第71話:声にならない共有
線が引かれてから、三日。
市場は静かだった。
あまりにも、静かすぎた。
呼び込みの声はある。
値切りのやり取りもある。
だが――質問がない。
「これ、昨日より高くない?」
その一言が、消えた。
人々は、値札を見る。
互いの顔を見る。
そして、何も言わずに去る。
アリエルは、その流れを眺めていた。
(抑え込まれたのは、混乱じゃない)
(確認する癖だ)
相談所にも、変化が出ていた。
来訪者は減った。
だが、残された紙束は、増えている。
「……これ」
市場の女が、机に広げる。
紙切れ。
端が切り取られ、名前はない。
内容は、短い。
――昨日、北通りの掲示と南通りの掲示、文言が違う。
――治安兵の巡回時間、三日前から十分早い。
――窓口で渡された番号札、隣の人と同じ番号。
「誰も、
質問には来ない」
セドリックが言う。
「でも、
報告は増えている」
(声にしない共有)
(……来たな)
アリエルは、紙を一枚取る。
文字は、震えていない。
感情を削ぎ落とした、事実だけ。
(恐怖は、
人を黙らせる)
(でも――
考えるのは止められない)
昼。
王宮文官局。
集計表を見た若い文官が、眉をひそめる。
「……窓口への質問、
ほとんど来ていません」
上官は、満足そうに頷いた。
「当然だ」
「不要な混乱は、
なくなった」
「ですが……」
若い文官は、言い淀む。
「非公式の記録が、
外で回っているようで」
「数字が、
微妙に合いません」
上官は、手を止めた。
「……どんな記録だ」
「出所不明です」
「噂、というほど雑ではなく」
「事実確認、
というほど正式でもない」
一拍。
「……厄介だな」
その夜。
市場の裏路地。
灯りの少ない場所で、紙が手渡される。
「これ、
昨日の分」
「ありがとう」
言葉は、それだけ。
説明も、感想もない。
だが、
紙は次の手に渡る。
――掲示は変わっている。
――理由は書かれていない。
――誰も、説明しない。
説明がないから、
比べる。
比べるから、
気づく。
アリエルは、外套の影で、その流れを感じ取る。
(管理された沈黙は、
情報を消さない)
(形を変えるだけだ)
翌朝。
相談所に、あの老人が来た。
帽子は被らず、背筋は伸びている。
「……窓口から、
返事は来なかった」
「でも」
彼は、紙を差し出す。
「これを、
見せられた」
同じ番号札。
同じ日付。
別の地区。
「……偶然、ですかね」
セドリックが問う。
老人は、静かに首を振った。
「偶然なら、
説明がつく」
「説明がないから、
偶然じゃない」
(言葉が、
整理されてきた)
(危ない兆候だ)
昼過ぎ。
王宮に、非公式な報告が届く。
――質問件数、減少。
――だが、掲示変更への反応速度、上昇。
――市民の行動、事前調整されている形跡あり。
文官長は、書類を叩いた。
「……誰が、
まとめている」
「特定できません」
「名前が、
どこにもない」
沈黙。
「……線を、
引き直す必要があるな」
その言葉が、
静かに落ちる。
夜。
アリエルは、紙束をまとめる。
(大筋は、変わっていない)
(王宮は管理する)
(人は、考える)
(ただ――)
(主導権が、
少しだけ揺れた)
彼女は、灯りを消す。
(次は、
この“共有”を)
(誰が、
危険だと判断するか)




