冒頭
ドン、と地面の抉れる音が林の中に響いた。
巻き上がった土砂は、雨のように地面に降り注ぐ。
その礫の下を、片手で庇うように頭を護りながら、駆け抜ける存在があった。
足音は二つ。
その足音の主たちは、着ている長い衣によって、度々足を縺れさせていた。
服や髪が土に汚れるのを内心嫌っていたが、それでも埃を払う労を惜しみ、足は止めなかった。
人一人分の段差がある地面を、二人で協力しながら乗り越える。
そして、再び走り始め、
「~~~~っ!!」
二人の内の一人が突然背後を振り返り、手を翳しながら、叫びと共に光を放った。
『魔法』である。
魔法を放った者の体は薄い白色で覆われている。
水系統の魔法を使った証拠だった。
それを証明するように、突然空中に出現した大樽一杯程度の水が、細長い水槍のような形態をとって虚空を切り裂いていった。
滝の落水の如く勢い良く進んだそれは、足音の主達から少し遅れて、段差を乗り越えようとしていた存在。
”魔物”に直撃した。
だが、大木ですらへし折りそうな勢いで直撃したのにも関わらず、それはまるで痛痒を見せず、再び二人を追い始めた。
初級の魔法では、足止めにもならない。
先程からずっとこの繰り返しであった。
「くっ!」
「…………」
結果は想像出来ていたものの、二人は悔しそうに顔を歪ませた。
万が一の効果を期待していたのだ。
ただそれは、万が一の効果を期待せずにはいられないほど、追い込まれているという事でもあった。
「……エル」
走りながら、一人が消え入りそうな小声で隣を走る相方の名前を呟く。
風の音にさえ負けそうな音量だったが、ただその声には悲壮な決意が秘められていた。
「駄目よ!! シル!」
一方、名前を呟かれただけにもかかわらず、その真意を悟った相手は、強い口調で拒絶した。
”エル”と呼ばれたのは、綺麗な長い髪を下の方で一つに束ねている、まだ歳若い少女だった。
そして、提案を拒絶された”シル”という名の少女は、”エル”と瓜二つの顔立ちの少女である。
こちらは同じく長い髪を、頭の後ろで一つに縛っている。
顔も、体格もまるで同じ。初対面の人間が二人を見分ける為には、髪型でしか判断がつかないだろう。
その似通った容姿から判るように、二人は双子だった。
「……でも、このままじゃ」
”シル”は自分の提案が拒絶されたことを不服には思わなかったが、代案が他にあるのか? という視線を目の前の少女に投げた。
”シル”は、自分が囮になって魔物の注意を逸らす、ということを提案していたのだった。
その真意を悟りきった上で、”ミル”はきっぱりと拒絶した。
「それでも駄目よ。私達は二人で生き延びなければ意味が無いの。一人だけ生き残ったところで、それは何の意味も無い。貴女も分かっているでしょ?」
”エル”は厳しい口調で、自分と同じ顔の少女と咎める。
その口振りからすると、双子はそれ単体では何の価値も無い、とでも言っている様であった。
ただそれは、姉妹を失いたくないという感情から告げられた言葉ではなく、もっと他の含みが込められていた。
”エル”の言葉通り、”二人で”生き残らなければ自分達には意味が無い。
それは分かっているのか、”シル”は何も返答はせずに下唇を咬んだ。
ただ、”エル”とは違い、自分達の価値について理解しているものの、完全に納得は出来ていない様子が見てとれる。
”シル”は一度俯いて考え込んだ後、再び面を上げて何かを告げようとする。
その時、二人は林を走り抜けた。
「…………あ」
不意に眼前に訪れた光景に、”シル”は自分が告げようとしていた言葉を発することも出来ず、呆然とした声をあげてしまった。
その隣では”エル”が同じ光景を視界に移して、厳しい表情をつくっていた。
同じくして、二人とも足が止まった。
二人の目の前に、とても登れそうもない絶壁が立ち塞がっていたからだ。
「……こっちよ!」
”エル”が左を指示しながら、再び走り始めた。
”シル”も異論は無かったのか、黙ったままその後に続いた。
そのまま二人は壁沿いに進もうとしたが、やがて止まる事になった。
再び絶壁が立ち塞がっていたからである。
絶壁は直角の形に進路を塞いでいた。
二人は知らずに、自ら袋小路に突き進んでしまっていたのだ。
「このまま……」
戻っても仕方がない。
壁沿いに進むことを提案しようとした”エル”は、それが叶わない事を悟った。
「……あいつが居る」
”シル”が代弁する。
距離を稼いだ事が返って裏目に出た形だった。
魔物は一時的に二人を見失っていたのか、気配は直角の袋小路から対角線を延ばした先にあった。
そこに居られては、このまま壁沿いに進んでも、または来た道を戻っても魔物に接触するのは必死だろう。
戸惑う二人を嘲笑うかのように、魔物の気配は徐々に二人に近づいてきた。
どうやら、二人の居場所に気付いたようだ。
もう逃げられそうにも無かった。
必死に逃げ道を模索する”エル”を尻目に、”シル”は厳しい表情で何かを考え込んでいた。
やがて、重い口を開いて言った。
「……『アレ』を使いましょ」
"シル"の提案に、"エル"は唖然とした顔で反論する。
「えっ? だ、駄目よ! 『アレ』の使用は私達だけで決めて良いことではないわ!!」
「でも、他に方法が無い」
「それは……でも、それは…………」
「……私達が生き残る方が『あの方』にとっても大事な筈。ここで死んでまう事の方が問題」
「それは、そうだけど……」
二人は、”二人で”生きなければならない。
先程は自分が言った言葉でもある。
”シル”の提案の方が正しいと言う事は”エル”も心の底では理解していた。
だが、”エル”はそれでも躊躇いを吹っ切る事は出来なかった。
「……エル」
「駄目よ……駄目……」
”シル”の促しにも、”エル”はただ子供のように首を左右に振るだけだった。
そんな姉妹の様子を、もどかしそうに見ていた”シル”が再び口を開きかけた時。
ボキリ。
と、何かが樹の枝を踏み折る音がした。
二人とも、ハッと我に返ってその音源に視線をやった。
そこには、二人を追っていた魔物がその巨体を現していた。
言い争っている内に、ここまで接近を許してしまっていたのだ。
魔物は獲物を追い詰めたことを悟ったのか、嬉しそうに鎌首をもたげて長い二又の舌を出し入れする。 そして、二人の拒絶など気にする事もなく、そのままゆっくりと腹ばいに突き進んできた。
「エル!!」
”シル”は、拒否は許さないという強い口調で短く姉妹の名を呼んだ。
目前に死が迫ると、”エル”も観念したのか、
「……わ、分かったわ。…………様。どうか、お許し下さい……」
誰かに謝罪の言葉を述べながら、静かに”シル”の傍に寄った。
双子は隣り合って立ち、お互いの体側にある相手の手を固く握り合った。
二人が一体何をしようとしているのか、魔物が知る由も無い。
ただ魔物の内にあったのは、美味そうな獲物を目の前にした時の興奮だけだった。
そのまま齧り付こうというのか、魔物は大きく顎を開いたまま、二人に迫った。
そんな魔物の目前にしながら、二人は静かに目を閉じていた。
ずっと逃げ回っていた所為か、二人の額にはポツポツと汗が浮かんでいる。
それが雫となって、静かに閉じられた瞳、そして形の良い顎を伝って、地面に落下する。
しかし、そんな事を気にする素振りも見せず、二人は互いの呼吸を合わせていく。
そして、”エル”の体を白色の薄光が。”シル”の体を黄色の薄光が覆っていく。
その光は、徐々に強さを増しながら、二人の間に結ばれた手を経路にしているかのように、それぞれの体に移っていった。
”エル”から”シル”に白色が。
”シル”から”エル”に黄色が。
やがて、それらは交じり合い。
二人の体を覆うのは、ある一色の光になった。
そっと、二人は目を見開いた。
目前に、魔物の姿を捉える。大きく顎を開き、二人を丸呑みしようとしている姿を。
だが、不思議と恐怖はどちらの胸にも無かった。
温かい何かに包まれているような、そんな気持ちよさだけがあった。
魔物が嬉々として二人に迫った、その時。
二人は互いの間に結ばれた手を、胸の高さまで掲げ上げ――――同時に叫んだ。
『創造!!』