果てしない恨みの因果 〜死の淵まで追い詰められるターゲット〜
車が1台、後方から近づいている事に気づいた。振り返ると、軽自動車が止まっている。再び歩き始めると、その軽自動車は動かなかった。
「偶然か…」
中堅不動産会社「ジーア」の社長、林田は最近、何かに尾行をされている様に感じていた。
「社長、疲れですよ」
林田は50代、威圧感を隠さない風貌は、そのまま会社の評価にも繋がっていた。強引な経営手法は、同業他社からも「業界の評価に悪影響が出る」と再三非難されていた。
「自浄作用なんかあるわけない」
社員達の口癖だった。嫌なら辞めれば良い、それが林田の考え方だった。
「ハラスメントなんてのは屁理屈だ」
林田は会社名義のBMWで通勤していた。運転の荒い林田は、常に周囲の車に威圧し続けていた。何台もの車がドライブレコーダーで撮影し、ネット上にもアップされていた。
「またあの車だよ…」
林田の粗暴な人格が、そのまま車と運転に表れていた。軽自動車からタクシー、ミニバン、トラックなど、林田の被害に遭った車は枚挙にいとまがない。ただし、自分と同じか、あるいはそれ以上の大きさの車の前では大人しくしていた。
ある日、林田は逮捕された。一般市民から提出されたドライブレコーダー映像が証拠となった。当初は取り調べにあたった刑事にも高圧的に対応していた。
「明確な証拠があるなら出してみろよ!」
「デカに噛みついても良いことはねぇぞ」
「邪魔な奴らを捕まえろや!」
「だからあんたも捕まったんだよ」
昨年まで組織犯罪対策部(通称:組対)暴力団対策係に所属していた大野警部は、全く動じることはなかった。
「今すぐ弁護士呼べ!話なんかしねぇ」
「分かった。だが今は取調べ中だ。刑事訴訟法39条2項に基づいて、時間は指定する」
大野の隣りにいた小林巡査部長が答えた。
林田が机を叩く。
「俺の権利だろうが!」
大野がゆっくり椅子にもたれる。
「あぁ、お前さんの権利だ。だがな、無制限に認められるわけじゃない」
留置場で夜を明かすことになった。これまで散々横暴を振るい、それに周りが従う事が当たり前だった林田。大野には一切それらが通用しなかった。当惑から次第に恐怖感に襲われ、全く休むことが出来なかった。
翌日、林田は釈放された。
「デカさんよ、俺の勝ちだな」
「勘違いするな、取調べが終わっただけだ」
「首を洗って待ってるよ、ハッハッハ」
林田は虚勢を張った。大野によってたった一晩で崩された自信を取り戻すのに必死だった。警察署の駐車場に押収されていたBMW。署員への当てつけのようにタイヤの音を立てて、急発進で道路に出た。
しばらく走ると、後ろから1台の軽自動車がずっと後をつけているように見えた。
「あの車…」
会社に戻ってからは、林田は逮捕と取り調べをまるで武勇伝の様に語った。しかし、どうしても軽自動車が頭から離れなかった。
翌日も、その翌日も。社長室の窓から軽自動車が見えた。林田は部下を呼び、軽自動車を確認するように伝えた。
「タクシーしかいませんでしたが」
「そんな筈はない!さっきはいたんだ」
「社長、軽自動車なんて幾らでもいますよ…」
「うるさい!嘘だと言うのか!」
手元にあったゴルフボールを社員に投げつけたが、手元が狂い、花瓶に当たった。花瓶が割れ、床が水浸しになった。
会社を出ると、軽自動車が見えた。林田が車を出すと、尾行してきた。林田は自宅までのコースを変え、時間を稼ぐためにゴルフ練習場に寄った。
「林田さん、スイングが鈍ってますね」
同じ常連から指摘されたが、苦笑いで返すのが精一杯だった。
ゴルフ練習場を出ると、軽自動車は見当たらなかった。何度ミラーで後方を確認しても、尾行は確認できなかった。
「思い過ごしだったか…」
自宅マンションが見えてきた。角を曲がれば地下駐車場への入口だ。遮断器が開き、スロープを降りていく。駐車枠はそれぞれ部屋番号毎に割り振られている。林田が自分の枠に近づき、急ブレーキを踏んだ。
そこには軽自動車が停められていた。
「あの野郎…」
林田がBMWを降りた。トランクから、ゴルフクラブを取り出し、軽自動車に近づいていく。室内は暗く、窓ガラスからは中を確認出来ない。首筋に汗が流れる。
エンジンがかかり、ヘッドライトが点灯する。ハイビームが林田に当てられ、目が眩んだ瞬間にけたたましい音を立てて外へと走り去った。
林田は膝から崩れ落ちた。直後に背後でホーンが鳴らされた。思わず耳を両手で塞いだ。さらに肩を叩かれ、ギョッとして振り向く。ランドクルーザーが止まり、誰かが立っている。ヘッドライトが背後から照らされているため、顔がわからない。
「あの…車動かしてもらえます?ここ通路ですよ」
居住者だった。
「だいぶ顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
林田は返事ができないまま、BMW乗り込み、移動させた。ランドクルーザーが去っていく。林田はBMWのリアバンパーを柱にぶつけた。
「あいつ…俺の部屋まで知っているのか…」
車を降りて何度も振り返りながら部屋に入ると、カーテンをすぐに閉めた。そして隙間から窓の外を見た。軽自動車はおらず、タクシーが1台止まっている。林田は棚からウイスキーのボトルを取り出し、一気飲みした。
朝を迎えたが、林田は二日酔いで朦朧としていた。吐き気は二日酔いの影響か、正体不明の軽自動車か…。車に乗れる状態ではなかった。しかし、今日は得意先との契約があるため、休むわけにはいかない。何とか着替え、カーテンの隙間からまた外を確認する。軽自動車はいない。カバンを持つと、その手が震えている。
エントランスから外に出て、タクシーを拾うことにした。休憩のために停まっていたタクシーが視界に入り、林田は走った。運転手が弁当を食べていた。
「今休憩時間なんですよ、勘弁し…」
「良いから乗せてくれ!金ならある」
強引に乗り込み、運転手のポケットに一万円札を無理矢理入れた。
「頼む!早く出してくれ!」
「何かあったんですか?」
「良いから!出せ!出してくれ!」
タクシーはゆっくり発進し、林田の会社へ向かった。冷や汗が止まらず、ハンカチで汗を拭い続けている。突然後ろからけたたましいホーンが聞こえた。後続のダンプカーだった。
「この野郎、煽ってんのか?」
運転手は窓から顔を出し、後ろに向かって怒鳴りつけた。ダンプはホーンを鳴らしたまま強引に左から追い越し、追い抜きざまに真っ黒の排気ガスを浴びせてきた。
「いやね、この道路は変なの多いんですよ。特にしょっちゅうBMWが周りを煽り散らしてね。あの野郎の顔見てみたいもんだ、ハッハッハ」
疲れ切った体で会社に着くや、社員達が驚いた顔で林田を迎えた。目の下には濃い隈が刻まれ、顔色はどす黒くなっていた。
「社長、なにかあったんですか…」
「構うな…それより、今日は一徳商事と契約があるだろ」
林田は営業部長の松澤と契約に向かった。「ジーア」は、関連企業でもある「国際建設」の意向で、ある地域の再開発のために、一体の土地を買い漁った。ところが1件だけどうしても立ち退かない家があった。高齢の九十九夫妻が営む弁当店だった。その地域では安くて美味しいと評判が良く、客足の絶えない店だった。
当時「ジーア」の平社員だった松澤は、この九十九夫妻の店に圧力をかけるべく、SNSで悪評を作り、弁当業者にキッチンカーを近隣に出すよう依頼し、圧力をかけた。これらが度重なり、九十九夫妻は店を閉め、その土地を去った。松澤は林田にその功績が認められ、営業部長へと昇格したのだった。
黙っていなかったのは、九十九夫妻の弁当を好んでいた人たちだった。ジーアが買い取った後、国際建設による中規模のテナントビル建設が始まったが、反対運動が絶えなかった。その中心となっていたメンバーを常に車でつけ回し、待伏せするといった無言の圧力をかけた。
「民事には立ち入れないんです」
反対運動のメンバーは何度となく警察へ足を運んだ。九十九夫妻への威圧による追い出し、メンバーへの尾行や待ち伏せは脅迫ではないのかと。
「その話、もう少し聞かせて下さい」
眼光の鋭い刑事が奥から出てきた。交通捜査係の刑事だった。
「私、以前組織犯罪対策部というところにいましてね」
メンバーは九十九夫妻の人柄、店の評判、地域での「子ども食堂」支援といった
活動など、多くの人に愛されていたことをその刑事に伝えた。
「かなり匂う案件ですね…今は交通なので大っぴらには動けませんが、探ってみます」
その刑事は名刺を差し出した。
[交通捜査係 警部 大野宏隆]
林田と松澤は一徳商事と、土地建物の取り交わし契約を締結した。その土地には、九十九夫妻がかつて弁当店を営んでいた場所も含まれている。
「いやぁ苦労しましたよ、あの年寄りには。さっさと施設にでも入れば良かったんだ」
帰りの車の中で、松澤は自慢気に語った。林田はその話を聞き、 つけ狙っているのは九十九夫妻ではないかと疑念を抱いた。二人の乗った車の数台後ろに、シルバーの日産セドリックがいる。しかし林田はこの車には気づかなかった。
会社に戻るとタクシーを呼び、林田は体調不良で帰ることにした。会社から出る際も、ずっと怯えていた。
「お客さん、だいぶ顔色悪いね。病院へ行こうか?」
林田の乗ったタクシーが赤信号で停車する。後ろを振り返ると、軽自動車がいた。
「ひ、ひぇぇやめてくれぇ」
林田は頭を抱えてリアシートに体を丸くし、身を隠した。
「お客さん!どうしたんだい。何があったんだい!」
林田が再度恐る恐るリアガラスを見ると、もう軽自動車は見えなかった。
「すぐ警察署へ行ってくれ!〇〇署!」
警察署の前でタクシーを降りると、林田は一目散に署内へ入った。
「大野って刑事に会わせてくれ!」
「どうしました?用件はこちらで聞きますよ」
「頼む!あの刑事に会わせてくれ!」
交通捜査係への内線に小林が出た。
「この前の林田が受付に来ている様です」
受付にいた警察官が林田を交通捜査係へ連れて来た。
「た、助けてくれ!殺される!」
「誰に?」
「誰って…九十九って老人だ!軽自動車で俺をつけ回しているんだ」
「明確な証拠があるなら出してくれよ」
林田は、九十九夫妻の事故に自身が関係したのではないかと思い始めていた。
「だから頼むよ、助けてくれ…」
「九十九って人があんたを追っているんだな?」
大野は警察の駐車場に林田を連れ出した。大きく壊れた軽自動車が置かれている。
「あんたを追っている軽自動車ってこれかい?運転していた人は亡くなっている。誰があんたを襲うんだ?」
林田は悲鳴を上げて警察署から飛び出した。通りに出て、若者が乗ろうとしていたタクシーに強引に乗り込んだ。
「大野さん、どうしますか」
「だいぶキテるな。よし行確(行動確認)だ」
小林の運転で、シルバーのセドリックが警察署の駐車場を出て、林田のタクシーを尾行した。助手席には大野が乗り込む。
林田はタクシーで自宅へ戻った。運転手に半身を支えられて、どうにかエントランスにたどり着いた。
「あんた、本当に病院行った方が良いって…乗せていくよ」
林田は言葉を発せず、運転手に一万円札を渡し、這うようにして自室へ帰った。大野と小林は、林田の部屋が確認出来る位置にセドリックを駐めた。
冷蔵庫に入れてあった缶ビール5本を次々に開けた後、林田は松澤にしばらく休む旨を連絡した。
夜も寝付けない林田は、カーテンの隙間から恐る恐る窓の外を見た。軽自動車はいない。が、黒い車が停まっていた。
霊柩車だった。
「こ、殺される…」
声は出ていなかった。
林田はBMWの鍵を取り、地下の駐車場へ走った。タイヤのスキール音を鳴らし、駐車場を飛び出した。張り込んでいた覆面パトカーのセドリックも尾行を始めた。
BMWは首都高速の入口に向かっている。林田は北陸にある別荘へ身を隠すことにした。夜中とはいえ、法定速度を明らかに超え、周りの車を縫うように追い抜いていた。
林田がルームミラーを見ると、ぴったりとついて来る霊柩車が見えた。
首都高速に入ったBMWは、いよいよ速度を上げた。追走する覆面パトカーのスピードメーターは140キロを超えた。その間もBMWはさらに速度を上昇させ、減速する気配がない。
「止めるぞ」
屋根に付けられた蓋が反転し、赤色灯が出た。サイレン音が闇夜に鳴り響く。大野はマイクを取った。停止を促すが、止まる気配がない。
覆面パトカーがさらに加速し、BMWに並んだ。
「止めるんだ!」
林田には大野の声は届かない。
「俺は何もやっちゃいない!殺されてたまるか!」
覆面パトカーから逃げているのではない。正体の知れない何かから逃げているのだ。軽自動車が、霊柩車、ずっと追いかけてきている…林田は朦朧とする意識で、目の前の景色が歪んで見えていた。呼吸が浅くなり、額から汗が滴る。
BMWの前に霊柩車がまわりこみ、急ブレーキをかけた
「ぐあぁぁ」
路肩にBMWが停車した。運転席の窓ガラスが叩く音がする。林田は両耳を塞ぎ、身体を震わせている。
「開けなさい、ロックを外せ」
大野の声だった。
「小林君、救急車を要請して!」
大野はガラスハンマーで運転席のガラスを割り、ドアを開けた。
「れ、霊柩車が…前に…」
林田は大野の足元にしがみついた。
「何もいないぞ、大丈夫か」
「良いから助けてくれ…」
悲鳴のような声で大野へ懇願する。
林田は救急車で運ばれ、警察の指定医が診断した上で、措置入院となった。
刑事部屋に戻った大野と小林。小林がコーヒーを入れる。
「小林君、幽霊って信じるかい?」
大野は腕組みをして呟いた。
「え?」
「奴は何から逃げているんだろうか…」
林田が入院中も、九十九夫妻の事故に関する捜査は続けられたが、確定的な証拠がなく難航した。1ヶ月後、指定医から短時間の面会が許可された。
「俺を助けてくれ!」
「これ以上助けようがない」
「霊柩車が今日も止まってるんだ…」
「病院なら霊柩車も来るだろう」
「誰かが俺の部屋を覗いていやがる」
面会に同行していた医師がストップをかけた。これ以上は無理と判断された。当面、措置入院は継続となった。
小林が新聞を開いて、大野に見せた。
「『ジーア』って、林田の会社ですよね」
[松澤斗司夫さんの車が、〇〇県にある林道に放置されていた。松澤さんは不動産会社『ジーア』の社員で、一週間前から行方が掴めなくなっている]
地元警察署で、車のドライブレコーダーを確認する。最後の映像は、正面から霊柩車。後方の映像には、ハイビームにした軽自動車が映っていた。
数日後、大野と小林は医師に林田の容態を聞くため、措置入院中の病院を訪れたが、再度の面会は断念した。大野と小林は、病院の駐車場に止められた覆面パトカーに乗り込む。
「あれだけの会社を興したのに、奴は何を得たんだろうかな」
大野と小林が病院を出るのと入れ違いに、2台の車が入っていった。
終




