第42話:偶然を、編み替える
王宮の夜は、昼よりも饒舌だ。
人の足音。
書類の擦れる音。
密談の気配。
アリエルは西棟の小さな客間で、一人椅子に腰掛けていた。灯りは落としている。窓から入る月光だけが、床に細い線を引いていた。
(……来る)
根拠はない。
だが、因果がそう告げている。
「入っていい?」
控えめな声。
ローレンだ。
「どうぞ」
彼は扉を閉め、室内を見回す。
「警備は厚くした。
表向きは“事故防止のため”だが……」
「ええ、ありがとう」
アリエルは、テーブルの上に置かれた小さな紙束に視線を落とした。
今日一日で集めた、些細な情報。
・どの回廊で、どの時間帯に人が多いか
・誰が、どこで“偶然”に居合わせやすいか
・王宮の“安全対策”が、どこで形骸化しているか
どれも、単体では無意味。
だが――
(繋げば、線になる)
「本当に、やるのか?」
ローレンの声は低い。
心配と覚悟が、同居している。
「ええ」
アリエルは、因果の糸を見る。
今夜、この部屋へ向かって伸びる一本の黒い線。
(落下事故は失敗した。
次は……“誤解”か)
「標的は?」
「私」
ローレンは苦く笑う。
「分かってた」
そのとき、扉の向こうで足音が止まった。
――ノック。
「アリエル様。
少し、お時間をよろしいでしょうか」
若い侍女の声。
昼間に見かけた顔だ。
(来た)
アリエルは立ち上がる。
「ええ、どうぞ」
扉が開き、侍女が入ってくる。
手には盆。
湯気の立つハーブティー。
「お疲れでしょうから……」
彼女の因果は、薄い。
操られているだけだ。
(このまま飲めば、
“体調不良”という偶然が起きる)
アリエルは、カップに手を伸ばす――
ふりをして、止めた。
「ありがとう。でも――」
彼女は、微笑む。
「先に、あなたが一口飲んで」
侍女が、ぎょっとする。
「え……?」
「規則です。
最近、物騒ですから」
言葉は柔らかい。
だが、因果の糸を――少しだけ、引いた。
すると。
「あ……」
侍女の足が、僅かにもつれる。
盆が傾き、カップが落ちる。
パリン。
床に広がる液体。
甘い香りとともに、刺激臭。
「……これは」
ローレンが目を細める。
侍女は、青ざめて震えだした。
「わ、私は……
本当に、何も……!」
アリエルは、彼女を責めない。
「大丈夫。
誰もあなたを罰しない」
それは、事実だった。
(因果を、少しずらしただけ)
毒は床に落ち、
“体調不良の事故”は起きなかった。
代わりに――
別の線が、揺れる。
「報告が上がるわね」
アリエルは、窓の外を見る。
「“毒が見つかった”と」
ローレンが理解する。
「それ自体が、圧になる」
「ええ」
黒鴉が、いつの間にか影から現れていた。
「見事だ」
「どう?」
アリエルは、彼を見る。
「成功だ。
世界は“偶然の失敗”を嫌う。
同じ手は、続けて使えない」
黒鴉は、ゆっくりと言う。
「つまり――
君は、世界の手札を一枚、奪った」
アリエルは、静かに息を吐いた。
胸の奥の痛みが、少しだけ和らぐ。
代償が、分散されたのだ。
(編み替えられる……
完全じゃなくても)
侍女は保護され、
事件は“未遂”として処理されるだろう。
だが王宮の裏側では、確実に疑念が芽生える。
――誰が、仕掛けた?
――なぜ、失敗した?
その疑問は、やがて
帳簿を管理する者たちへ向かう。
「次は?」
ローレンが訊く。
アリエルは、因果の糸の集まる一点を見る。
王宮の奥。
“帳簿”が保管されている場所。
「次は――
世界が“偶然を起こせない場所”へ行く」
黒鴉が、低く笑った。
「いい顔だ」
アリエルは、微笑まない。
ただ、静かに宣言する。
「私はもう、狙われる側じゃない」
因果は、切るもの。
そして――編み替えるもの。
王宮の夜は、何も語らない。
だがその沈黙の下で、
確実に、形が変わり始めていた。




