2love letter
「ん?これは……また遺書?前と同じ場所に隠すなんて、うっかり? それともわざと?」
夜の書斎には、月明かりが窓から差し込んでいる。荷物の用意を終えたものの、やはりこの機会をのがす気にはならず彼女は家探しを始めた。
そして見つけてしまった。マヒルの遺書だ。
彼のように命懸けの任務に就く者にとって、遺書を書くのはもはや習慣のようなものだ。
長年の習慣を突然手放すことをしない性格だから、書いているとは思っていたけれど、こんな時に見つけてしまうとは。
分厚い封筒の束を見つけて、思わず小さな笑いが浮かぶ。他の人であれば悲しみにくれるだろうが、これは二人にとって大切な思い出の品の一つだ。
「相変わらずマメなんだね、こういうところは特に」
「機密書類を見られて、コンプライアンス違反はごめんだからな」と書斎にドアロックが設けられていた。
彼が作るパスワードには癖がある。むしろ、破られても構わないとすら思っているのではないかと思わせた。彼女のモラルがそれを許さなかっただけのことだ。
室内には段ボール箱も大量にあるが未開封のものばかり。前に見た時と違い、この部屋は秘密基地のように雑多な印象に変わっている。
……他のものに気を取られている場合じゃない。まずは、見つけたものを確認しなくては。
過去に書かれたマヒルの遺書たちは、臨空の家に保管されている。
それを初めて見た時、彼女はようやく自分の気持ちに気づいた。
彼を「兄」としてではなく、「失いたくない人」として愛していると。
宝物を見つけたような気持ちで、封筒を束ねる紐を解いて行く。
いつも『プレゼントを開ける時が一番ドキドキする』と言う彼のセリフを思い出して思わず笑みが浮かぶ。
そこに記されていたのは、相変わらず他愛もない日々のことばかり。
けれど、ある時期から明らかな変化があった。
「愛してる」の文字が、優しく柔らかい文字で文末に添えられている。
時には些細な喧嘩のことも、くだらない愚痴も書かれている。どんな内容であれ最後は決まってこう締めくくられていた。
『オレの気持ちを受け入れてくれた事は、奇跡だったと今でも思う。
ごめんな、こんなものを書き続けて。もちろん死ぬつもりなんかないから。
でも、お前を独りにする事が起きてしまったらと思うと……本当に怖いよ。
手紙にこんなこと書くべきじゃないって分かってるけど、どうしようもなく愛してる」
何通かを読み終え、深く息をつく。
これは時間のある時にじっくり読むべきだ。一つ一つの遺書に込められた想いをきちんと受け止めたい。そう思ってカラフルな便箋をカバンにしまっていく。
ふと、最後の一つを摘もうとした手が止まった。
――どうして……こんな色をしてるの?
驚きは声にならない。
目の前にあったのは、他のどれとも違う黒一色の封筒。その封が静かに破られる。
――これを今見ているのなら、この手紙は本当の意味で遺書だ。今までとは比べ物にならない程危険な任務に向かうと決まった。他の遺書を探しも無駄だ、全部捨てておくように言ってあるから。
……オレを、忘れてくれ。それが最期の願いだ――
力強く刻まれた筆致を、震える指先でなぞる。
ここまでの言葉を書かせるような任務に向かっていた彼は、怪我をしたとしてもそれでも生きて帰ってきてくれた。
それだけで奇跡だったのだ、と今更実感が湧いた。
デスクに広げた封筒の中に、もう一通異色のものが目にとまる。それは純白の封筒で宛名もなく、まさかの指紋認証ロックが施されていた。
「こんな事もあろうかと用意しておいてよかった。きっと本人の指紋でも開くよね?」
病室で密かに採取していたマヒルの指紋を移したテープを取り出し、ロックを解除する。
そして、開かれた封筒から衝撃の事実が明らかになる。
――リアム、副官であるお前にオレの研究を託す。奴らと接触し、彼女の安全を最優先で守れ。リストの順番通りにコンタクトし、N109区の男は最終手段とする――
副官とは、リアムのことだ。
マヒルの補佐を務める彼は、私の知らない何かを知っている。そして、マヒルは私ではなく彼にすべてを託した。
「『研究』ってなに?あなたがいなくなった後、私を誰かに託してそこから遠ざけようとしたの?」
呟いた声は、密やかで痛みを感じさせる音をしている。
――守られるだけではイヤだった。隣に立ち、共に戦っていくと誓ったはずなのに。
それでもなお、彼は最後まで私を〝守るだけの存在〟として扱った。
彼女自身はまだ、何も知らない。マヒルが何を『研究』していたのか。どんな仕事をしてきたのか。
そして、その秘密は永遠に明かされる事はなかったのかも知れない。
「そう、マヒルは……あの頃から何も変わってなんかいなかったんだね」
月明かりの中で項垂れる姿は、誰に見られることもない。彼女は身のうちに湧き上がる思いをそのまま吐露し、拳を強く握った。
……こうしていても、何も変わらないでしょ。
何食わぬ顔で荷物を届け、できるだけ早くこの謎を解き明かそう。
休んでいる暇などない。立ち止まっていては、何も守れないんだから。
心の中でそう呟き、覚悟を定めた彼女はすべてを鞄へと詰め込み、勢いよく立ち上がる。
しかし、閉まりきっていなかった鞄から、それらが床にこぼれ落ちてしまった。
心の中身が全てこぼれ落ちたような悲惨な状況に、嫌気がさした。
「ああ、もう……」
散乱した封筒を拾い集めながら、デスクの下へと目線が届く。
そして、そこで彼女は再び見つけてしまう。
それは他と同じく愛らしい色の封筒で。けれど明らかに“隠したい”場所に、こっそりと貼り付けられている。
一目では見つからないデスクの裏に。
「……まだ私を追い詰める気?」
怒りと哀しみが胸の奥で交錯する。先ほどと違い、簡単に開いた封は簡素で特別なガードもない。
中に入れられているのは便箋ではなく一枚の紙のようだ。3つに折られたそれを開くと彼女の膝が崩れ落ちる。
もう、立ち上がれる気などしなかった。
「……っ、マヒル……マヒル……、」
今度こそ、彼が思い描いた夢に全身が押し潰される。涙も、嗚咽も、音にならない。
隠された封筒の中にあったのは――
緑色の文字で印字され、彼の名前だけが記された『婚姻届』だった。