮起へ。寄る辺ない航海に乗り出す船長のように、気高く、そして孤高に。

 アタッシュケースを片手にわたしは振り返ることなく日本を後にした。


 巨大な鉄の翼が空を舞い大空へと飛び立つ。

 眼下に広がる遠い町並み、わたしの育った清鐘街にさよならを告げるとわたしは魔女になるべく旅へと向かう。

 飛行機は雲を抜け、太陽にすら届きそうなほど舞い上がる。

 たかくたかく、大空へ翼をひろげて遠くへと――。

 ふいにわたしは窓から下を眺めると虹の輪が見えた。

 これは知ってる。ブロッケン現象ってヤツだ。

 水滴が起こす光の後方散乱が、光の色によって異なる角度依存性を持つ事によっておこる現象らしい。


「うわ……ぁ……」


 けれど見ると聞くっての言うのはまるで違う。

 眼下で起こった不思議な現象にわたしはほのかに息を呑んだ。

 世界は広い。

 わたしが識らない未知がどこまでも溢れているだろう。

 いま自分の手の中には未開の地図がある。

 未来という不確かで、両手に有り余るほどの可能性という地図だ。


「すごい……すごいなぁ」


 山岳の気象と太陽がつくりだす神秘。

 色彩の影、目下にそびえる五色の絹糸。

 けして人の手では起こせないであろう光の業。

 綺麗な光臨を描く霧虹を窓に張り付くように齧り付きながら、圧倒的な光景にためらいの吐息が溢れた。

 知らず、溢れ出した嗚咽、


「あ―――れ……」


 『ゆい』


 あ……。


『ゆい……唯……』


 忘れかけていた/忘れるはずのない、

 ――優しく、舌っ足らずな声が胸中をつらぬいた。


「あれ……おか、しいな……」


 ああ……、胸をつく謂われない衝動。

 ――こんな綺麗な光景、見目麗しい奇跡の前にあって、

 ……それすら霞んでしまうような、あの笑顔にもう逢えない事実に呼吸が止まって、


「……も、ぅ、になっちゃう、なぁ……もぅ……」


 それで急に泣けてきて、

 なんだか泣けてきて――、

 両手で押さえ込もうとするが、もう両手に留まらないくらい溢れだして。

 拭っても、拭っても、

 拭い続けてもとめどなく涙が流れ出す。

 堪えようのない感情が胸を焼き尽くす。

 切り取られた思い出が畳みかけるみたいに溢れ出してくる。


 たとえば胸の暖かさ、


 たとえば優しく語り掛ける寝語り、


 たとえば困ったように叱りつけたあの、


 たとえば――、


 たとえば、


 そのすべてを思い出す。

 そのすべてが心の奥で再生される。


 その指も、瞳も、髪も、唇も、ぬくもりさえも、

 どこにも無くて、この星のどこへ行こうと見つからない理解した。

 だから憎たらしくて、赦せなくて、

 でも自分の中に母の鼓動と呼吸と温もりはこんなにも残っていた。

 だからなおさら―――、


 自分は気づいてしまった、

 自分は認めてしまったんだ。


『ゆい、ほらね、ほら』


 遺してくれているから、

 あなたはちゃんと遺してくれてる……

 こんなにも、

 こんなにもおおきな、わたしの行く末と思い出を、

 ……遺してくれてる。


 もう駄目だ。今はもう無理――だから、

 だから今のうちに泣いてしまおう。

 ここは御来迎より上、神の座をも見下ろしてるのだ。

 かみさまだって見ていない。だから今だけ泣いてしまおう。

 ――泣き止めば元通り。

 坂守ユイはいつも通り、

 坂守ユイとして復元される。


 だから今日のこの瞬間だけは―――。







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