第67話:成功の影
成功例は、
人を呼ぶ。
それも――
一番、重い人間を。
昼過ぎ。
相談所の前で、
立ち尽くす男がいた。
年は若い。
服は、きちんとしている。
だが、
靴のつま先が、
わずかに震えていた。
「……ここは」
「相談所です」
本屋の主人が、
いつものように答える。
男は、
深く息を吸い――入った。
椅子に、座る。
両手を、膝の上に置く。
「……成功したと、
聞きました」
(来た)
アリエルは、
因果が沈むのを感じた。
「どの件を?」
セドリックが、
静かに聞く。
「……殴られた兵の件」
「王宮が、
動いたって」
「ええ」
男は、
少し笑う。
「だから……
ここなら、
間に合うかと思って」
一拍。
「……妹が、
戻ってきません」
空気が、
はっきりと変わる。
市場の女が、
言葉を選ぶ。
「いつから、ですか」
「五日前」
「理由は?」
「……虚偽情報の疑い、
だと」
(拘束案件)
(……未対応)
セドリックは、
記録の端に書いた文字を思い出す。
【拘束案件】
(これだ)
「妹さんは、
どこへ連れて行かれたか、
分かりますか」
男は、
首を振る。
「聞いても、
教えてもらえません」
「正式窓口にも、
行きました」
「……“精査中”と」
(重すぎる)
(成功例の、
外側だ)
沈黙。
本屋の主人が、
小さく言う。
「……これは」
「ええ」
セドリックは、
頷く。
「すぐに、
解放を約束できる話ではありません」
男は、
分かっている、という顔をした。
「……それでも」
視線を上げる。
「ここなら、
消されませんよね」
その言葉が、
重く落ちる。
(……成功の影だ)
アリエルは、
因果が絡み合うのを見た。
(成功したからこそ、
ここに来た)
(成功したからこそ、
期待してしまった)
「記録は、
残ります」
セドリックは、
慎重に言う。
「王宮とも、
共有されます」
「それで、いいです」
男は、即答した。
(覚悟が、
できている)
記録は、
丁寧に書かれた。
名前。
日時。
拘束理由。
不明。
紙の白が、
やけに広い。
夕方。
王宮に、
報告が届く。
――拘束案件、
――相談所経由にて正式記録。
文官長は、
一瞬だけ、眉を動かした。
「……ついに、来たか」
「対応は?」
「……慎重に」
それ以上、言わない。
慎重、という言葉が、
時間を意味することを、
皆が知っている。
夜。
相談所に、
男は残っていた。
「……今日は、
何も決まりませんか」
セドリックは、
正直に答える。
「はい」
男は、
俯いた。
怒らない。
泣かない。
ただ、
息を吐く。
「……分かりました」
立ち上がり、
一礼する。
「……ここに、
来てよかったです」
その言葉が、
胸に刺さる。
(良かった、で終わらせていいのか)
アリエルは、
静かに思う。
(成功例は、
希望を作る)
(同時に、
絶望の比較対象にもなる)
男が、
去る。
相談所に、
沈黙。
ローレンが、
低く言う。
「……これを、
どう扱う」
「ええ」
アリエルは、
外套を整える。
「成功した場所は、
失敗も、
背負うことになります」
「隠せなくなる」
灯りが、
揺れる。
成功は、
守ってくれない。
成功は、
次を呼ぶ。
それが、
一番の影だ。




