第50話:秩序は、剣を選ぶ
王宮の鐘は、警告ではなかった。
合図だった。
広場の端で、鎧の擦れる音が重なり始める。整列した近衛兵。盾と槍。隊列は崩れない。怒鳴り声もない。淡々と、前へ。
(……来た)
アリエルは、紙を持つ人々の間に立ったまま、深く息を吸う。因果が、硬くなる。街の空気が、一段冷えた。
「解散せよ」
隊長の声は低い。感情がない。
「王命だ」
ざわめきが、波のように広がる。
代表の円にいた人々が、互いを見る。逃げ道を探す視線。怒りより先に、不安。
(力で終わらせる気)
ローレンが、短く言う。
「民を傷つけずに、声を止める手だ」
「ええ」
アリエルは、頷いた。
「だから――ここで、切らせない」
彼女は、一歩前に出る。
盾の列の、ちょうど手前。
「この集まりは、暴動ではありません」
隊長は、眉一つ動かさない。
「秩序を乱している」
「秩序は、誰のものですか」
静かな問い。
「王国の」
「王国は、誰でできていますか」
間。
(……答えない)
隊長は、槍をわずかに上げた。
「退け」
その瞬間、因果が跳ねる。
兵の列の背後――別の線。細く、鋭い。
(上からの、追加命令)
アリエルは、目を閉じ、開く。
(使う)
異能〈因果断絶〉。
だが、切るのは“人”ではない。
彼女は、兵と民の間に走る命令の線を見据え、指先で――撫でる。
断ち切らない。
絡ませない。
滑らせる。
命令は、伝わる。
だが、解釈が揺れる。
「……?」
先頭の兵が、一瞬、足を止めた。
「退け、の意味が……」
後列が、ざわつく。
「押し返す、だよな?」
「捕縛じゃないのか?」
(来た)
アリエルは、声を張らない。
ただ、聞こえる距離で言う。
「誰も、刃を向けろとは言われていません」
隊長が、鋭く睨む。
「黙れ!」
だが、もう遅い。
命令は、刃だった。
今は――鞘に戻った。
老女が、一歩前に出る。
「帰れって言うなら、帰るよ」
彼女は、紙を掲げる。
「でも、これは残す」
兵が、迷う。
若い兵の因果が、震えた。
(……彼も、民)
アリエルは、続ける。
「解散は、できます」
彼女は、盾を見る。
「でも、回収は、命じられていない」
沈黙。
隊長の背後で、使者が走り込む。
低い声。短い指示。
(……圧を、上げた)
隊長は、歯を食いしばり、言う。
「本日は、ここまでだ」
兵が、一斉に後退する。
盾が下がる。
息が、広場に戻った。
(……剣は、抜けなかった)
だが、代償はある。
アリエルの視界で、王宮から伸びる因果が、太く、暗くなる。
ローレンが、肩越しに囁く。
「敵に回したな。完全に」
「ええ」
アリエルは、紙を拾い上げる。
「でも、民を敵に回さずに済んだ」
人々が、静かに散り始める。
逃げるのではない。
持ち帰るために。
(声が、家に戻る)
それは、次に繋がる。
鐘が、もう一度鳴る。
今度は、王宮の内側。
(……来る)
力で抑えきれないと知ったとき、
彼らは――法を持ち出す。
アリエルは、空を見上げた。
(秩序が剣を選ぶなら)
彼女は、紙を胸に抱く。
(私は、理由を選ぶ)




