第32話 ――その夜、王国は“英雄”を決める
王宮の火はようやく鎮まりつつあったが、空気に残る焦げた匂いと緊張は、まだ誰の胸の内にも根を張り続けていた。崩れた壁、割れた柱、散らばる兵の武具。ここが一夜で戦場になったことを、王宮のあらゆる場所が語っていた。
アリエルは静かに歩いていた。外套の裾は灰で汚れ、髪には火の粉の名残が絡んでいる。けれど、その瞳は揺れなかった。むしろ、王国の未来を見据えるように澄んでいた。
途中、王城の侍従たちが彼女を見つけ、小さく息を呑んだ。
「あ……アリエル様……」
誰もが言葉を続けられなかった。
王宮を救ったのは誰か――その答えが、彼女の姿を見れば明白だからだ。
アリエルは遮るように首を振った。
「みんな無事でよかったわ。それだけで十分」
侍従たちは涙ぐむように頭を下げた。
英雄扱いを拒むその姿に、さらに敬意を抱いたのだろう。
しかしアリエルの足は、玉座の間の方へ向かっている。
まだ終わっていない。セリュスを倒しても、その“後”を始めなければ。
玉座の間に入ると、セリオンが壁にもたれかかりながら息を整えていた。
傷は多いが、致命傷ではない。彼はアリエルを見ると、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「君は……本当に、嵐みたいな人だ」
「嵐はあなたでしょ。私なんて、火に油を注いだだけよ」
セリオンが笑うと、王ラドウィンがゆっくりと近づいてきた。
王の顔には深い疲労が刻まれているが、その目はしっかりと未来を見据えていた。
「アリエル嬢。……そなたがいなければ、この国は今夜で終わっていた」
アリエルは静かに首を振る。
「私一人では何もできませんでした。黒鴉も、近衛も、陛下も……皆が戦った結果です」
「それでも――だ。そなたが“真実”を見つけてくれたおかげで、国は形を保った。
セリュスの裏を暴いた者こそ、王国にとっての光だ」
アリエルの心が一瞬だけ揺れた。
褒め言葉にではなく――その言葉が、あまりに“眩しい”から。
自分は光なんかじゃない。
復讐に身を焦がし、因果を断ち切る異能を振るい、未来のためと称して人を斬った。
そんな自分が光だと言われることに、違和感と痛みが混ざる。
だが王の声は続く。
「そなたには、国政に参加する資格があると考える。
いずれは……王国の改革を担うべき人物だ」
空気が止まった。
セリオンがわずかに目を見開く。
侍従たちも息を呑んだ。
アリエルは――一瞬、息を忘れた。
改革。
それは、前世で奪われたすべてを取り戻し、次の世代に“正しい王国”を残すための道。
その選択肢が、ついに目の前に提示された。
(私は……どこまで、進むべきなのかしら)
力を得たとき、人は何を守り、何を切り捨てるのか。
復讐の女神のように振る舞ってきた自分が、今度は“国の未来”を選ぶ立場に立つ。
それは、復讐の先にある“新しい物語”の扉だった。
アリエルは胸の奥にある迷いを押し隠し、王の前で膝をついた。
「陛下のお言葉、胸に刻みます。
ですが……私が進むべき道は、もう少し見定めさせてください。
復讐は終わっても、私が何者なのかを……まだ答えを見つけていないのです」
王は深く頷いた。
「焦る必要はない。そなたはまだ若い。
だが――王国に必要な存在であることは、揺るがぬ事実だ」
その言葉が、アリエルの心にじんわりと染み込んだ。
重く、温かく、そして――どこか怖い未来の重さを含んだ言葉だった。
セリオンが歩み寄り、静かに言った。
「アリエル。君の選ぶ道がどんなものであれ……俺は味方でいる」
その宣言は、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも危うい。
アリエルはわずかに微笑んだ。
「ありがとう。あなたの存在が、今の私を支えてくれているわ」
二人の間に、わずかだが確かな光が差し込んだ瞬間――
黒鴉の一人が駆け込んできた。
「アリエル様! 王都の南門から“もう一つの軍”が接近中です!
指揮官名は――ローレン・エヴァンズ!」
アリエルの息が止まった。
(まさか……こんな夜に、ローレンが……?)
王宮を救ったその夜に、彼が現れる理由はただ一つ。
「アリエル様を保護するため」と名を借りた――新たな戦場の火蓋だ。
アリエルは立ち上がった。
「行くわ。会わなくちゃいけない。
今度こそ、“彼の想い”も、“私の想い”も、逃げずに伝えるために」
夜明けが近い。
王国は再生へ向かい、アリエルの運命はさらに加速していく。
そして――
この国の“英雄”は、本当は誰なのか。
それを決めるのは、これからだ。




