序章 悪夢に溺れて
描き直し第一話にございます。
戦争が続いている。
その最中、広く深い空と海を舞台に、銀翼に身を預け、引き金に勝利を信じたものたちがいた。
これは彼ら彼女らの物語。
回復の語らい。
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「……分隊長」
「……」
鬱屈した空気。タペス中尉―第4036水上偵察分隊・分隊長は、部下の呼びかけに無言で頷いた。おそらく定時報告の確認だろう。
肌は海水の湿気でじっとりとし、同じく水を吸った飛行服は本来の役目を果たすことなく皮膚に張り付いている。
「新しい命令は切られたか?」
部下は沈黙している。
そうか、と返して分隊長は眼を閉じた。
ここは南西洋戦線の最前線に位置するとある群島。その中のほんの小さな小島にある洞窟で、帝国海軍第4航空艦隊 第42航空大隊 第403偵察隊に所属する第4036水上偵察分隊の拠点である。
しかし部隊の主力たる水上偵察機はもう1機しかない。腕利きの操縦士・偵察員はすでに偵察機とともに南西洋の藻屑となった。
補給も絶たれて久しい。
偵察隊司令本部も『反撃に備えて戦力を温存せよ』と発出したきりだんまりである。
今はこうして敵の爆撃を恐れて洞窟の奥に引きこもり、雨水を啜りながら蹲るしかない。
ここ最近、帝国海軍は敗北を重ねていた。航空機の速達よりも戦艦の火力を重視したツケであった。第4航空艦隊が指揮下に入る第8艦隊はその戦力の三分の一を失っていた。それでも航空艦隊を持たない艦隊よりはマシである。
更に帝国本土では、それまで武力で併合してきた諸部族がこれらの敗走を知って反旗を翻したとの情報もある。多民族の共和の豊かな資源、それらが結集した軍事力、帝国は覇道を歩まん、などと謳われたのは今は昔。帝国は戦略戦術を見誤って沈まんとしていた。
翻ってそんな帝国海軍の敗北に巻き込まれた第4036水上偵察分隊は、本来水上偵察機5機を擁する少数精鋭部隊で、無数の小島で構成され大型軍艦の運用が難しく、かといって飛行場を建設できるだけの土地もないこのカシウ群島を拠点にしている。その任務はここよりさらに南から侵攻してくるラン神国の艦艇・航空機の動きを偵察し、その装備・編成・運用など、電波探信儀では把握しきれない作戦情報を収集する部隊であった。
装備する水上偵察機は新鋭の九八式水上偵察機甲11型で、全金属の低翼単葉・単フロート機である。胴体に新型のフロートを装備して空気抵抗と離水距離を低減し、本来大型爆撃機に搭載される高出力エンジンを搭載して戦闘機並みの時速600キロを実現した。また、従来操縦士、航法員、偵察員の三人体制のところを、試作超小型電波探信儀を搭載して操縦士・偵察員二人体制にして省力化と生存性を高めている。
様々な新機軸を盛り込んだ機体であったが、新型故に前線での整備は困難であった。機体に精通した整備員も部品もないので、不調が見られれば直ちに後方の403偵空に戻して整備済の機体を受領する体制をとった。最初はこれで良かった。しかし戦局の悪化で、武装を有さない偵察機が、無事届くはずもなく、不調機を後方に下げることもできなくなり、にっちもさっちもいかなくなった。結局5機あった機体のうち不調機2機は部品取りに使われ、3機稼働となったが、そのうち2機は先日、大艦隊の発見を次々に打電して未帰還となった。
今ここに残るのは完動状態の一式水上偵察機甲11型1機と操縦士兼分隊長、偵察員、分隊付通信員、同整備士、の4人だけであった。
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天井の僅かな割れ目から陽光が差し込んで顔を照らす。
……どうやら丸一日寝てしまっていたようだ。
ああ、晴れは何日ぶりだろう、このところ蒸し暑い雨ばかりだったなあ、などと考えながらタペス中尉はその身を起こした。
タペス中尉は若干24歳、もとは高等専門学校で工学を学び、海軍機関兵として採用され、途中で士官学校に合格し、苦しい学校生活の末、技術士官として帝国海軍工廠へ赴任を命ぜられるはずであった。しかし、卒業間際、突然航空機操縦士に命ぜられた。適性があるからだという。興味の湧いたものには没頭する所謂研究肌で、やや気難しい性格だった彼は、渋々航空機操縦課程に進み、これまた嫌々履修してなんとかこれを卒業した。彼は操縦士になるにあたって己が眼で敵を見たかった。己が力で敵の技術を知りたかった。ゆえに希望機体を偵察機とし、戦闘機が花形とされる中で、人気の少なさも相まって見事偵察機操縦士の資格を得た。
ようやく収まるところに収まるかと思いきや、彼に下った赴任辞令は偵察分隊長であった。分隊長というのはおおよそ20人弱の部隊を指揮せねばならぬということである。操縦士としてまだまだ経験を積まねばならぬというのに、自分より遥かに歳も経験も豊かな部下を指図せねばならなくなった。研究職からまた遠ざかってしまった上に自分以外のことも面倒を見なくてはならなくなった。
すっかり肩を落として赴任した彼を、部隊は歓待した。それは、彼が兵卒上がりの士官で、下士官や兵卒の話がわかる上、工学に明るく、新型機を扱う部隊に打ってつけあるという期待の上であった。これに発奮した彼はそこから偵察分隊で指揮官として役割を果たそうと必死になった。その甲斐あって部隊の雰囲気は良くなり、その運用はまずまずであった。
――今は最早そんな穏やかな日常を振り返る暇もない。戦死よりも餓死が迫ってきている。
そろそろいつもの定時報告の時間だ。彼は、はたと気づき、何かいつもと違う雰囲気を嗅ぎ取った。直感だった。
「ッ!!」
洞窟が動揺し、轟音が反響する。土埃が上がり続いて閃光が目をくらませた。
天井が吹き飛んで、矢継ぎ早に爆風があたりを攫う。
――――――、
鋼の群れが海を暗く黒く染めていた。
「司令部へ緊急電! 脱出準――」
振り返って部下に指示を出そうとして息を呑んだ。
皆瓦礫に、砲弾に、爆風に裂かれていた。
「うああああああああああああ!!!!」
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そこから自分がどうしていたかはあまり良く覚えていない。
ただ気づけば私は護衛空母に格納庫に横たわっていた。
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10月3日、秋の足音が少しずつ聞こえてきた頃、帝国海軍はカシウ群島を失い、艦艇40隻、兵員3万人を喪失した。
翌日、10月4日付を以て第403偵察隊は解隊となった。
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