第34話 ――影の哭声が王都を満たすとき
アリエルたちが南端へ向かう頃、王都はまだ完全に朝を迎えていなかった。薄闇と朝光が交じり合い、影が長く伸びている。その伸びた影が――蠢いた。
石畳の裂け目から染み出すように、黒い人影が形を成していく。セリュスの異能で造られた影兵。主を失い、理性を焼かれ、動く理由を失った怪物。
一体、二体、三体――増殖するたび、空気が痛むほど冷える。
「広がってる……こんな速度で増えるなんて」
アリエルは息を呑んだ。前世の知識を総動員しても、この暴走のパターンは知らない。原因は、セリュスが倒れた“だけ”ではない。もっと別の“手”が働いている。
ローレンがアリエルの前に出る。 「下がって。前衛は俺とセリオンで受ける」
「えっ、あなたが前?」
「君の隣で戦いたいんだ。もう守られるだけの自分は嫌なんだよ」
その横顔は、覚悟というより執念に近かった。アリエルは少し胸が騒ぐ。 (……ローレン、前世にいた頃より強くなってる?)
セリオンは剣を抜き、淡々と言う。 「動く影は容赦なく斬る。アリエル、術式の展開を急げ」
アリエルは頷き、杖を握った。影兵は魔術式による制御が弱点――通常なら解除の呪紋で止まるはずだが、今回の影兵は動きが異様だ。
影兵たちが一斉に視線を上げ、アリエルを認識した瞬間―― 「――ッ!!」 影が爆ぜるように跳びかかってきた。
セリオンが剣で一体を貫き、ローレンが槍を突き上げて二体めを叩き伏せる。しかし影は霧散せず、地面に貼りつくように形を保ったまま、再び立ち上がる。
「再生してる……!?」
ローレンが焦りを滲ませる。 「こんなの、聞いてないぞ……!」
アリエルは影の核を観察するように目を凝らした。そこには、セリュスの呪紋とは別の“刻印”が光っている。
「……誰かが、影兵を乗っ取ってる」
その瞬間、背後から風を裂く音がした。
「その通り。気づくのが遅いな、アリエル」
聞き覚えのある声。
アリエルの心臓が跳ねた。
ゆっくりと瓦屋根の上に影が降り立つ。
黒い外套。
赤い双眸。
影を従えるかのような、静かな威圧感。
「……黒鴉」
ローレンが槍を構える。 「おまえ、何者だ。セリュスを利用したのか?」
黒鴉は答えない。ただアリエルを見つめる。
その視線は、憎しみでも好意でもなく、淡々と“値踏み”するような冷たさ。
アリエルは一歩前へ出た。 「どうして影兵を暴走させるの。王都を壊すため?」
黒鴉は肩を竦めた。 「壊れるのは、ただの結果だ。俺が必要なのは――“君の選択”だよ、アリエル」
彼の指が軽く動くと、影兵が一斉に咆哮を上げ、アリエルを中心に渦を巻いた。
ローレンが叫ぶ。 「アリエル! 離れろ!」
セリオンも動こうとしたが―― 影兵が二人を分断するように壁を作る。
そして黒鴉だけがアリエルの前へ降り立った。
距離は二歩分。
その近さに、アリエルは喉が鳴るのを抑えられなかった。
黒鴉が囁く。 「君に似合うのは“王都の光”じゃない。
もっと……深くて、暗くて、誰にも触れられない場所だ」
アリエルは睨みつけた。 「私はあなたに従わない」
黒鴉は微笑む。その笑みが、背筋が冷たくなるほど静かだった。 「その言葉を何度聞けるか……楽しみにしているよ」
瞬間、影兵が爆発するように四方へ散り、黒鴉も闇へ溶け込むように姿を消した。
残された影兵は制御を失い、一体ずつ霧のように崩れていく。
ローレンが駆け寄る。 「アリエル、大丈夫か!?」
アリエルは頷いたが――その手は、わずかに震えていた。
セリオンは剣を収めつつ、低く言う。 「……黒鴉。あれは単なる刺客じゃない。君に執着している」
ローレンが顔を曇らせる。 「アリエル、あんな奴に狙われて……もう、君を一人にできない。絶対に」
アリエルは二人の視線を受け止める。
胸の奥に、黒鴉が残した言葉が刺のように残っていた。
(……私の“選択”?
どうしてあんな言い方を……?)
王都の霧は晴れつつあったが、アリエルの胸の不安は深まるばかりだった。
(黒鴉。あなたはいったい――何者なの?)




