【アップ】2025年4月13日主日公同礼拝/讃美歌とMy noteもあります
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(不思議のパルプンテ)
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【カクヨム】
https://kakuyomu.jp/my/works
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/live/Aw_zTc3ZR_o
(ブログ)
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12895475354.html
こちらから更に詳細な礼拝内容をご覧になれます♪
讃美歌~♬
讃美歌262番
https://www.youtube.com/watch?v=KHYE0f99u10
1) 十字架の下ぞ いと安けき
神の義と愛の あえるところ
嵐吹くときの 巌の陰
荒野の中なる 我が隠れ家
2) 十字架の上に 我は仰ぐ
我がため悩める 神の御子を
妙にも尊き 神の愛よ
底いも知られぬ 人の罪よ
3) 十字架の陰に 我は立ちて
御顔の光を 絶えず求めん
この世の物みな 消ゆるときも
奇しく輝く その光を
讃美歌142番
https://www.youtube.com/watch?v=ENQGTX52-ug
1 栄えの主イェスの 十字架を仰げば
世の富 誉れは 塵にぞ等しき
2 十字架の他には 誇りはあらざれ
この世のものみな 消えなば消え去れ
3 見よ、主の御頭 御手御足よりぞ
恵みと悲しみ こもごも流るる
4 恵みと悲しみ 一つに溶け合い
荊は眩き 冠と輝く
5 ああ、主の恵みに 報ゆる術なし
ただ身と霊とを ささげて額ずく
2025年4月13日 礼拝説教 聖書箇所
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。
ヨハネによる福音書19章28節
人はわたしに苦いものを食べさせようとし 渇くわたしに酢を飲ませようとします。
詩編69編22節
はじめに
世のただ中で、一人十字架刑の侮辱と死を忍ばれた、主イエスの従順と愛を学ぶ。
1
「彼は自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」ポンテオ・ピラトのもとで、罪を認められないと何度も明らかにされながら、死刑宣告と執行を、イエスは、忍ばれる。それはただ、「罪を贖うための動物の血は、大祭司によて聖所に運び入れられ」「その体は宿営の外で焼かれ」たように、イエスもまた、「門の外で苦難に遭われた」ことを証しする。それは、ただ、「御自分の血で民を聖なる者のするため」(ヘブライ13章11,12節)。「その場所で彼をはりつけにした。また、彼と一緒に、他の二人を、イエスを真ん中にして、両側にはりつけにした」。人の目にはバラバの身代わりとなったイエスは、まるでローマに敵対する扇動の首謀者のように十字架刑に処せられた。「そこでピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に設置した」「『ユダヤ人たちの王、ナザレのイエス』と書かれていた」。「それでこの罪状書きを多くのユダヤ人たちが読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからであり、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていたから」。ピラトは、イエスの言葉を聞き、内心恐れを抱きながら、一つの証しを明らかにした。ユダヤ人の祭司長たちは、「『ユダヤ人たちの王』ではなく、「あの者が、『わたしはユダヤ人たちの王だ』と言ったと書け」と怒りを露わにした。ピラトは答えた。「書いたことは、書いたままだ」。
2
屈辱の証言、「兵士たちはイエスをはりつけにした時、彼の上着を取って四つに分け、兵士たちが各々、各部分を分け合い、下着も。しかし、下着には縫い目がなく、上から全部を一つに織り上げたものだった」。「そこで、彼らは互いに言った。『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』。こうして聖書(の言葉)が満たされた。『彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣ついてくじを引いた』(詩編22編19節)。結果、兵士たちはこれらの事をした」。兵士たちはまるで戦利品を分け合うように、イエスの服を分け合った。しかし、それは、神の言葉の実現を証するものであった。今や、詩編の預言は、キリストにおいて、その実体を明らかにした。それは、イエスが裸同然のさらしものにされた、世の屈辱を負われたこと。その屈辱は、世の罪を取り除く神の小羊としての犠牲であった。
3
命と愛、死の証言、「イエスの十字架(直立した杭)のそばには、彼の母(聖霊によってイエスを身ごもり生んだマリア)、母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」「それで、イエスは母と、愛した弟子(ゼベダイの子ヨハネ)とがそばに立っているのを見て、母に言う。『女よ、ご覧なさい、あなたの子です。』」イエスは、マリアを肉の親として明らかにしない言い方で、ヨハネに「母」の配慮を託す。ユダヤ人とローマから身の危険を守るためでもあった。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれる」(ルカ2章35節)ほどに、母の心は自ら死を追体験した。「この後、イエスは万事がすでに成し遂げられたことを見て、『渇く』と言う。聖書(の言葉)が完遂するためであった。そこに酢を満たした器が置いてあった。そこでその酢をたっぷり含ませた海綿をヒソプの枝に巻きつけて、彼の口もとに差し出した。するとその時、酢を受けるとイエスは『終わった』と言われ、頭を垂れて霊を引き渡した。」イエス「命を捨てることもでき」「再び受けることもできる」(ヨハネ10章18節)。
おわりに
「われらの主が受けた辱めを担い、宿営の外、彼のもとに出て行く」真の従順を。
(My note)
二〇二五年四月一三日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「使徒信条における四つ目の箇条は何を含んで居ますか。」
「キリストが、苦しまれた事です。」
イエス様が神様の御計画に依り、十字架に付けられた時の事が引用された。この時の前、イエス様はゲッセマネの園で弟子達を呼び、「私の魂は、死ぬほどの悲しみで一杯です。ここで目を覚まして、祈って居なさい」と弟子達に言われた。これは十字架に付けられ葬られる事への、人としての苦しみに在る。しかし弟子達はイエス様が帰って来た時、皆、眠って居た。「たったこのひと時も起きて居られなかったのか」とイエス様は弟子達に言われ、もう一度、同じ様に弟子達に言って、祈りに行かれた。でも又イエス様が帰って来た時、弟子達は皆、眠って居た。心が幾ら強くても、人の体はこの様に弱いのである…と、イエス様は弟子達にこのとき諭した。
(公同礼拝)
『ヨハネによる福音書』(第一九章一六〜三〇節)
『詩篇』(第六九篇一四〜二二節)
この両箇所は、イエス様(人の子)が罪人の手に渡され、十字架に付けられる時のエピソードと預言が記される。
このイエス様を裁いた裁判は、初めから正義が無く、合理も審理も滅茶苦茶であった。しかしこの事を含めて、全て神様の御計画の内に在る事。総督ピラトはこの時、イエス様を裁く権利を与えられた裁判官・裁判長の立場に在る。ピラトの決定の下に、全ての罪状が決められる。しかしそのピラトは、
「私は、彼(イエス様)には何の罪も見出せない」(『ヨハネによる福音書』第一九章六節)
と同じこの事を何度も言った。けれどそこに集まったユダヤ人達は祭司長を始め、暴動を起こす勢いで、
「イエスを十字架に付けよ!そしてバラバを釈放せよ!」
と大声で叫び廻った。そしてピラトはその暴動に負け、仕方なくイエス様を十字架に付ける事にし、強盗であったバラバの方を釈放したのである。現代に於いても有り得ない事である。裁判長が「何の罪も見出せない」と既に決定を下して居るのに、国民の感情が裁定を下した形に成る。裁判長ではなく、聴衆が判決を下した訳である。
そしてピラトはイエス様の罪状を、
「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
と自ら書いて示した。この言葉はギリシャ語、ヘブライ語、ローマ語で書かれた。この磔刑の場所(ゴルゴダ・されこうべの意味)は都から近い場所であり、多くの人の目に触れる場所だった。だから三カ国語で書かれ、一人でも多くの人に、イエス様のこの罪状が伝わる様にした訳である。しかしこれを見てもユダヤ人達は、
「『この人はユダヤ人の王と自称して居た』と書いてほしい」
と強くピラトに訴えた。これは救い主として認めたくない、譬え分かって居ても「ユダヤ人の王」とだけは書いてくれるなとした、この時の多くのユダヤ人達の本心だったのだろう。けれどピラトは、
「私が書いた事は、そのままにしておけ」
と答え、書き直さなかった。
この「罪状」一つを見ても、この十字架に纏わる全てのエピソードが神様の御計画の内に為された事が分かり、一人でも多くの人に「イエス様が十字架に付けられて葬られる事」が伝わる経過に成って居る。この後、兵卒達はイエス様の上着と衣を剥ぎ取り、それをくじ引きで誰の物にしようか決めた。これは「彼らは互いに私の上着を分け合い、私の衣をくじ引きにした」(『ヨハネによる福音書』第一九章二四節)と言う聖書が成就する為で、兵卒達はその通りにしたのである。ピラトにはこの時、「もしこの人(イエス様)が本当に神の子だとすれば、自分は今、大変な事・大それた事をして居るのではないか…」と言う恐れがあった事も窺える。だから自分はイエス様の裁判には出来るだけ関わらず、最初からユダヤ人に委ねようとしたのであろう。神様はこのピラトの心をも用いて、この十字架のエピソードの全てを賄われた。全ては、神様の御計画の内の事に在る。
この時に又、イエス様の十字架の周りに、イエス様の母であるマリアと、クロパの妻であるマリアと、マグダラのマリアが佇んで居た。
この時にイエス様は自分の母・マリアに対し、
「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」
と横に同じく居た弟子を指して言った。そしてその弟子にも同じ様に、
「ごらんなさい。これはあなたの母です」
と言った。これは多くの人々が周りに居る為、自分に関係すると実の母でも捕縛されるかも知れず、その事への配慮かも知れない。
『詩篇』のこの箇所では、イエス様が天の父である神様に対し、本心で祈られる場面が記されて居る。そこには神様に従う信仰者と、従わない不信仰者とにはっきり分け、信仰者を救い、不信仰者を裁いて下さい、と明確に祈って居る。これは全ての人が信仰に立ち返る様にと、イエス様の本心からの祈りに在ろうか。
イエス様は、全ての人にとって唯一の救い主であり、この十字架の死に依って、全ての罪人の罪を贖い(清めて信仰に依る救いの土台)を用意し、神様の下・御計画の内にて、全ての人がその罪の内から救われる契機、その源に成られたのである。この事を、全ての人は明確に知らねば成らない。
イエス様の十字架の左右隣に、同じく罪人で、その日に磔刑に処される二人が居た。イエス様はその人間である罪人と同じ立場で、等身大で、裁かれたのである。罪の無いイエス様が、罪人として裁かれると言う神様の御計画に依り、イエス様は全ての人の救い主として陰府に下り、三日目に死人の内より甦り、天に上り、全能の父なる神様の右に座し給えり。この通りに全ての罪人が信仰に依り救われ、新しく永遠の命を与えられ、天国で生かされる事を、先駆けて教えて下さったのである。
聖書に記されるイエス様を、正確に知る事が、全ての人にとって大事に在る。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw
「聖霊は、今日もあなたに豊かに注がれている」
THE DAILY with Arthur Hollands 2023/11/25
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=lF48kQPugKI
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
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