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3 積み重ねてきたもの

「こちらが仮の入庁許可証になります。それから、ハンタースーツでは目立ちますからこちらの制服を着用下さい」

 

「ありがとうございます」


「更衣室にご案内します。その後、マヒル執艦官の執務室へ」

「あ、はい。あのー……今日は一日お勉強で終わる感じですよね?」

「えぇ、一日で終わ()()()予定です」


「そう、ですか」




 真夜中の駐機場に兄妹とリアム副官の姿がある。宵の風に吹かれながら、三人とも一様に険しい表情をしていた。

特に、マヒルは眉間のシワに豆が挟めそうな程だ。


「本当に一緒に来るのか」

「うん、ハンター協会からの派遣ってことにしてもらってるし、リアムさんにも許可をもらってる」

 

「あくまでも一時的なものです、状況は逼迫していますから。ただし……」

「わかってます」


 リアムの言葉を遮った彼女は、鋭い視線を返した。


「試験に受からなければ艦隊任務には同行不可、ですよね」

「……ならばよろしいでしょう。こちらへ」



 ━━━━━━



 制服に着替えた二人はリアムの案内で宇宙艦船内へ向かう。黒い鋼の壁と床が全てを包み込む内部の無機質さは、まるで監獄のようだ。


 彼を閉じ込めている鉄の檻の中、以前彼女が任務で潜入した時にも訪れた執務室に辿り着く。



 扉を開き、思わず息を呑んだのは……彼女だけだった。


 

 

「一通り知識の基礎となる文書をご用意しています。読んでいくうちに、記憶が戻られる可能性もあるかと」

「あぁ、一通り読めば理解はできるだろうしな」

 

「口調の心配はないようです」

「軍隊と同じだと聞いた。そのあたりは違和感がない」

 

「それはよろしいことです」



 リアムとマヒルがする会話は、同室にいる彼女の耳には届いていない。

 

 室内に堆く積まれた書籍の山は、一つや二つではなかった。高い天井に届きそうなほどの量が、壁沿いにびっしりと詰め込まれている。


 

 

「分類はどうなっている?」

 

「左から、統計学、プログラミング/ICTプログラミング、データ分析と機械学習、工科微積分、線形代数、確率・統計、物理、化学、生物学、宇宙学理論、機械工学理論、システム工学理論、電子工学理論、医工学、原子力・放射性理論、航空概論、無線工学、航空計器、航空力学、航空機システム、推進装置、航空図判読、人間工学、飛行力学です」


「航空機設計・製造・運用・管理、安全性電子工学、航空力学、飛行原理、空機設計、空港運営・安全、航空法規、気象学の書籍出版社はどこだ」

 

「全てマヒル執艦官のご出身大学で使われていたものです」


「……それはまだ記憶にない。航空宇宙工学第三理論社・シルクロード社があるといいんだが」

「ご用意しております。お時間はどの程度かかりますか」


「三時間、いや、彼女の様子もある。終わり次第連絡しよう」

「Roger, sir. 飲み物などはデスクにご用意してありますので」


「『Roger』か。通信プロトコルを使用するのか?」

「えぇ、私達は宇宙飛行士ですから」


「は、ぬかせ。下がって良い」




 ようやく耳に言葉が届く頃、自我が戻ってきた彼女は、自分の体温が落ちていることに気づいた。確かに、血の気が引いてもおかしくはないだろう。

 

 顔色の悪さを見たマヒルは、革手袋を外し、デスクの上のペットボトルのキャップを開ける。


「水でも飲んで落ち着け、全部を頭に詰めるわけじゃない」

「…………いい。ねぇ、マヒル。これ、普通は何年で終える教育課程なの?」

 

「一年だ。二年次からは実機訓練と応用、軍隊規律を身に染み込ませる生活の繰り返しだな」

 

「……はっ!」


 


 突然振り返った彼女は、差し出されたペットボトルを反射的に弾いてしまう。

 

 それをマヒルは指先ひとつでEvol(異能力)を使い、中空に留める。ふわりと浮かんだボトルが回転し、水の粒が舞った。

 

 彼のEvol――すなわち「引力制御」は、すべての物体に働く引力を掌握する力だ。

地球上のあらゆる物質は重力に縛られている。彼はその微細な質量の偏りまでも感知し、意図通りに浮かせ、止め、運ぶことができた。


 だがこの力は、ただモノを動かすだけのものではない。空間そのものの秩序を理解していなければ、決して扱えない。

小さな頃、彼はよく水の入ったグラスを浮かばせてはこぼしていた。病院でもEvolは使えなかった。そして、今目の前でこの操作が失敗なくされたということは。 

 


 

「マヒル、何か思い出したの!?」

 

「断片的に、だけどな。頭の中にあるはずの記憶に触れれば、思い出すきっかけになるらしい。Evolもこの通りだ。

 リアムの顔で艦隊内の口調を思い出したし、大体どんな所かも把握出来た」


「記憶の断片に触れれば、思い出せるの?」

「うーん……これは推測でしかない。トライアンドエラーを繰り返すしかないだろう」

 

「そっか……わかった」



 

 ぽん、と頭の上に置かれた大きな手は柔らかい髪をワシワシと撫でて離れて行く。そして制帽を外してデスクに置き、大量の本の前で腕を組んだ。

 

 彼の鋭い視線は、記憶を失う前と寸分違わぬ光を宿している。その姿を見てリアムもどこか安心したように表情を緩めた。

 

 マヒルの記憶は、完全に失われていない。そう確信できた彼女は少しだけ機嫌を上向きにしたようだった。

横顔を眺めて、シャープなEラインに思わず見惚れてしまう。

 



「お前……頭いい方だった気がするんだけど、どうだったっけ?」

「失礼ね!今までの成績は悪くなかったし、ハンター試験は主席合格です!」

「あぁ、うちの妹は賢いんだな。でもなぁ……」


 


 ため息を落とし、ツカツカと革のブーツが床に音を響かせる。鉄板の入った重い靴が、彼の足取りを鈍らせる様子はない。病院で頼りなげに見えた彼とは別人のようだった。


 

「お前、理数系いけるのか?」

 

「行けなくはないよ。私だって、ワンダラーって言う外敵を相手にしてるんだから。パソコンだって使うし、仕組みは理解してる」


「ハンターの履修科目で被るものはあるか?」

「少しだけ。航空関連は、兄さんから聞いたくらいの豆知識しかないと思うけど。これ……どのくらい読めばいい?」


「航行任務に同行するなら、宇宙旅行に必要な知識は欲しい。あと……宇宙生活については少し知っておくべきかな。オレがピックアップしてやるから、待ってろ」


 


 背を向けた彼は書籍の中から数冊を抜き取り、立ったまま分厚い本を掴む。表紙に手のひらを置いて湾曲させた地の部分を左手で持つと、パラパラとページが開く。

 まるで、トランプのカードをシャッフルしているかのようなその動きには見覚えがある。速読、という方法で読んでいるようだ。


 文字通り速く文章を読むための方法だが、遠くから見えるだけでも中の紙が黒く見える。それは難解な漢字と専門用語が詰まっている証でもある。

 飛ばし読みも斜め読みもこういったテキストには通じないはずだが、手の動きは澱みないままだ。



「こうやって厳選していこうか、オレも同時に読めるし無駄がない。一気に行こう、サクッとな」

「一気に、サクッと……」


 口調は軽いものの、既に彼のブーツの横には読み終わった本が積まれ始めている。Evolによってふわふわと空中を漂い、厳選された本は大きなデスクに吸い寄せられるように置かれた。


 彼女は小さな手で、硬い背表紙の恐ろしく厚い本を開く。

見たことのない言葉、数式、図解。それを一瞬目に映しただけで視線が滑る。

 見慣れた磁場の説明文も、工学系のテキストになるとこうも難解な言葉になるのか。数ページめくっただけで目眩を覚えてしまう。


「マヒルの頭の良さを、私こそ思い出したよ」

「なんだそりゃ?オレみたいな奴、ごまんといるだろ」

 

「いたらこの世は延べて平和になっていることでしょうね!!でも、ううん。……本当に思い出したよ、マヒルはきちんと努力をしていた人なんだって」 


 はは、と笑い声が聞こえて、彼女は思い出の情景を思い浮かべる。



 


 ――三人だけの家族が同じ家で住んでいたあの頃。もうそろそろ自分の部屋が欲しい、と兄と寝室を分けた日。

 

 案の定マヒルのぬくもりが恋しくて眠れず、深夜に新品のベッドを抜け出す。

 

 夜に染められた暗い廊下に慣れるよりも早く、薄く開かれたドアからの灯りが目に映る。

『どうせ寂しくなってオレの部屋に来るんだろ?ドアは開けておく』と、言われた通りになっているのが少し悔しいけれど、安堵の気持ちが勝った。


 

 足音を潜ませてドアの中を覗くと、マヒルは難しい顔をして本を読んでいる。

まだ小さい体には大きすぎるその本は、祖母の書斎にあったものだ。


「家庭の、医学……?」

 

 彼は漢字辞書を片手に分厚い本を一生懸命読んでいる。そうだ、小さい頃私が『お腹が痛い』と泣いた時の話をしていたのは今日の晩御飯どきだった。


 


「あの時は何で痛いのか、どこが痛いのかもわからなくて本当に困った。初めてお前が泣いたから、本気でどうしていいかわからなかったんだ。そろそろばあちゃんの本を借りないと、子供用のは役に立たないんだよな」

 

「私たちはまだ子供でしょ!それに、もう自分でちゃんとわかるもん」


「本当か?いつもみたいに『兄さん、助けて!』って言わないのか?一人で全部できるのか?」

「……でき、ない」

 

「そうだろ?なら勉強しておかないと。お前が別の部屋になるなら夜も勉強できる。いいチャンスだ」

「いじわる……。でも、私が怖い夢見たら一緒に寝てくれるよね?」


「あぁ、いいぞ。鍵はずっとかけないつもりでいたからな」




 真剣な表情の彼は、時折メモをとり『うーん』と低い声で唸っている。寂しいから一緒に寝て、なんて言える雰囲気じゃなかった。

 それから毎日毎日、彼女はマヒルの部屋の前まで行き、そしてドアを開けずにUターンをして。いつしか一人で寝ることに慣れていった。




 そこまで回想したところで、ふと思いつく。

 

 そうだ……!勉強をして夜を過ごせばいい。しばらく遠航任務はないと言っていたし、毎晩きちんと自宅に帰れるはずだ。眠れない夜を勘づかれても言い訳ができる。

 

 リアムさんが言ったのは、深空トンネルへの航行へ同行するのはテストを受けて、合格したらよしということだけ。

『終わらせる』のは『勉強』と言っていた。だとすれば、テストはまだ先の話のはずだ。




 執務室内に絶え間なく響く、ページを捲る音はどんどん速くなっていく。マヒルの表情も険しい。きっと……いろんなことを思い出しているのだろう。

 

 私も……頑張らないと。せっかく彼の仕事を間近で見るチャンスができたんだから!


 そう呟き、齧り付くような体制でもう一度難解なテキストを開いた。

 



 


 

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