第66話:成功例
最初の一件は、
静かすぎるほど、うまくいった。
朝。
相談所の前に、
王宮の文官が立つ。
若い。
だが、服は整っている。
「本日から、
こちらを正式連携窓口として扱います」
声は、柔らかい。
拒否も、命令もない。
ただの宣言。
(“成功”を、
先に用意してきた)
アリエルは、胸の奥で息を整えた。
昼前。
相談所に、
老女が来る。
腰が曲がり、
指先が震えている。
「……孫が、
兵に殴られました」
理由は、
通行証の不備。
些細な話。
だが、血は出た。
セドリックは、
王宮文官に視線を送る。
「記録します」
文官は、頷いた。
紙に、書く。
名前。
時刻。
担当兵の所属。
老女は、
何度も頭を下げる。
「……それだけで、
いいんです」
「それだけで?」
「はい」
(……軽い)
だが、
軽いからこそ、
通る。
夕方。
結果が、戻る。
担当兵は、
配置転換。
上官から、
口頭注意。
老女に、
正式な謝罪。
それだけ。
それだけだが――
前例になる。
市場に、噂が流れる。
「相談所に行ったら、
本当に動いたらしい」
「王宮が、
謝ったって」
「……殴られただけで?」
“だけ”という言葉が、
希望に変わる。
夜。
相談所は、
少しだけ、忙しい。
だが、
誰も声を荒げない。
(成功例は、
人を黙らせる)
ローレンが、
低く言う。
「……これで、
信頼は取れるな」
「ええ」
アリエルは、
窓の外を見る。
(でも)
(これは、
払える代償だった)
成功例とは、
いつもそうだ。
誰も、
深く傷つかない。
だから、
使われる。
王宮。
文官長が、
報告を読む。
「……良い流れだ」
「民の不満も、
ガス抜きになる」
「暴発は、
防げるな」
紙を、閉じる。
「しばらくは、
これでいい」
(……“しばらく”)
アリエルは、
その言葉に、
小さく息を吐いた。
相談所。
老女が、
帰り際に言う。
「ありがとう」
「助かりました」
本屋の主人は、
曖昧に笑う。
「……いえ」
夜。
セドリックは、
一人、記録を見直す。
成功例。
円満解決。
だが――
紙の端に、
小さく書き足す。
【未対応】
【拘束案件】
【失踪】
(重い話は、
まだ、ここに来ていない)
(……いや)
(来ている)
(来られないだけだ)
成功例は、
安心を与える。
同時に――
限界を隠す。
アリエルは、
因果の奥で、
次の波を見る。
(成功は、
失敗を呼ぶ)
(人は、
“次もいける”と、
思ってしまう)
相談所の灯りが、
夜更けまで、
消えなかった。




