第38話:継がれるもの、壊れる因果
光は、音もなく世界を塗り替えた。
水晶棺から溢れた白銀の輝きは、地下書庫の天井を這い、壁を、床を、そしてアリエルの瞳を満たしていく。眩しさはない。ただ、深く沈み込むような感覚だけがあった。
――落ちていく。
否、沈むのではない。
重なっていく。
『聞こえる?』
声は、すぐそばにあった。
幼い頃、眠る前に聞いた声と同じ温度。
「……お母様?」
返事は、直接ではなく、記憶として流れ込んできた。
夜の書斎。
王宮の奥。
机に伏せる女――母。
『私は見てしまった。
王家が“因果”を管理していることを。
人の生と死、栄光と破滅を、帳簿のように扱っていることを』
映像は切り替わる。
血に染まった文書。
王冠を被る影。
嘆きの書記官――まだ名を持たぬ存在。
『だから私は分けた。
私自身を、あなたに託した』
アリエルの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「……私は、器だったの?」
『いいえ』
はっきりとした否定。
それは、母の“意志”だった。
『あなたは選択肢。
私が辿れなかった未来』
光が収束し、水晶棺が静かに砕け散る。
破片は床に落ちる前に消え、そこに残ったのは――何もない空間。
だが、アリエルは分かっていた。
失われたのではない。取り込まれたのだ。
「アリエル……!」
ローレンが駆け寄る。
彼女は顔を上げた。
視界が、微妙に変わっている。
世界が、線で見える。
人と人、出来事と出来事。
結ばれ、絡まり、断ち切られた“因果”が、淡く浮かび上がっていた。
(……これが)
セリオンが、息を呑む。
「まさか……
因果視認……?」
黒鴉が、静かに笑った。
だが、その笑みはどこか苦い。
「完全ではないが……
君は“見える側”に立ったな、アリエル」
アリエルは、自分の手を見つめた。
そこに、細い光の糸が絡みついている。
一本、また一本――王宮の上層へ、城下へ、遠く北方へ。
「これが……母が見ていた世界」
その瞬間、激しい眩暈が襲った。
――断頭台。
――血。
――嘆きの書記官の契約。
『殺した数だけ、来世が過酷になる』
言葉の意味が、今になって裏返る。
(違う……
“罰”じゃない)
アリエルは、はっきりと理解した。
(調整だ)
因果が歪められた分だけ、別の人生で均される。
王家はそれを利用し、管理し、選別していた。
「……許せない」
声は低く、しかし揺るがなかった。
ローレンが、迷いなく頷く。
セリオンは剣を収め、深く一礼する。
「我々は、あなたに従います」
黒鴉だけが、少し距離を置いたまま言った。
「覚悟はいいか?
この力を使えば、君は“復讐者”では終われない」
アリエルは、彼を見据える。
「望むところよ」
彼女は、因果の糸の一本を掴んだ。
それは、まだ切られていない線――
セリウス王子へと続く、濃く歪んだ糸。
「次は、王家の“帳簿”を燃やす」
静かな宣言だった。
だがそれは、世界にとっての宣戦布告だった。
地下で起きた変化を知らぬまま、王宮の鐘が鳴る。
新しい朝。
だがその音は、終わりの始まりを告げていた。
嘆きの書記官が、どこかで微笑む。
『……選んだか』
アリエルは、答えない。
もう、問いに縛られる必要はないから。
彼女は歩き出す。
母が見た地獄を、今度は――壊すために。




