6 真実の暴露
「キャーッ!!マヒル執艦官が白いスーツ着てる!!」
「待って、おでこ!おでこ出てる!!」
「ヒィ……」
グラスを傾け和やかにぶつける音、かすかな囁き、笑い声……輝くシャンデリアに始まる美麗なインテリアに飾られた、老若男女の集うパーティーの中心でしかめ面をしたマヒルが佇んでいる。
パーティーにそぐわない黄色い悲鳴は彼が身じろぎするたびに上がり、さすがにうるさく感じた参加者に見咎められた。そのため、微動だにできなくなっているようだ。
凛々しく整った顔はやや疲労感を漂わせていたが、誰もそれには気づいていない様子だった。
そばに控えたリアム副官はシャンパンのグラスを給仕から受け取り、マヒルに手渡す。物憂げな朝焼け色の瞳は、華奢な作りのグラスに細かな泡を漂わせた液体を見つめた。
「飲むふりだけで結構です」
「わかっている。……毒を盛られるのか?」
「可能性がゼロでない限り、警戒して下さい」
「……はぁ。全く、天下の遠空艦隊はどうなってるんだ。オレはよくこんな場所で仕事してるな」
リアムは瞬き、苦笑いともつかぬ歪んだ笑みを浮かべた。彼は制服のままで制帽を深く被り、主役の邪魔にならぬよう気配を消している。狙い通り会場にいる女性達は全員マヒルの華々しい様子に釘付けだ。
いつもならこう言った行事には必ず遠空艦隊の制服を着用するマヒルが、今日に限ってドレスコードを叶えている。白いインフォーマルスーツの中に黒いシャツを着て、きっちり首元まで整え、グレーのネクタイを締めている。
前髪を半分だけサイドに流したその姿は、関係者といえど見たことはないだろう。
控えめにつけた香水は洗練された所作からも匂い立ち、甘い顔に偉丈夫というアンバランスな魅力を際立たせていた。
リアムは意外とも戸惑いともつかぬ感情を胸の奥に沈め、彼を眺める。
今まで決して正装をまとうことのなかった上官が、初めて白のスーツを選んだ理由に思いを巡らせる。
きっと妹の手が入ったのだろう。しかしあれほど彼を想いう彼女がなぜ、ここまで手を尽くしたのか。このパーティーの意図はあらかじめ伝えていたはずなのに。
その真意に触れられぬことが、リアムの胸の中を割り切れない不快感で満たした。
彼女がマヒル執艦官と恋仲であることを、リアムは知っていた。二人が兄妹の仮面をかぶり、プライベートでは存分に共有時間を楽しんでいることも。
数少ない協力者と共に研究を水面下で進めていることも含め、上官である彼については知らない事は殆どない。
「妹さんはパーティーに来られるのでは、と思っていました」
「流石に止めた。昨日は熱を出してたし、今日だってフラフラしていただろう。
リアムのひどいテストを明日も受けるなら、家で勉強しておけとな」
「そうですか」
「合格させる気はないのだろう」
「……さぁ、どうでしょう。一度受けたテストの対策はできると思いますが」
「もしかして、彼女から相談を受けたのか?」
「いえ。参考書の勧めや、私自身の勉強の仕方を聞かれました」
「へぇ、それで……教えてやったのか」
「はい」
グラスの縁を自分の手袋で拭い、唇に当てると黄金の液体が手の動きに沿って流れる。肌に触れる直前でその動きは止まり、あたかもパーティー参加者として無防備に酒を飲んでいる様子をマヒルは演じていた。
目つきは鋭いままで、姿勢は泰然としているが、小型のハンドガン・ナイフと一通りの装備は設えている。リアムが彼女に依頼した通りの武器を持つような状況でも、動揺することは一切なく彼はどこか余裕のままだ。
それは、自分の戦闘スタイルを思い出させたのだと示唆していた。副官としての彼は、その事実にホッとため息を溢した。
記憶をなくすこと、それは彼にとってイコール死に繋がる。肉体的な死ではなく精神的な死……遠空艦隊の殆んどがすでに体内に埋め込まれている〝チューリングチップ〟だが、埋め込まれた人間は最終的な選別の上、製作者であるEVERという会社に利用される運命だ。
それを甘んじて受け、肉体改造を経て彼は優秀なEVERの刃となった。……表向きは、だが。
少し前まではその身を滅ぼしかねない勢いで暗躍していたが、最近になって彼は自身の保身を視野に入れるようになった。そんなマヒルに対し、リアムは若干の危うさを感じている。
切れ味が鈍ったとは思えないが、こうして記憶を犠牲にしてまで生き残ろうとしたのは確かなのだから。
秘密裏に推し進めてきた研究の残滓さえ感じさせてはならない彼が、こうして危険に足を浸している。ここは副官である自分が役に立たねばならない場面だろう。
リアムがマヒルに傾倒する理由は、最後を自分に託した上官だからだけではない。件の『研究』を行いながらも、大切なものを守り続けるその姿にこそあった。
だが、守るべきものの形は徐々にその様相を変えてしまっている。
妹である彼女は、果たして誰を、どう動くのか。マヒルを危うくする唯一の因子である、彼の『弱点』が『妹』だと信じ込んでいた彼には現況は鋒を渡っているようなものだ。
守るべきものがあっては自己犠牲は常に付きまとう。
…………だが、それは誤りだ。
マヒル自身が真に自分を守ろうと決意したのは、彼女が隣に並び、共に在るべき存在だと認めたその時からだった。リアムはまだ、その真実に気づけずにいる。
さまざまな思惑の行き交うパーティーは、人々の思いをさざめく波として形づくる。異様な雰囲気の中で、彼らは言葉も交わさず自分の思考に耽っていた。
しばらくしてその空気は突如破られる。清楚なドレスを身につけた、一人の少女がおずおずとマヒルに近づいて来たのだ。
マヒルと同じく、大隊を率いる執艦官を親に持った、黒髪黒目で『妹』に大変よく似た容姿の娘だ。
間近で目を見開くマヒルを眺め、リアムは口端を上げた。
――『あなたは、真実を受け止める勇気がありますか?』
そう問いかけて、すぐに頷いた彼女は……今頃兄のしてきた過去を全て知ったはず。それが吉と出るか凶と出るかは、運に任せるしかない。
記憶喪失というチャンスを副官リアムは逃さないつもりでいる。
マヒルの危うさを断ち切るためには『妹によく似た少女が必要』だったのだ。
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「えぇと、機密文書の鍵は棚の裏に……棚ってどれ?先にチューリングチップの書類を探そうかな。えーーーと、黒いボックスってどれ?たくさんあるんですけど……リアムさんって意地悪すぎない?」
薄暗い部屋の中を右往左往し、独り言を呟く。彼女はリアムに言われた通り、パーティー参加で動けないマヒルの隙をついて秘密の研究所に来ていた。
といっても、研究室自体はマヒルの自宅の地下にある。厳重に施錠された隠し扉は預かったカードキーであっさりと開き、地下へと階段を伸ばしていた。降りて行った先には大きな棚やデスクが並び、まるで書斎を丸ごと移したような部屋だった。
上階の温もりある居住空間とは対照的に、ここはコンクリートの壁が閉ざす無機質な箱のようだ。
室内の空気にはひんやりとした湿気と、金属が錆びたような匂いが漂っている。
多数配された金属棚の角や剥き出しの配線がわずかな明かりに冷たく光り、微かな機械音が沈黙の中に溶けて……さらには、どこからともなくくぐもったクラシックの旋律が流れている。
マヒルは音楽のジャンルに拘りはなく、小さな頃からそれなりに流行りの音楽を聴いていた。
クラシックなんて聞く人じゃ……いや、おかしくはないけれど。人は皆最終的にクラシック音楽に行き着くのは必然と言われている。すべての基礎がそこにあるのは間違いないのだから。
一を知れば十を知る彼ならば、確かに根底に辿り着くのは当然とも言えるだろう。
彼女が取り留めない考えを巡らせていくうちに、ようやくお目当ての冊子を見つけた。
「あった!チューリングチップについて!えぇと、チューリングチップは感情抑制・コントロールを行う。
脳内伝達組織、電子パルス発生による自我の制圧、最終的な目標は傀儡への成り立ち――」
彼女は次々と書類に書かれた真実を目の当たりにし、怒りが腹の底から湧いてくるのを感じていた。
EVERの最終目的がなんなのかは、ここには情報がないだろう。
だが、一年前に引き起こされた実家での爆発事件。あれをきっかけにしてマヒルは右腕を失い、その再建とともにチューリングチップ装着を余儀なくされた。
その二つをこなしたのはEVERだ。
マヒルが遠空艦隊でやっていたことを鑑みれば、あの事件を誰が引き起こしたのか。何のためだったのかを自白しているようなものだった。
確固たる証拠が見つかるのを待つ必要がないほど、明白な事実だ。
やがて、冷たい書斎に保管された指令の記録を彼女は発見する。誰から与えられたものかは明確ではなく、おそらく電子通信でやり取りしたのだろう。それをわざわざ自筆で残しているからには意味があるはずだ。
マヒルの筆跡で書かれた数々の任務記録はノートにまとめられ、その冊数は彼女の背丈よりも高い棚の中にぎっしりと詰められていた。
いくつかを手に取り、中を開き……確認した彼女はやがて膝を落としてうずくまる。
任務のターゲットは大概がEVERの事業に対して否定的な態度や違法性を訴える、敵対組織や政府関係者だ。
時には強迫し、配下にしてマヒルのような駒を作り上げたり。事業に対して推進的な考えを持つ政治家への根回しをしたり、相手を貶めるための情報収集やパパラッチなど……彼の暗躍はまるで、スパイの真似事のようだった。
そして、その中には『暗殺』も含まれている。多様な命令には「うまく対処・回避」したものがほとんどだったが、「指令を完遂」したものもあった。
……そう、マヒルは少なからぬ人の数を殺しているのだ。命令によるものだけではなく、自分の仕事の邪魔になる人間もきっちり始末している。
相手が刃を向け、取って返した刀で殺した物も確かにある。だが、詳細に記載された記録は彼女の期待をことごとく打ち破った。
例えば……直接手を下すのではなく真綿で首を絞める様に自死へと追い込んだ案件。これは結果として一人だけではなく、ターゲットに連なる一族の人生をも狂わせていた。
多種多様な実行方法は、頭がいい彼なりの試行錯誤ではあったのだろう。
だが、必ず結果として陰惨な結果が記された。
マヒルが手を下さずとも、他の人員によって遂行された事案にもそれは適用され、全ては彼の罪として記録されている。
始まりは震えていた彼の文字は、やがてしっかりとした筆圧を得て、形の整った文字になっていった。
それは汚い仕事を複数こなして……徐々に慣れていった背景を窺わせる。
時には記録のノートに血痕を残し、時には涙の滴を刻みながら書かれた凶行記録は『罪を忘れない』と言う意識のもと作成されたようだ。
記録の末尾には『|Don't forgive me《オレを許すな》』と必ず添えられている。
現代の人間は、ワンダラーと言う外的生命体に命を脅かされるのが常となっている。戦時中とも等しいその環境では、やむを得ず手を下した事は彼女自身にもあった。
だが、その原因は全てEVERという秘密結社に結びつく。
ワンダラーは本来、深空トンネルが地上に磁場の影響を及ぼし、『特異エネルギー』が集まることで生まれる。外的生命体だとも言える存在だったはずだ。
だが、EVER社が慈善事業の皮をかぶって人体実験を行い、作為的にワンダラーを作り上げていたという事実も最近になって判明している。
さらには、特異エネルギーの集合体であるワンダラーに攻撃を受け、人体が変化して行く『異化』という病がある。
それをも利用し、異化が進む人間をこれまた人体実験に使っている。
人の命を脅かす異化の病と闘い続ける数多の医師は、EVERによって尊い意志を踏み躙られている状態だ。
マヒルの仕事のほとんどは、忌まわしい実験施設の廃棄や証拠隠滅だ。執艦官の立場を利用し、政府関係者や警察を立ち入らせず全てを消し去る掃除人。引力制御の末に得た虚空へのアクセス能力が遺憾なく発揮されている。
都合の悪いものを消し、無くし、最初からなかったかの様にしてしまう事こそが最も求められている仕事だった。
そして、遠空艦隊の乗っ取りはマヒルが執艦官になる前から行われていた。
優秀な人材を得たEVERは『世の守護』を司る『遠空艦隊』を、都合のいい〝掃除屋・権力を握るための道具〟として利用している。
EVERの名は美しいまま、コア産業テクノロジーを開発するホワイトな企業の顔を持ち続け、こうしてマヒルを穢してきた。彼自身に罪を罪として背負わせたまま、現在も我が物顔で最先端テクノロジーを持つ企業として名を馳せている。
「チューリングチップはそのための道具だったんだ。EVERに都合のいい人間を作る物。……でも、どうして……」
マヒルは……確かに幾度か「チューリングチップ」の発動をさせている。感情を抑制し、都合の悪い記憶を消され、残忍な掃除人としての性格を持たせるために。
けれど……あの日、あの時、いや、いつでも彼は『全てを失いなどしない』『オレはオレのままだ』と証明してみせた。
遊園地で私に『好きだ』と言ってくれた事。
『昔、お前は』と口癖の様に私との記憶を笑顔で話し続けてくれた事。
いつでもそばにいて、いつでも助けてくれて、いつでも〝彼女だけのマヒル〟でいてくれた。
爆発事件の後、失踪したマヒルは一時この仕事をしながら……彼女を再び遠くから見つめていた。
それは『自らの手が血塗られている』・『大切な妹を危険に巻き込みたくない』という意志からだ。
そして『想い人を手に入れるなど到底許されない』と考えていたことが彼をそうさせていた。
全部、全部……彼が選んだ道じゃないのに。
私たちは初めから『使われる』運命を持っていた。
父も母も存在していたのかすら知らず、普通に生きていける権利を持ってさえいなかった。
2人は互いを支えにして生きてきた。それを引き離し、心を壊して体を乗っ取り、彼を道具にしようとしている。
……でも、きっと……彼のこの状況は、それだけが理由じゃない。
「――マヒルが必死になる時は、余裕がなくなる時は……必ず私が絡んでた」
小さい頃『ガキ大将』と喧嘩した時、マヒルは私を屋根裏部屋に閉じ込めた。それは男の子によくある支配欲の暴走だと思っていた。
けれどよくよく問いただして後から聞いた時には『お前のこと可愛いって言ってたから』という新しい情報を聞き出せた。
わんぱくな少年が私に手を伸ばそうとしたその時、マヒルは手段を選ばず相手を制しようとしたのだ。
「いつもそう。私がいると、マヒルはすぐにそうやって自分を危険に晒すの。今回もそうなんでしょう?
私のエーテルコアを、EVERが狙っているって……もう知ってるんだよ、マヒル」
数々の記録やチューリングチップに関する資料を眺め、彼女は自分の涙を拭う。
泣いてる場合ではない、マヒルの現実を受け止めなければいけない義務が彼女にはある。そして、肝心の『研究』に関してもまだ調べが終わってないのだから。
力無く握っていた書類たちが床に舞い落ち、彼女はうずくまったままそれを拾い集める。届きそうで届かない紙を掴もうと身を乗り出し、バランスを崩して床に手をついた。
――その瞬間、デスクの足の下にある突起を押したことに気づく。
ハッとしたのも束の間、棚と棚の間がわずかに軋み鈍い音を立てて裂ける。
奥に重厚な鉄の扉が現れた。その瞬間、手首のハンター装備が甲高い警告音を響かせ始めた。
ワンダラーが、ここにいるの?まさか……そんなはずは。
警告音に背を押され、彼女の足は一歩、また一歩と扉に向かった。
先ほどから聞こえていた音楽はここから流れているようだ。
彼女にも聞き覚えがあるその曲は、突然懐かしい記憶を呼び起こした。
ショパンという太古の作曲家が作ったその曲は、貴族の少女へと贈られた『習作』だと言われている。
屋根裏部屋にあった蓄音機がまだ動いていた頃、おばあちゃんにレコードを載せてもらって聞いたその曲は……あの時〝物悲しい〟曲ではなく、キラキラと音が舞い踊る様なときめきを感じていた。
ピアノの旋律に誘われるまま足を踏み出し、靴を脱ぎ捨て素足で柔らかなシャギーのカーペットに触れる。
柔らかな感触を足裏に感じながら、彼女は自分のために用意されていたものたちを思い浮かべていた。