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10 手を伸ばした先に


「情報の精査が終わり次第、報告書にまとめてくれ」

『――――』

 

「あぁ、状態は落ち着いてる。知り合いの医者に散々説教されたが協力してくれた」

『――……の記憶は、戻られたのですか?』


「戻ってはいないが、休みのうちには決着をつけるさ。オレ自身の問題だからな」

『それは重畳ですね。では報告はメッセージのみにいたします、後ほど差し入れを届けさせますので』

 

「リアム……妙に協力的だな。そういえば最近、彼女と距離が近くないか?」

『私をそう言ったものに巻き込むのはやめていただけますか、マヒル執艦官』



 

 マヒルとリアムの会話によって意識が浮上した彼女は、力の入らない瞼を必死で持ち上げる。半分ほど開き、辺りを見渡すと天行の家にいるような気がした。

 身体中に熱がこもり、思考が定まらずぼーっとしてしまう。



 自宅かどうかわからないのは、点滴のスタンドが立ち、病院のような機器音が響き、装飾品が取り払われていたからだ。

 急拵えで作られた、病院のような部屋。それでも自分が横たわったベッドからは嗅ぎ慣れた柔軟剤の香りがしていた。


 


「……はっ、目が覚めたか!?」

『ホッ……。では、私はこれで』


 


 ベッドの軋む音と共に、彼女の頬に大きな手が触れる。意識が朦朧としているのか、緩慢な動きで眼球が動いてマヒルの姿を写した。

 

「に、さ……」

「ここにいる。今は痛み止めで意識がはっきりしないんだ。眠たいなら寝てて良いんだぞ」


 柔らかい動作で動いた彼の手は頬に貼られた大きなガーゼを捉え、眉間に皺が寄せられた。




「怪我、の……教えて」

「ハァ……、こんな状況でも戦えるかどうかの確認か?しばらく動けないくらいにはひどいし、お前は完治まで休みをもらってる。敵はもういない」


「腕、ある?」

「五体満足だ。ただし、復帰にはリハビリが必要だけど」

「どこ、を、どう怪我……してるの?」




 途切れ途切れに紡がれる細い声は、ハンターならではの危機意識で発されている。彼女に染みついた戦闘員としての本能は『自分はまだ戦えるのか』『戦場に立てるのか』と聞いているのだ。

 

 いっそう険しい顔つきになったマヒルは彼女の瞳を覗き込み、現状を伝える。


 

「全身重度打撲、切創で合計130針縫った。

 両足アキレス腱断裂、拘束の縄を口で噛み切ろうとして唇はズタボロだ。

 それから、床に撒かれた鉄菱の上を這いずり回ってるから首から下もひどい裂傷だらけだし、腹から背側に抜けた銃創が六つ」

「たま、は?足……」 


「弾は中に残ってないし、腱は手術して繋がってる。……あのな、アキレス腱を切られたら爪先立ち以外で動け。教わらなかったのか」

「そっか、うっかり……してた」

 

「……違う、そうじゃない。もう危険はないんだから、何も心配せず休んでくれ。

 お前が望むならハンターに復帰は可能な範囲だ。でも、しばらく絶対安静だからな」

 

「うん……」


 


 安心したように瞼を閉じ、すぐに眠りについた彼女は腐ってもハンターなのだ。プロ意識が強いのか、責任感が強いのか。彼は眉間を指先で抑え、肩まで布団をかける。

 この怪我は人質を目的として作られたものにしては酷すぎる。完全に動けない状態にしようと、筋弛緩薬まで打たれていたがそれが問題ではない。

脱走を図ったからここまでの重症になったのだ。


 助けを待つつもりもなく、敵側の情報を掴みまでした根性は賞賛に値する。しかし、死んでもおかしくないほどの重症だ。いくら手を尽くしても傷跡は複数残ってしまうだろう。

 

 腹の底から湧き上がる怒りを噛み締めて大きなため息で吐き出し、マヒルはは包帯が巻かれた額に唇で触れる。

 

 病院の集中治療室で、何度も『家に帰りたい』と譫言を繰り返した彼女の願いを叶えたが、それはマヒルにとっても都合のいい状態に他ならないだろう。


 苛烈な胆力の彼女は病院を抜け出しかねない。完全に閉じ込められるのは、彼だけだ。





「……怪我が治ったら、ちゃんと決着をつけよう。どうせ外に出られないのはオレも同じだから、時間はたっぷりある」

 

 そう呟き、うっそりと微笑む彼の表情には仄暗い感情が灯っていた。



 ━━━━━━



「ふー、ふー、はい、あーん」

「…………」

 

「どうした?おじやは飽きたか?」

「そこまでしなくても、自分で食べれるよ」


「怪我が完治するまでは、お前に箸を持たせない。観念して口を開けてくれ」

「…………うー」



 差し出されたスプーンを仕方なく口に含み、笑顔のマヒルを眺めながらカロリーを嚥下する。そんな彼女が満身創痍で帰ってから数日が経っていた。

 意識ははっきりしたが、怪我のせいでろくに動けはしなかった。彼は二十四時間通して甲斐甲斐しく世話している。


 

 

 投薬、怪我の消毒、食事、身体の清拭、眠るときは寝返りまで全て彼によって管理されているのだ。


 気が引けるどころか、どこか寒気すら覚える徹底ぶりだった。再会当初のあの目つきが戻ってきている気がする。

 

 危険な目に遭った妹への庇護欲なのか、もしくは監禁癖が再発したのか、そのどちらもか。

身に覚えのありすぎる彼女は、苦笑いを浮かべて世話を受けるしかなくなっていた。




「あの、お仕事はどうしたの?ずっとお家にいるよね?」

「お前が上げた証拠の中に、遠空艦隊へのテロ計画があった。しばらくはリモートワークだ。特に、オレはお前の手柄のおかげで手厚い休暇が支給されてる」

  

「それって、敵の目的が兄さんだったってことじゃないの?遠空艦隊が巻き添えを避けてるんじゃ……」

 

「勘がいいな、そういう事だ。新人のくせに手柄を立てすぎたらしい。

 仕事の話はいいだろ?飯の後は少し筋肉をほぐさなきゃ。マッサージしような」

 

「ハイ……」




 マヒルの様子に何か、変化があるような、ないような。漫然とした疑惑を持ちつつ生活の一切が不便な彼女はなすがままになっている。

ドキドキと鳴り響く自分の心音を聞きながら……ふと思い出した。


 そういえば、デートはどうなったのだろう。


「兄さん、そういえばデートはどうなったの?」

「あれはデートじゃないし、二度とあの人には会わない。兄さんって呼ぶのも禁止だ」

 

「ど……どうして?」

 

「どちらも必要ないからだ。お前が望むなら兄さんでも、他の何かでもいいが今はやめてくれ」

「必要ない?それ、どう……むぐ!」

 

「食事が終わったら消毒だ。傷を残したくないから、じっとしてろ」


 


 ティッシュで慎重に口元を拭い、消毒をされて、綿棒で軟膏を塗りつける。

 テキパキと処置をした後、マヒルは間近で動きを止めた。

 

 まるで、以前のような熱のこもった視線が解き放たれる。それを受け止めきれず目を逸らすと、彼は両手で再び無理やり見つめ合う姿勢をとり、首を傾げた。


「どうして目を逸らす?」

「と、どうして、って」

 

「オレの顔で『目が一番魅力的』って言ってたが、それはお前の評価だったはずだ。好きなだけ見ていいんだぞ」

「ふぇ……でも、あの。食器が乾いたら洗うの大変だし、ええと」

 

「すぐに片付けてくるから、そこから動くなよ」

 

 じっとりした口調のマヒルは目を細め、にこりと微笑む。そして額にキスを落として食器を持ち、部屋を出た。





「何が起きてるの??」

 

 一人ベッドの上で頬を赤らめ、彼女は熱を発した顔を自分の手で隠す。

まるで、恋人だった頃のような所作に振り回されている。

 今まで兄妹の距離感に慣れようとしていた彼女は、胸のうちにわずかな期待を滲ませ、慌てて首を振った。


 

 そんなうまくいくはずない。記憶が取り戻せているならば、彼はそう口にしているはずだ。さっきリアムさんとしていた電話でも『記憶は戻ってない』と言っていた。


 慌てちゃダメ、これは時間のかかる事なんだから。と自分に言い聞かせて彼女は枕に頭を預けた。


 現状として誘拐事件、テロを起こそうとしていた主犯格は捕まえているはずだ。なぜなら犯人たちが目標としていたマヒルは、長期休暇を強制的に取らされているから。残党がいたとしてもその計画を実行する前に組織は瓦解するはず。


 それから、デートがうまく行かなかったのなら仕方ない。そう、仕方ないのだ。

 

 ――と、すればやることは一つ。


「マヒルと一緒の時間を楽しむしかない!」



 ――そう、彼女にとってもこの状況は望ましい事に間違いないのであった。



━━━━━━

━━━━━

━━━

 

「痛っ……」 

「ごめん、伸ばしすぎたか。ゆっくり戻すぞ」



 ――彼女が目覚めてすでに一ヶ月が経過した。相変わらず足は使い物にならないが、脅威の回復力を見せた彼女の傷はリハビリできるほどになっている。

丁寧に処置されたお陰で顔の傷は薄くなり、痕も残らずにすみそうだ。


 ベッドの上で背中を預け、マヒルに抱えられて腕を伸ばした彼女は苦痛に顔を歪めている。

 リハビリと言うには距離感がすでに一般な域を超えているが、二人はいまだに兄妹のままだった。




「大丈夫か?」

 

「ん……平気。早く復帰しないとだし。手加減しないで」

「へぇ、手加減しなくていいのか。じゃあ早速そうしよう。……お前の言う通り、早く復帰しないといけないからな」

 

「え?」


 


 リハビリのために繋いだ手を絡め、耳に唇が触れる。その余りの熱さに彼女はびくりと体を跳ねさせた。


「どうしてオレを、お前以外とデートに行かせた?」

「…………」

 

「どうして、お前の指にはまっているペアリングの存在を教えなかった?」

「な、なんでペアリングの事知ってるの!?」


「見つけたんだよ。……どうしてオレたちが『兄妹』じゃなくて『恋人』だったって教えなかったんだ」




 彼女を抱きしめたまま、マヒルは苦しげに耳元で告げる。「もしかして、別れたのか?」と。


「違う!そ、そうじゃなくて、記憶が戻ったの?」

「いや。お前と恋人になった記憶はない」

「じゃあ、どうして……」



 指と指を絡めあわせたマヒルの指にはいつの間にか以前使っていたペアリングが嵌っている。彼女の耳元に唇を寄せたままの彼は苦しげに吐息を吐き、そして息を吸う。




「今思えば最初からそうだった。目が覚めてお前を見た時に『綺麗だ』って思ったんだ。

 お前が昔の話をしてくれる時の表情が可愛くて、愛おしかった」

 

「…………」

 

「オレの痛みは、いつもお前から生まれている。孤独だった記憶はお前と離れていた時のものだったし、寂しさや悲しさもそうだ。お前の顔が曇るたびに胸が痛かった」



 マヒルは自分の感情の全ての根源が彼女であると理解した。喜び、悲しみ、怒り、幸せ、全てを色濃くしているのは彼女の存在なのだと。

 皮肉にもその本人に送り出されたデートで他の女性と接触し、何もかもが色褪せて見えた事がきっかけだった。


 心の奥底が疼く時、感情が揺れ動く時、その原因はいつも彼女だった。記憶を無くしたとしても自分を動かすものの全ては……彼女に由来していたのだ。



 

「寂しさは、大切な人を教えてくれる。孤独は、そばにいた人の温かさを教えてくれる。全部の痛みは、お前の存在がオレにとってどんなものだったのかを教えてくれる。

 オレが手を伸ばした先にいるのはお前がいい。……感じるか?この鼓動がお前への答えだ」




 記憶の底に眠る言葉が、マヒルの放つ音によって一斉に浮かび上がり、鼓動が速くなる。背中でそれを感じていた彼女は呆然としつつも、静かにマヒルの言葉を受け止めた。


「確かにあの人はお前に似てた。でもな、今はもうどんな顔をしていたか思い出せない」

 

「箸の使い方、座り方、歩き方、喋り方、目線の動かし方、全てオレが教えたんだ。お前以上にオレの好みの人がいるわけない。オレがそう育てたんだから」

「お前がビルから降ってくる前に、ここにいるって感じた。オレたちはきっと、ずっと前から繋がっていたんだ。

 どこにいても何をしていても、頭の中にも……心の中にもお前がいる。だから……」


「待って!!!!!!!」





 マヒルの腕の中で身を縮め、顔を隠した彼女は耳まで赤く染まっている。それを見て彼は口端をあげた。

 間違いない、彼女は自分のために恋人だと言わなかったのだと。別れてなんかいなかったし、そばにいるために苦肉の策で妹を演じていたのだと。


 遠回りをしてしまったが、ちゃんとたどり着けた。と口の中で呟きを噛み殺し、甘い気持ちがマヒルの中に広がっていく。

 焦燥感は露と消え、暖かな幸せが脈うち、頭の先からつま先まで伝わった。

 


「待たない。手加減するなって言っただろ?」

「違うよ、……リハビリの話でしょ!?そういう話じゃなかったのに」

 

「何も違わない。日常生活に戻るために必要なのがリハビリだ。オレの記憶にないなら、もう一度上書きすればいいだろ」

「……っ、待ってよ……そんな急に言われても追いつけない」

 

「いくらでも待つさ、相手がお前ならな」


 



 記憶がないはずのマヒルが紡ぐ言葉は、どれもこれも彼女の記憶に刻まれたものばかりだ。 

 そして、思い出せないままでマヒルはもう一度彼女に恋をして……同じ言葉を一言一句間違えずに発している。


 

「今なら、ペルセウスで言った言葉が聞こえる。オレのこと、まだ好きだろ?」

「……」

 

「オレもお前の事が好きだ。

 きっと、何度記憶を無くしてもお前に恋をする。お前が持っている引力には逆らえないから。

 オレがオレじゃなくなったとしても、お前に引き寄せられて何度でも好きになる……今更、都合が良すぎるか?」

 

「マヒル……」



 背を向けて丸まっていた彼女は突然振り向き、マヒルの胸に飛び込んだ。彼は愛おしい人を受け止めて、瞼を閉じた。



 


「マヒル……マヒル!!」

「うん」

 

「……っ、」

「ごめんな、寂しい思いさせて。記憶なんか戻らなくても、オレは……お前のそばに必ず辿り着くよ」



 彼女の慟哭を受け止めながら、マヒルは胸の底がチクリと痛むのを感じていた。おそらく……自分は過去のマヒルの一部であり、彼女を完全に手に入れることはできない。

 

 それが、悔しくて、悲しい。こんなにも彼女を愛しているのに……自分にそれを許してはもらえないのだ。

自分の中に目覚め始めた『本当のマヒル』は暖かな愛情を感じて間もなく目を覚ますだろう。


  


「――ぎゅうってして!」

「ダメだよ、お前はまだ怪我だらけだ。心も、体も傷だらけだろ?」

 

「うー、うー!」

「はいはい、そう唸るな。怪我が治ったらお望みのままにしてやる……本当に、ごめんな」

「っ、マヒル……マヒル……!!」


 

 大きな手で彼女の包帯を撫でながら、彼は微笑んだ。心の傷は間違いなく自分がつけたものだが、体の傷は違う。

 

 彼女を支配する全てが自分が理由だったらよかったのにな、と胸の内で呟いた。


 ━━━━━━



「お風呂、あがったよ」

「ん、こっち来い」 


 毛足の長い、柔らかいカーペットを小さな足がそろりそろりと踏み締める。完全に怪我が治り、知人の医者からも完治の太鼓判をもらった今日は……二人の最後の休みだ。

 

 夜半まで部屋を元に戻す作業をし、二人で料理を作って食べ、毎日のルーティンは優しい夜を連れてきた。


 まだ眠る時間ではないけれど、マヒルは『ベッドの上で天体観測をしよう』と彼女を誘った。これは、恋人だった頃の『夜のお誘い』と同意義でもあった。

 

 記憶が戻らないままのマヒルが全く同じ行動をとるかどうかはわからないが、彼女にとってはどちらに転んでも眠れない夜になりそうだ。

 ベッドに登った彼女をいつものように膝の上に乗せ、部屋の照明が落とされた。

 



「……ま、マヒル!あの、」

「ん?」

 

「プラネタリウムの事、覚えてるの?」

「存在はな。その顔を見るに何か意味があるのか?」

 

「ある、ような。ないような。でも、うん……マヒルと過ごしてわかったことがあるの。記憶が戻っていないはずなのに、あなたの中には以前のマヒルがいる」


「そうだろうな。人の脳には、思い出せない記憶も眠っているんだろう。少し飛躍した話だが、魂の記憶ってやつがあるらしいぞ」

「魂の記憶?」

 

「あぁ。例えば……前世の記憶とか。今のオレが思い出せないものも存在してるんだから、あってもおかしくはない。

 輪廻転生を繰り返して来た人の心、脳にはその記憶があるんだと聞いた」


「珍しいね……そういう話するの」

「オレ自身が今、妙な体験をしてるからな。でも、そうじゃなきゃ説明がつかない気もする。

 オレの中にはお前がいた。ずっと、ずっと前から」

 

「……うん」



 

「瞼を閉じれば、いつでもお前が見える。小さい頃から髪が長かったはずなのに、このくらいの長さになった姿が見える時があるんだ」

「ボブ?切り揃えてもそこまでは短くしてないよ」

 

「そうだな、その筈だ。でも、その姿は時々鮮明に蘇る。もしかしたらこれが魂の記憶なのかもしれない」


「…………」

「お前にずっと恋をして来たような気がする。今だけじゃなくて、違う世界でも」

 

「そう言われると、私もそんな気がしてくるなぁ」

「そうだろ?希望的推測だとしても、オレの中にはお前の記憶が確かに刻まれている。だからこそ惹かれ合うんだと思う」


「記憶で恋をしてるの?」

 

「いや?それだけじゃない。お前がして来た行動に違和感がないのは、前もって知ってるからだろ。

 おそらく、オレと同じ気持ちをなぞってくれているんだって思うと可愛くて仕方がなかった」

「えへへ、あたりだよ。マヒルの真似してたの」

 

「無茶なことばっかりして、心配したけど……オレもお前の気持ちが理解できたよ」


 二人は微笑み、彼女は瞼を閉じて彼の胸に頭を預けて沈黙の帷が降りる。


 マヒルのいう通り彼女は記憶を無くした彼に対して、マヒルがやって来た通りのことをなぞって実行していた。


 『昔、お前は』と繰り返し二人の記憶を話す時の気持ち。

『オレなんていらないって?』と言ったときの気持ち。

『恋人じゃなくてもいい』と勝手に決めた時の気持ち


 愛した人が自分の手元にもどらなかったとしても、それでも愛していこう。いつか好きな人ができても、と彼女が決意した時の気持ちは、マヒルが過去にした決意と同じものなのだ。


 彼女は、彼を全て知る事ができた。

 彼も、彼女を全て知る事ができた。

 


 お互いを求めて伸ばした指先は、二人の間でしっかりと結ばれた。いや、元々繋がっていたのだろう。

 


 

 

「そろそろ始めるか」

「うん……」


 プラネタリウムのスイッチを押すと、天井に広がる宇宙。それは、この謎をいつか教えてくれるかもしれない。

人の脳の中に刻まれた魂の記憶を。誰にも侵されず守られた、マヒルの最奥を。


  



「黄道12星座は、天球上の太陽の通り路『黄道』に沿って並んでいる。牡羊座が最初だ、これは天文学の春分点が牡羊座にあったから起点となった。

 今は魚座だけど、昔はそうだったんだ」


「蛇遣い座?そんなのいらないだろ。一部が横道に被ってるからってデカいツラしてるが、アレは12星座には入ってない。オレは認めないぞ」


 

「次は双子座だ。……眠くないのか?」 

「うん」

「……そうか」

 



 マヒルの講話が唐突に止まり、彼女は自分の腹の上で組まれた手が解けるのを見た。首筋に唇が触れて、マヒルは囁く。

 

「愛してる」


 彼に組み敷かれた彼女は自分の瞳から溢れそうになる雫を抑えるために目を見開き、鎖の揺れる音を聞く。

 目の前に揺れる彼のネックレスに口づけて、瞼を閉じる。





「………………」

「………………」

「……あれ?……マヒル?」

「…………」


 沈黙のまま動かない彼を不思議に思い、瞼を開く。

すると、間近に迫った朝焼け色の瞳が自分を映し出していた。


「…………」

「…………」


 マヒルは眉根を寄せ、しかめ面をしている。その表情には怒りが見てとれる。唇を噛み締め、それでもひたと見つめてくる瞳の奥に今までになかった色が浮かんでいた。

 その色に気づいた彼女はハッとして彼の頬を両手で包んだ。

 


「マヒル……ま、マヒル?」

「あぁ、オレはずっとマヒルだ」

「そうだけど!そ、そうだけど!!あの、もしかして記憶が戻ったの!?」

 

「…………そうみたいだな」

 

 あっさりと肯定したマヒルはそのまま彼女の胸元に顔を埋め、呻き声を上げた。


「クソ……あの野郎……」

「マヒル!マヒル!!」

「…………うん」

「マヒル…………お、おかえり、なさい」


 


 震える声を放つ彼女の顔をチラリと見た彼は、拗ねたような顔をしていた。

マヒルの記憶が戻ったのだと実感できないままの彼女は混乱し、泣きながら彼の顔に触れてその輪郭を確かめている。

 


「お前、浮気だぞ?これは」

「……は?」

 

「オレ以外にこの体制を取られてるってのは、そういう事だろ」

「な、何言ってるの!?マヒルはマヒルでしょ!?」


「オレだけど、オレじゃない。先に謝罪を述べたいところだが、オレは浮気を許さないタチなんだ」

「まっ……マヒル!?きゃっ!!」


 

 

 抱き起こされた彼女は元に戻ったであろう彼に強く抱きしめられて、混乱が深まっていく。彼女がずっとそばにいたのは、マヒルであることに違いはないのに……なぜか浮気認定されているようだ。


「いたっ!?ちょっと!噛まないで!」

「いやだ。今日はお前の言うことを聞かないからな」

 

「何言ってるの!いった……もおっ!」

「浮気したからお仕置きだ。オレ以外に抱かれようとしてた」

 

「だからなんで!?そんなこと言うならマヒルだって酷いでしょ!?」


「記憶喪失については、お仕置きの後謝罪するし、埋め合わせもする。リアムに頼んで明日も休みにしよう」

「違うよ!研究のことも、……こ、こ、婚姻届だって隠してたでしょ!」

 

「ごめん」


「そんな一言で騙されないからね!私がどれだけ悲しい思いをしたのかわかっ……」


 


 責苦の言葉はマヒルの口付けによって塞がれた。抵抗を見せてはいるものの、びくともしない彼に思うがままに貪られ、あっという間に酸欠になって小さな体から力が抜けてしまう。

 

 それを抱きしめたマヒルは何度も深い口付けを繰り返し、膝の上に乗せた彼女の着衣を脱がし始めた。


「は……はぁっ……マヒ……」

「お前が、あんまり幸せそうに笑うから。オレは、生きなきゃいけないって思った」


「んやっ!待ってってば!」

「待たないって言っただろ。……いつだって、オレを変えるのはお前なんだよ。オレの命はお前のためにある。

 ――帰ってきたんだって、実感させてくれ。ずっと……会いたかったんだ」



 数々の甘い言葉たちは、彼女の心の中に溶けて甘い蜂蜜のように何もかもを溶かしていく。

 大きな手も、鍛え上げられた肉体も、彼女だけを求めてやまない彼の熱は完全に暴走しているようだった。


 


 あまりの荒々しさに彼女は思わず笑い出してしまい、マヒルもそれに釣られて笑みを浮かべた。

 二人は衣服をはだけて、荒い息のまま見つめ合う。


「…………マヒル、お帰りなさい」

「ただいま」

 

「あのー、お仕置きは後にして、友好的にお話ししない?」

「しない。お前の体に話を聞く」


「…………えっち。マヒルのバカ」

「ふっ、またオレを嫌いになったのか?」


「ならないよ……大好き」

「じゃあ、双子座まで起きてたんだから……いいよな?」

 

「うん」


 

 

 微笑みあった二人の傍に置かれた小さなボックスが、マヒルに抱きついた彼女の起こした振動でころりと転がった。

 

 不意に開いたその中には、二人の新しい指輪が銀色に光っていた。 

 


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