第65話:扱えない話
相談所には、
規則がなかった。
だから、最初は――
誰も困らなかった。
本屋の主人が話を聞き、
市場の女が頷き、
セドリックが記録を取る。
愚痴。
不安。
「昨日、怖かった」という言葉。
それらは、
置いていけば軽くなる。
だが――
置けない話が、来る。
午後。
扉の前で、男が立ち止まった。
外套の裾が、擦り切れている。
「……ここは」
「相談所です」
本屋の主人が答える。
男は、少し迷い――入った。
椅子に座らない。
立ったまま、言う。
「昨日、弟が捕まりました」
空気が、変わる。
「虚偽情報、だそうです」
「何を言ったんですか」
市場の女が、静かに聞く。
男は、首を振る。
「分かりません」
「分からないまま、
連れて行かれました」
(……来た)
アリエルは、因果が重く沈むのを感じた。
(相談では、
足りない)
セドリックは、ペンを止めた。
「今も、戻っていませんか」
「はい」
沈黙。
本屋の主人が、口を開く。
「……それは」
言葉が、続かない。
誰も、悪くない。
だが、誰も、解決できない。
「ここは」
セドリックが、低く言う。
「解放を約束する場所ではありません」
男は、頷いた。
「分かっています」
一拍。
「でも」
拳を、握る。
「どこに行けばいいか、
教えてください」
(……質問だ)
だが、
答えがない質問。
セドリックは、目を閉じた。
(扱えない)
(でも、
追い返せない)
「……王宮に、
正式な窓口があります」
「そこでは、
記録が残ります」
男は、笑った。
乾いた笑い。
「……もう、
記録は残ってるでしょう」
それ以上、言わない。
言えない。
男は、頭を下げて出ていく。
扉が閉まる。
相談所に、沈黙。
ローレンが、低く言う。
「……限界だな」
「ええ」
アリエルは、頷く。
「“話を聞く”だけでは、
足りない段階に来た」
その夜。
王宮から、使者が来る。
丁寧な服装。
穏やかな声。
「自主相談所について、
正式に協議したい」
セドリックは、断らなかった。
翌朝。
相談所の布の横に、
もう一枚、紙が貼られる。
――王宮連携窓口(試行)。
小さな文字。
だが、意味は大きい。
(……来た)
アリエルは、息を吸う。
(関与は、
助けにもなる)
(同時に、
刃にもなる)
市場では、囁きが走る。
「王宮が、
関わるらしいぞ」
「じゃあ、
安全なのか?」
「……さあな」
安全、という言葉が、
誰の口にも馴染まない。
昼。
相談所に、
さっきの男が戻ってくる。
紙を見て、
立ち尽くす。
「……ここで、
弟のことを言っていいんですか」
セドリックは、
一瞬、迷い――答えた。
「……言えます」
「ただし」
一拍。
「私も、
王宮も、
同時に知ります」
男は、
ゆっくり頷いた。
「……それで、いい」
(選んだ)
アリエルは、因果が分岐するのを見た。
(扱えない話を、
扱う場所に変えた)
だが――
それは、
引き返せない一歩。
相談所は、
もう、ただの相談所ではない。
名前が、
重くなった。
王宮は、
関与した。
市民は、
委ねた。
残る問いは、一つ。
誰が、
結果の責任を取るのか。
その答えは、
まだ、書かれていなかった。




