第74話:戻り方
朝、市場に人が戻った。
正確には――
戻る理由を探すために、集まった。
北通りの裏。
昨日まで空いていた場所に、
今日は人の輪ができている。
誰も声を張らない。
だが、足は止まる。
理由は、一つ。
あの人が、いた。
生きている。
歩いている。
ただ――別人のように。
衣服は変わっていない。
怪我も、見えない。
だが、目が、違った。
焦点が合っていない。
人を見ているのに、
“誰も見ていない”目。
「……戻った?」
誰かが、呟く。
答えは、出ない。
彼は、何も言わない。
問いかけにも、反応しない。
ただ、
掲示板の前に立ち、
紙を見ている。
それだけ。
(……そう来たか)
アリエルは、胸の奥で息を吐いた。
(殺していない)
(消してもいない)
(壊した)
昼。
相談所に、彼が連れて来られる。
付き添いはいない。
本人の意思でも、ない。
市場の女が、水を差し出す。
「……覚えていますか」
返事は、ない。
セドリックが、慎重に言う。
「拘束された理由は」
沈黙。
「どこへ、
連れていかれたか」
指が、わずかに動く。
床を、なぞる。
線。
四角。
扉。
それだけ。
(情報は、
切り落とされている)
(記憶じゃない)
(語る力だ)
午後。
王宮では、報告が上がる。
――拘束対象、解放。
――精神的混乱あり。
――外部への影響、限定的。
文官長は、頷いた。
「適切だ」
「戻した」
「だが、
“話せない”状態で」
部下が、躊躇いがちに言う。
「……市場の反応が」
「静かです」
文官長は、満足そうに息を吐く。
「なら、問題ない」
「見せしめは、
成功だ」
だが。
市場は、静かではなかった。
沈んでいた。
人は、彼を見る。
そして、互いを見る。
(戻った)
(でも――)
(戻ってきていない)
夕方。
あの妹が、彼の前に立つ。
「……お帰りなさい」
彼は、反応しない。
彼女は、続ける。
「質問、
しなくてよかったですね」
その瞬間。
彼の指が、止まる。
床をなぞる指が、
空中で、震えた。
声は、出ない。
だが、息が、乱れる。
(……聞こえている)
(でも、
言葉にできない)
アリエルは、その様子を見る。
(これが、
“安全な解放”)
(命は、ある)
(だが――)
(人としての危険を、
背負わされた)
夜。
市場で、囁きが変わる。
「戻ったら、
ああなる」
「なら、
消えた方がいい」
「いや……」
「戻らない方が、
マシだ」
その言葉が、
一番、重い。
王宮に、夜の報告が届く。
――市場の動線、変化。
――掲示板前の滞留、減少。
――会話量、低下。
文官長は、紙を見て言う。
「……効いている」
若い文官は、言葉を選ぶ。
「……恐怖が、
“未来”に向いています」
「今だけでなく」
「……人が、
選ばなくなっています」
文官長は、顔を上げない。
「選ばないのは、
安全だ」
その言葉が、
夜に残る。
アリエルは、外套を整える。
(戻したことで)
(王宮は、
正当性を得たと思っている)
(だが――)
(“戻り方”を、
全員が見た)
それは、
殺しよりも、
長く残る。
(次はこの“戻り方”を、
誰が、どう語るか)




