日暮(ひぐれ)、旅館(りょかん)
帰宅時刻は18時をまわってた。
学校が終わってとりあえず校内とその周辺に怪しい人影がいないかを探し歩いたわたしはいつもより一時間以上遅い帰宅になってしまったのだった。
部活なんかをしていない分、部活生徒たちが自分が見た人影に襲われたりなんかしないかとか考えてしまったら、思った以上に捜査のほうに没頭してしまったらしい。
結果としては惨敗、あのボロ人間も見つからなければ怪しい人影も見つからなかった。
人の隠れられそうな物陰や普段つかわれない教室、周囲の道陰や死角など、もう入念にチェックし、魔術的な痕跡や、はぐれの“外道師”などの線も疑ってみたがそれらしき形跡は見当たらない。
そんなことをしている内に、日は沈み夜は更けて、わたしが帰宅するころには疲労困憊の有様になっていた。
だが、わたしを待っていたのはさらなる試練だった。
わたしが生業をしている三つ目の顔。
「いらっしゃいまし~」
疲れからややひきつる顔筋を強引に営業スマイルに修正させながら学校での顔とは違うやや艶っぽさを帯びる、媚びを込めた出迎えをした。
そう、第三の顔とは温泉旅館“さかがみ”の女将である。
特に今日は団体さんの予約があった。それもあって帰宅時間はすこし早めに設定していたんだけどこの様である。
帰ってきたときにはみんな大慌ての状態で、私を叱るような暇も無い。
なのでわたしも急いで着替えて仕事に飛び込んだ。
とはいえ年齢のほうもあり女将とかいっても名ばかり。正直、成り立ての新米だし、すこし前に入ってきた“あきら”ちゃんのほうが断然飲み込みが早い。言ってしまえば役立たず。はっきりいって戦力外である。
とはいえこの業界もそれほど儲かるようなものでもなし。人手不足の折りもあってわたしみたいな無能な足軽でさえも戦力に組み込まなければならないのが実状だ。
そのため魔女、学校、女将生活という二足ならぬ三足の草鞋を履いて日々を邁進するのであった。
『攻めの旅館、守りのホテル』という言葉にもあるが、
まずお客様に専制攻撃、先手必勝のサービスをするのが『旅館』のやり方だ。
履物を揃え、冷たいお茶でお迎えし、お菓子でもてなし、風呂を沸かして迎え、食事を用意し、布団を引き、枕元に灯りを燈し、目覚めの『おめざ』で朝をもてなす。
そして朝餉を運んで、無事な旅を祈りまた送り出す。
これが旅館“旅の宿”の正しいの姿である。
来てくれるお客様の情報を把握し、『お足の悪いお客様は?』『お食事に制限のあるお客様』『お祝い』『お誕生日』などなど、すべては『お客様』あっての宿屋。それらの確認し記憶しておもてなしをする。もう日々なにもかもが勉強だったりする。
魔女の仕事を覚えることと女将としての仕事、そして学校生活など続けるのは無茶もいいところだがわたしの我儘でどれもさせてもらうようにしたのだ。
当然、みんなには迷惑かけ通しである。魔女の仕事があれば抜けなければならないし、登校中は手伝えないのだ。女将とは名ばかりの仕事ぶりに批判の声だってあるだろうに、みんな優しく見守ってくれている。
それも先代であるお母さんのおかげなんだろうってことはわかってるんだけど。
ともかく毎日へとへとなって肉体的にも精神的にも攻め落とされて倒れこむように寝付いていたわたしもようやく高校生になり、自分の仕事としての立ち位置を把握できるようになってきた。
旅館で仕事をできるときは短いながら誠心誠意尽くす。けして手を抜かない。
自分に出来ることはそれくらいなのだから当然と言えば当然なんだろうけど、どれも中途半端にしないのがわたしのモットーでもある。
こうして右へ左へ、お客様に丁寧に挨拶をしていき、少しでも女将らしい愛想を振りまく頃にはどっぷりと夜が更けていた。
「ふう、ようやく落ち着いたぁ」
最期のお客の部屋通しを済ませると、ため込んでいた疲労ごと吐き出すように深く息を吐いた。
<おつかれさまでしたユイ。ひとまずのシゴトは片づいたようですね>
「ありがと、はと。今日のお客さんは変な奴もいなかったしスムーズだったからいいけど。ちょい面倒な奴が混じってたらヤバかったわね」
庭の景観が見渡せる長い廊下、壁側に背中を預けると胸元に納めていた宝石を摘んでみる。
<面倒なお客というとユイの美貌と若女将という看板に引かれてやってくる輩ですね>
「ああうん、あー。宣伝になるからって雑誌とかのインタビューとか受けるんじゃなかった。今更ながらに後悔だわー」
とんとん、と気休め程度に肩を叩きながら小さな頃からわたしに寄り添う相棒に悪態を漏らした。
<美貌、は否定しないんですね、ユイ>
「む」
そりゃ坂守ユイ、この世に生を受けてから16年と数ヶ月にもなる。自分くらいの年齢になれば周囲と自分を計れる程度の見識はできているつもりだ。
堂々と言い触らしたりはしないが人並みよりは優遇されているんじゃないかとは自覚があったりする。
母は自分が見ても見惚れるくらいに綺麗だった、自分もその血を濃く継いでいるんだから美人だって誇ったっていいはず。
その点においてだが、自分を可愛く生んでくれた母には感謝である。
とはいうものの……。
「美人某~っていうのは雑誌宣伝での常套文句なのよ、たとえそんなにでもないにしても、その業界だと上位ランクだーって言えば納得もいくしね」
<では雑誌社はユイを美人だとは捉えていないと>
「それは主観。客観的に捉えて女将は若くて器量良しって書いたほうが人目を引くっていう視線誘導ね」
<……なるほど、それは知りませんでしたね。また一つ知識領域が拡大しました>
「はい、それはヨーござんした」
気分を害したほどではないけれど、そんなことないよ、綺麗だよ、くらい空気読み機能はほしいくらいだ。まあ、無機物であるコイツにそんな余分な機能は不要なんだろうけど。
カコン、と鹿威しが鳴る音を聞きながら、端から見ても不機嫌そうな形相で夜の景観を眺める。
廊下には部屋越しから人々の様々な営みが響いてわたる。
あの人が言っていた。
『この道は人生の喜びが溢れる場所』だって。
嬉しそうに、わたしの手を引いて言った。物腰はやわらかく、白くてあたたかい指先がしっかりとわたしをつなぎとめてくれた。
それが誇らしくって、心強くて、いつだってわたしの胸に強い勇気を残している。
初々しいあこがれ、それは、
/大禍の/だれも/魔女を集めて/大魔法なら/命が失われ/助からな/破壊のかぎり/街丸ごと/もう助からない/おしまい/おしまい/終わ/り/の/日/彼女が/鍵を/大過/封印し/全て/そう/そうだ/呑み込んだ/
/君ひとり/
/君/一/人/に/な/っ/た/
/ただよう線香のかおり/まっくろなひとたち/わたし一人
/わたし、ひとり/
カッコンッ
「……っと」
|蹲を打つ竹の音で自分の思い出が断ち切れる。
現実を取り戻した場所には、もう“そんなもの”は存在せず薄明かりに照らされた廊下が遥か奥まで続くだけだ。
<疲れ気味ですか、ユイ>
「……はぁ。かもね」
わたしにはあの言葉の意味がまだわからない。障子から透けて写るお客の姿を見ながら不機嫌そうな吐息を漏らした。
カコンッ
また竹の音が響けば自分が随分と惚けていたことに気付く。
けれど相棒はわたしが言葉を発するまで沈黙を続けるクセがある。
重要でないことならば先送りにさせてくれるのだ、ありがたいことに。
だからわたしから結論を導き出してる。
「……やっぱり見間違えかあ」
<ワン>
認めづらい事実に対するあんまりな返事を耳元に届けながら続くようにはとが発する。
<誤認であったならそれに越したことはないと思います。ですが私が察するにユイの心持ちは残念そうに受け取れますね>
「はぁ……はんぶん正解ではんぶん不正解」
人の心情は1か2ではないのである。
当然だれかが襲われてしまうかもという懸念は一番にある。反面として何者かが自分の陣地を侵してきたこと、魔女としての駒の取り合いという実践ができることへの期待も僅かながらにあったわけで。
不謹慎だと言わざるを得ないことだけど、これは魔女であるならば当然持ち合わせてる本能だろう。
形の捉えどころのないナニカなんかじゃなくて本当の意味での初陣を坂守ユイは飾りたいのだ。
それともう一つ。
「誤認だったとしても、安全であるという保証が取れたわけじゃない。疑惑は疑惑よ、生まれたなら解決しないと意味がないでしょう」
<……ユイの意見も理解できます。ですが回避できたことを今は感謝しましょう>
「むぅ」
<いいですか、ユイ。魔女の仕事は霊脈の正常化が重きにあります。それは未然に自体を起こさないためのもの。正常にしておけなかった時点で魔女はまず一敗していると考えてください。現在の霊脈分布図は――>
「……正常」
<結構です。“怪異”が実像化していないという証明になります>
「けど怪しい奴がいた」
<すべては分布図が物語っています。正常です、あなたに不備はない>
むぅ……相変わらず出来すぎの回答である。不謹慎なわたしを戒めるには尤もな正答だ。
「そうね。誰も被害に遭わなかったならそれがいいし。新聞の件は今夜アワ爺に聞いてみればいいし」
<件のことをウィーゲンシュタインに連絡を?>
「ん~……少しだけ時間貰った間に。けど駄目。そもそも取り次いでくれないのよ、あそこ。前もって日時を指定しないとあってくれないんだって」
<ではあちら側からの支援と情報は得られそうにありませんね>
「少なく見積もっても一週間は取り次げないってさ。あのコの猟犬たちは彼女以外の言うことなんて聞きもしないし」
<一週間あれば―――>
「また行方不明者が出てるわよ、きっとね」
まくりあげたままだった袖を正すようにすると腕捲りに使っていたタスキを懐にしまう。
わたしは寄りかかった壁より離れると着物に乱れがないことを確認すると後ろで結った髪に乱れがないかを指で触れた。
時刻的にアワ爺ならもう来てるだろう。
あまり待たせるとあの熊みたいな顔がしわくちゃになって雷が落ちちゃいそうだ、頃合いを見て会いに行こう。
そんな風に考えてるところに膳を山みたいに抱えたチエさんが通りかかった。
チエさんはわたしの顔を見ると向日葵が咲き乱れるように満面の笑みを浮かべる。
「あ、おっつかれさまーユイちゃん」
「お疲れさまでした、チエさん。いつもご迷惑をおかけしています」
姿勢を正してわたしよりやや背の高い女性に頭を下げた。
「いえいえ、他ならぬかわいいかわいいユイちゃんの代わりになれるんだもの。お安いものってね」
チエさんはわたしを安心させようとウインクをした。バランスを崩さず器用に持っている両手に高く積み上げられた膳を見上げる。
「新規のお客さんでしたよね、たしか。わたしもお手伝いしましょうか」
「ああいい、いいって。ユイちゃんはうちの看板なんだからドッシリね。もう少し勿体ぶるぐらいでいいのよ~」
「は、はあ……」
膳から手を離し奥様聞いて、と言わんばかりヒラリと手を振ると一瞬、膳を心配して声が上擦ってしまった。
彼女の名前は海読 智恵。把握してる限りならまだわたしが幼かった頃から旅館で働いている旅館の仲間たちの中でも古参に類する仲居頭だったりする。
それより長い人となると源さんや風兄くらいしか思い浮かばない。
気さくな人柄とおおらかな性格で旅館ばかりならずお客からも“ちぃ姉ちゃん”と慕われていたりする大先輩だ。何故か自分よりも年上の人にもそう呼ばれているのは気にしてはいけない。
ちなみに『結婚前提の彼氏は絶賛募集中』とのこと。おとなの世界は大変そうだ。
とにかくわたしも大分類から漏れることなく人生においても旅館での仕事においても先輩であるチエさんを大いに慕っているのだ。
人柄は少しだけおおらかすぎてついていけない場面もあるけど、仲居頭としての仕事は確かなものだ。だから旅館のことでは絶大の信頼を寄せている。
「ユイちゃんは学校帰ってから休んでないし疲れてるでしょ、昨日は“出動”だったみたいだし」
「ええ、まあ」
「だから少しくらい甘えてもいいのよ~。みんなユイちゃんが頑張っていることは知ってるんだから。あ、そうそう。お台所に軽食作ってるからささっと食べちゃってね。感謝は源さんにー」
膳を片手で支えたまま、わたしの頭をなでりなでりとすると可愛い妹でも相手にするようにわたしに微笑みかけてくれた。
すこし照れくさいわたしは、困ったような表情で視線をそむけて僅かに頷いてみせる。
「そうそう、あと淡貴さんがとっくにいらしてるから顔出ししてって言ってたわよ~」
「ゲッ、やっぱり“アワ爺”いるのよねぇ、仕方がないよね、うん」
「ユイちゃんが気にしてる昨日のことはあまり言ってなかったけどねー……どっちかっていうと別件のような気がする」
「別件? ……なんだろ」
「それはもう本人に聞いててちょうだいねぇ、もう『琴月の間』で待ってるから」
とととっ、と危なげない足取りで大積みの膳を運びながらわたしの前を通り過ぎるチエさん。
「あ、そうそう。神白の……」
「……石蔵?」
「そーそーそれ。風ちゃんから聞いたんだけど倒れてへし折れちゃっててねぇ」
「え?」
神白の石蔵は結界の一つ。
石の柱。清鐘がまだ宿場町の頃から残ってる結界だったりする。
とても大きな石柱で街の祈念碑として登録されたもののはず。
それを倒す? ……だれかが誤って壊すような代物じゃない。
事故とは思いにくい……。
「ユイちゃん」
「あ、はい」
「あまり難しいこと考えないでね。その件での話かもしれないから」
気がつけばチエさんの顔が間近だ。いつも笑顔のチエさんは表情が特に読めない。わたしの目を見ながら『危険なことはしては駄目よ』と釘を刺しているのかもしれない。
「はい、大丈夫です。この件もアワ爺と話し合って、ちゃんと決めるようにしますから」
「……ほんと?」
「イエスイエス」
ズイ、とさらに顔を近付けられて距離を離すように後ずさりながら両指でサムズアップしてみる。
「それならオッケー。あ~んまり抱え込まないようにしてよねぇ、ユイちゃんはうちの看板女将なんだからねぇ~」
「それはもう十分に……」
「よろしいっ。じゃ私はお客さまに膳を運んでくるから淡貴さんのお相手おねがーい」
そこまでいうと駆け上がるように階段を上がり出す。あんな速く駆け上がってよく転けたりしないなぁ、なんて下から覗いてるとチエさんがクルリと振り返った。
「あ、それとそれと」
「はっ、はい。なんですか?」
「冷蔵に“したたり”冷やしてるから食べてね。初仕事祝い、チエ姉さんからのご褒美よ♪」
「ほっ、ほんとに~!?」
“したたり”という響きに思わず目が輝いてしまう。
“したたり”はわたしの大好物なのだ。甘いお菓子なのでいつもは控えているようにしてるが、おりをみてチエさんが買ってきてくれるのをいつも頂いている。
わたしの嬉しそうな反応を見て予想通りというようににんまりと笑うチエさん
「マジマジっ、淡貴さんの分も用意してるから一人で平らげないようにっ」
「は~い」
「それじゃ淡貴さんによろしくぅ~。あんまり失礼しちゃ駄目よ、お得意さんなんだから」
「はいはい、アワ爺相手のあしらい方なら熟知してるから大丈夫」
「ん、それじゃお気をつけてぇん」
ランラン、と口ずさみつつリズムよく膳を運んでいくチエさんを見送りながら、よくバランスを崩さないなぁ、なんて他人事のように思ってしまった。
お気をつけて、の台詞はわたしからチエさんに言うべきなんじゃないかな、とも思ったが、それだけ気を使われているということなのだろう。
自分の未熟さをやや恥じるように思いながらまずはしたたりを取りに台所へと向かうのだった。