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お義母様、それは私が殺しましたが、何か問題でも?〜復讐完遂令嬢は次の人生を無双する〜  作者: 和三盆


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第9話:扉を叩く音

音が、最初に来る。

小さく、しかし確かな振動が床に伝わる。人の心が止まる前の短い間。アリエルはその「間」を聴き取れる。


窓辺の影。銀の羽が、胸ポケットでかすかに鳴る。黒鴉の印と、彼らが示した札の重さが掌にある。だが今夜、彼女の手にあるのは――さらに重い一枚の紙だ。赤い縁取り。マリオの隠し口座の転記帳。そこには、不自然な流れと、見慣れた印章の欠片が散っていた。


「証拠は、見つけるもの。私が示して差し上げましょうか?」


あの日、セリオンの目が揺れた瞬間。彼はそれを見逃さなかった。だが、真正面から示すのではない。アリエルはいつだって、相手の手で自滅させる。相手が自らの首を締める糸を、彼女は丁寧に結うのだ。


セリオンが来たのは夜半近く、表向きは王宮の「確認」。だが実際の目的は違う。彼の胸には、秩序を守るという鉄の意志と、正義に対する飽くなき好奇心が同居している。剣は外してある。だがその代わりに、目の奥の光が鋭い。


「侯爵令嬢、何を企んでいる」——問いは短い。刃の代わりに言葉が振るわれる。


アリエルは机の上のランプを指で回し、炎の揺らぎで彼の輪郭を描く。目の動きが、会話の半分を終わらせる。短い沈黙。そこに含まれる情報量を、彼女は分刻みで計算する。


「私は、家の真実を整理しているだけです」

言葉は柔らかい。だがその奥にある意思は岩のように硬い。


セリオンは一歩踏み込む。が詰まる。ランプの影が二人の顔に別の表情を落とす。


「では、見せてくれ」


彼が差し出したのは王宮の小判。表向きの確認の札。だが周囲の視線を集めたら、すべては計画に変わる。アリエルはそれを受け取り、机の引き出しを開けた。閉じられていた場所から取り出したのは、薄い帳面。一見、日常的な出納帳だが、彼女の指先がめくるたびに頁の裏に隠された一行が姿を現す。


「この数字、そしてこの印章。見覚えはありませんか?」


セリオンは頁を覗き込む。眼の奥で、筋が走る。印章の輪郭が、ある人物の名と重なる。近衛のある幹部の私的口座に振り込まれた痕跡。刻印の欠片。小さなミス。人の手は完璧ではない。致命的な痕跡は、いつだって細部に宿る。


彼は、たった一語を吐いた。

「セリオン……」


その言葉は祈りにも罰にも聞こえた。セリオン自身、胸の内で何かが崩れるのを感じた。疑念は刃となって逆に自分を切る。


アリエルの口元が、ほんの少し持ち上がる。勝利の笑みではない。確認済みの痛み。だがその痛みは美しい計算の一部だった。


「私は誰を傷つけるかを選んでいる。無差別ではない。秩序に傷をつけず、真実を浮かび上がらせるだけ」

彼女の声は穏やかだ。だがそこに説得力がある。外交的で、冷徹で。


セリオンは机の椅子にもたれ、指先で頁を撫でる。時間がゆっくりと溶けるように流れる。外では遠く鐘が一回鳴った。王都の夜は、外套の下で呼吸を整える。


「君は知っているのか、これがどれほど危険かを」

セリオンが言う。言葉の先に、責任の重さが垂れ下がる。


アリエルは答える。短く、確実に。

「わかっています。だから、やります」


その時、扉の外で音がした。軽い、しかし規律のある足取り。黒鴉の者が置いた札とは別の、王宮からの正式な使者の音だ。二人は立ち上がる。外套の襟が窓の風に揺れ、堅い影が廊下を走る。


「王の命により――侯爵家に対する追加の調査が命じられました。直ちに王宮へ参内を」

使者の声は平淡だが、札に押された王の印は重い。部屋の空気が一気に凍る。


アリエルは札を受け取り、目を細める。舌先に甘い金属の味がする。セリオンは無言で立ち尽くす。これは彼女の望んだ状況か、それとも罠か。彼は自問する。


剣を持たぬ者の前では、言葉が刃になる。王の召集は、すべてを覆す。公の場で露見することは──秩序と混乱の境目だ。アリエルの計画は確かに動いた。だが王の関与は思ったよりも早かった。


「王宮の道具になるつもりはない。だが、証拠を抱えて王の前に立つのは……危険ではあるが、最も効果的だ」

アリエルの声が、静かに震える。彼女は自分の胸の内の震えを、玉のように包み込んで言葉に変える。夜空の月が一瞬、顔を覗かせたように思えた。


セリオンが一歩近づく。彼の表情は変わった。警戒から、計略へ。彼は選択を迫られている。秩序を守る男か――真実を暴く男か。


「君と私は、異なる秤を持っている」

彼は低く、しかし明瞭に言った。

「だが今夜、共に王宮へ向かう。私は君の手を止めはしない。ただし……公の場での行為は、私が責任を負う」


アリエルは彼を見返した。目の動きが短く合う。間。信頼は通貨では買えないが、時に交換可能だ。彼女は頷く。短い、機械的な動作ではない。意志の輪郭を帯びた頷きだった。


王宮への道は冷たい石畳を渡る。護衛の列が二人を囲む。道行く人々の目が、薄く注がれる。噂は風に乗り、城壁の裂け目から漏れてくる。誰かが囁き、誰かが祈る。


城門を潜り、広間に入ると――光が違った。堅牢な空気、王の瞳。会議室には既に幾つかの顔が揃っていた。ヴァレン伯の額にはしわが深く刻まれ、王は静かに二人を見下ろす。周囲には、近衛と幾人かの高位貴族。夜の静けさは、ここにはなかった。


アリエルは胸の中の帳簿を指で押さえた。ページの端が引っかかる感覚。彼女は深呼吸をする。全員の視線が彼女に収束する瞬間、時間がすこしだけ伸びた。人が息を呑む音を、彼女はまざまざと数えた。


そして、彼女は口を開ける。言葉は短く、刃のように鋭い。


「侯爵家の家令、マリオ・デュランの口座には、王宮幹部に送金された履歴がございます。ここに、私が調査で確認した帳簿を提出します」


紙を差し出す。ヴァレンの指が一瞬、止まる。セリオンの目線が微かに動く。王の顔に、曇りが落ちる。


大きな扉の向こうで、誰かが小さな笑いを漏らす。あるいは嗤うのかもしれない。だが部屋の温度は下がった。均衡は、いつだって危うい。


最後に、窓の外から黒い羽が一枚、ゆっくりと舞い落ちたように見えた。だが誰もその羽根には気づかない。気づくのは、選ばれた者だけだ。

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