第53話:最初の一人
最初の一人は、目立たなかった。
英雄でも、扇動者でもない。
声を上げ続けた人物ですらない。
ただの――父親だった。
朝、箱が一つ消えた。
市場の裏。井戸の横。
代わりに、兵が一人立っている。
「ここに置かれていた箱は?」
誰かが、そう聞いた。
兵は、答えなかった。
その日の昼、噂が回る。
「捕まったらしい」
「誰が?」
「……分からん」
分からない、という事実が、空気を冷やした。
(来た)
アリエルは、通りの向こうで立ち止まる。
因果が、一点に集まり始めている。
恐怖ではない。
怒りでもない。
計算。
人は、捕まる理由を探す。
そうしないと、次が自分になる。
ローレンが、低く言った。
「見せしめだな」
「ええ」
アリエルは、頷く。
「しかも、選び方が巧妙です」
昼下がり、治安詰所の前に人だかりができた。
叫ぶ者はいない。
泣く者もいない。
ただ、立っている。
扉の前で、兵が言った。
「解散しろ」
「……誰が、捕まったんだ」
一人が、絞り出すように言う。
兵は、短く答えた。
「規則違反者だ」
「何をした?」
「……話した」
沈黙。
それ以上、説明はない。
(最悪の言い方)
アリエルは、視線を伏せる。
(“何を話したか”を言わない。
だから、人は自分で線を引く)
怖くて、狭い線を。
老女が、震える声で言った。
「うちの息子じゃ……ないよね」
誰も、答えない。
そのとき、詰所の裏口が開いた。
男が、一瞬だけ見える。
顔色は悪いが、殴られてはいない。
鎖もない。
(……壊してはいない)
だが。
彼の因果は、深く削れている。
(これが狙い)
身体ではない。
心でもない。
周囲との繋がり。
「帰れ」
兵が言う。
人々は、ゆっくりと散った。
誰も抗議しない。
(閲覧数が落ちる局面って)
アリエルは、思う。
(こういう空気だ)
派手な事件はない。
でも、息が詰まる。
その夜。
箱が、一つも置かれなかった。
静かすぎる街。
ローレンが、言う。
「止まったな」
「ええ」
アリエルは、窓の外を見る。
「だから――ここが底です」
翌朝。
一枚の紙が、治安詰所の前に置かれていた。
箱ではない。
紙一枚。
――あの人は、何を話しましたか。
それだけ。
兵が、紙を見下ろす。
拾わない。
昼には、二枚になった。
――話した内容を、教えてください。
夕方には、五枚。
誰も、声を出さない。
集まらない。
でも――問いだけが残る。
(……上手い)
ローレンが、感心混じりに言う。
「誰も、規則を破っていない」
「ええ」
アリエルは、静かに答える。
「質問は、禁止されていません」
兵の一人が、紙を拾った。
読んで、眉をひそめる。
――子どもの夜泣きが、止まらない。
彼は、紙を戻した。
その夜、詰所の灯りが消えなかった。
(最初の一人は、
犠牲じゃない)
アリエルは、確信する。
(始点だ)
王宮は、次に選ばなければならない。
さらに捕まえるか。
それとも――答えるか。
どちらを選んでも、
もう、戻れない。
アリエルは、外套を羽織る。
(物語は、また動き出した)
静かに。
しかし、確実に。




