第1章 着任挨拶 - 01
11月09日、曇。冬雲に覆われ、空は暗く肌寒い。
今、タペス中尉こと私は焦茶色の背広を着て、民間人を装っている。軍人なんだから、軍服を着てもいいのだが、赴任先の事情もさることながら、街中でいちいち敬礼されるのが面倒なのだ。そう、めんどくさいのだ。そして、オテモ諸島へ向かうため、レクレ港23番埠頭へ赴いた。ここは飛行艇の発着場となっている。
そこには既に私が乗る機体が泊まっていて、エンジンを吹かしながら出発を今か今かと待っていた。
ずんぐりとしたクジラのような機体。これは八八式大型飛行艇。両翼に二基ずつ計四基装備されたエンジンは合計七八〇〇馬力を叩き出し、二・四トンの武器弾薬・人員物資を搭載できる。飛行艇なので滑走路不要、長い航続距離を飛べることから、官民問わず採用されているベストセラー機だ。外観は暗い濃緑色に白色で海軍旗章があしらわれた軍用機の意匠となっていたが、中に入って見てこの機体が元は民間機だったと分かった。明るい色調と照明、座席は座り心地を優先したクロスシートだ。
これはラッキーだと心の中で呟く。はじめから帝国海軍の輸送機として納入されたものはこうは行かない。その場合、照明もなく端から端まで長いベンチが両サイドに据え付けられているだけで座り心地も何もあったもんじゃない。初任配置のときに乗って以来、もう二度と乗るもんかと毒づいたものだ。
ふかふかの座席に身を沈めて堪能していると、お隣よろしいでしょうか、と声をかけられた。
座席の柔らかさに気を取られてた分、内心びっくりしたのだが、涼しい顔を偽装して、どうぞ、と促す。
相手を見上げると帽子を目深に被り、目元はよく見えない。帽章は民間のもので、黒い背広を着ている。綺麗に纏められた髪は珍しい銀髪だ。声の感じも若そうなので、新人の研修生の類だろう。とても緊張しているようだ。
こんな時期に大変だなぁ、と思いながら、特に気にも留めず、資料に目を落とした。
機はゆっくりと離水し、レクレ港から三千キロ先、オテモ諸島の本島へ向かいだした。
◇◇◇
手元の資料は二部ある。一つは先日人事部長と面談したあとに渡されたときの資料。オテモ諸島の人口、気候・文化など一般的な概要が記された、ガイドブック的なものだ。オテモ諸島の帝国編入はわずか三十年前なので、あまり世間には資料がなく、とても参考になる。
帝国の南西に位置し、気候は高温多湿で、所謂『常夏の国』という場所らしい。雨温図によれば11月の平均気温は、エッ、24℃!?
いやいや、暑いとは聞いていたけど11月で24℃か…、着いた途端のぼせたりしないだろうか、不安だ…。
諸島は本島と北列島、南群島と、東環礁群と、南東遺跡海域で構成されている。周辺は潮流が速く複雑。そのせいで最近まで他国との交流は少なかった。
これのおかげで、長いこと帝国と戦火を交えずに来たし、長期戦に持ち込めたのか。帝国は海と船の国だものなあ。
産業は帝国並みで、諸島のいたる所にある遺跡群から技術を取り出し、発展させてきたようだ。
興味深いなぁ、元技術屋としては楽しみな限りだ…頑張ろう。
あとは飯と人柄だなぁ…、合わなかったらしんどいなぁ。
読み耽っていると、首が凝ってきた。休憩がてら窓を見やると、晴れた青空が眼に入ってきた。眩しい。けれども澄んだ青さに、こちらまであてられてしまいそうだ。そうだそうだ、自分も飛行機乗りだった。最初言われたときは嫌だったけれど、偵察機に乗って、ふとした瞬間見える空の表情がとても好きだったんだ。南の空はどんな景色を見せてくれるだろう。そう思えば、南行きも悪くない。
気を取り直して、二つ目の冊子を取り出す。こちらはこの飛行艇に乗り込む直前に渡されたものだ。赴任先の部隊の資料らしい。一応周囲を確認して、めくり出す。まあ、見られても暗号で、一般人には科学論文にしか見えないのだが。
第4航空艦隊 西南洋護衛隊は統合型の組織で護衛隊隷下に海兵力、陸兵力、空兵力がある。もともと帝国に帰順する前の各陸海空軍をそのまま引き継いだ形になるらしい。土地柄ゆえ、空兵力が主力で、航空隊は七つあり、自分が配置される第一航空隊には、六個戦闘機隊、四個偵察機隊、二個輸送機隊、二個爆撃機隊が所属している。大所帯である。運用機体はほとんど独自のもので、カタログスペック値は帝国機の二割増しという驚異的な性能だった。これは習得し甲斐がありそうだ。
11小隊は偵察機部隊の一つで、運用機体は梟シリーズと呼ばれる白梟14型という機体のようだ。性能は申し分ない。だが、こいつは滑走路を必要とする陸上機だ。ええ、機種転換訓練してないけど…。
注釈をよく見ると「現地で現任訓練を行い、その間飛行任務に関しては免除する」だそうで。ええ…そんな。
ところで自分の役職は小隊副長だ。着任挨拶はとりあえず小隊長、航空隊司令の二人かな。小隊長は「現在調整中につき、現地にて確認されたい」か…、あてがわれた貴族が大金積んで逃げ出したのかな。まだそういう貴族がいるんだな、悲しいもんだ。
航空隊司令は「リセラ・フォン・ヴルド三世」どうやらかつて諸島を束ねた豪族の子孫らしい。ミドルネームがあるということは、帝国で叙勲を受けたみたいだ。すごい。武闘派のゴリラみたいなムキムキマッチョだったらどうしよう…。
そうこうしているうちに機体はザザンと揺れて着水した。滑走している。どうやら目的地のようだ。やはり戦域から離れているせいか、敵襲もなく、乱気流にのまれるようなこともなかった。
機体が完全に止まり、客室のドアが開かれた。到着だ。
◇◇◇
桟橋に降り立った。ついに来たのだ。
11月だというのに、照り付ける太陽が肌を焼く。暑い。
長旅で疲れた体から体力と気力を奪っていく。
売店で冷えたラムネを買い、停留所に出た。なにも無い。真っ白な道路が伸びている。
基地までのバスは1時間後だそうだ。ベンチに座り、くぴ、ラムネを飲み干して、天を仰いだ。
ォォォォォォォン―――――!
その頭上を青い綺麗な飛行機が通り過ぎていった。キラキラと日光を反射して、きれいな機体だった。
11月09日。夏雲がかすかに浮かぶ晴天、一筋の飛行機雲がなびく午後のことだった。
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