第76話:別の言葉で
朝。
北通りの市場で、
最初に声を出したのは――
商人だった。
大声ではない。
呼び込みでもない。
ただ、帳面を閉じながら、
隣に立つ商人に言った。
「……今月、
数字が合わない」
それは、愚痴の形をしていた。
「売れてないのに、
仕入れも減ってない」
「……人が、
避けてるだけだ」
二人は、視線を交わす。
それ以上、言葉は続かない。
だが――
数字は、嘘をつかない。
アリエルは、その会話を聞いていた。
(来た)
(怒りでも、恐怖でもない)
(損失という言葉)
昼。
王宮の文官局。
若い文官が、集計表を差し出す。
「……市場税の入金が、
鈍っています」
「想定より、
二割ほど」
上官は、眉を寄せる。
「季節要因では」
「それにしては、
全域で同時です」
「北通りだけではありません」
沈黙。
数字は、
言い訳を許さない。
「……原因は」
若い文官は、
一枚、別の紙を出す。
「正式記録ではありませんが」
「商人組合の内部資料です」
――客足、減少。
――滞留、忌避。
――“関わらない”傾向、固定。
文官は、
初めて、言葉を選ばずに言った。
「……怖がらせすぎました」
上官は、否定しない。
夕方。
相談所に、
治安兵が一人、来る。
武装はしていない。
外套も、簡素だ。
「……仕事の相談では、
ないんですが」
セドリックは、頷く。
「構いません」
治安兵は、帽子を外す。
「……あの人」
「戻って、
また消えた人」
「俺、
巡回で見ました」
場の空気が、張る。
「……どうでしたか」
「……命令通りでした」
「触るな。
話すな。
見ろ、だけ」
彼は、拳を握る。
「……でも」
「見せるつもりが、
見られてた」
沈黙。
「俺たちが、
怖がってるのを」
「市民に」
その言葉は、
重かった。
アリエルは、
その因果を確かめる。
(圧をかける側が、
自分の姿を意識し始めた)
(遅いが――
致命的だ)
夜。
市場の裏で、
紙が置かれる。
今日は、三行ではない。
――売れない。
――怖いからじゃない。
――来ないからだ。
感情ではなく、
理由。
それは、
読む人を選ばない。
王宮に、夜の報告が届く。
――市場税、減収傾向。
――治安兵の士気、低下。
――恐怖施策、効果頭打ち。
文官長は、
深く息を吐いた。
「……違う言葉で、
語られ始めたな」
「はい」
「質問でも、
噂でもない」
「計算です」
その一言で、
部屋の空気が変わる。
恐怖は、
耐えられる。
だが、
損は、続かない。
アリエルは、
夜風に当たりながら思う。
(象徴は、
人じゃなかった)
(生活だった)
(それを、
別の言葉で語り始めた)
次は――
この言葉を、誰が公にするのだろう。




