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「……この指輪、身につけていたんだな」
驚いて口をあんぐりと開けると、ゼロニスが満面の笑みを私に向けていた。
「婚約発表はいつにする?」
満足そうに口端を上げるが、めちゃくちゃ上機嫌な顔をしていた。
「やっと言ったな、愛していると」
「え……」
血にまみれた手を伸ばし、そっと私の頬に触れる。
ふと甘い匂いがすることに気づく。これは――
私はゼロニスの上着をバッと脱がし、刺された箇所を確認した。
「えっえええ……」
「積極的だな」
ゼロニスはクスリと笑うと起き上がる。
「そっ、それ……!」
「ああ、街に到着してすぐ、目についたから買っておいたんだ。これが好きだっただろう?」
ゼロニスが胸ポケットに入れていたのは、ブラッディメリーのジュースだった。
前に街で一緒に飲んだ、ビニールに入れられた真っ赤な血のような色をしている。
「こ、これだったのね……」
私は強張っていた全身から力が抜けた。
「よ、良かった、死ななくて」
安心したせいか、涙が止まらなくなった。ぐずぐずと涙が流れる。
「ラリエット」
ゼロニスはそっと手を伸ばし、私を引き寄せた。顎に手が添えられ、上を向かされた。
端整な顔が視界に入ってきたと思ったら、柔らかな唇の感触があった。
突然だったので目をパチパチと瞬かせている私を見て、ゼロニスはクスリと笑う。
「ラリエット」
再度私の名を呼ぶと、再び唇を奪った。
背中に手が伸ばされギュッと抱きしめられたところで、我に返る。
周囲に視線を向けるとフォルクが視線を逸らした。
ビアンカもフレデリックを羽交い絞めにしたまま、視線を明後日の方向へ向けた。
注目を浴びていたと知り、顔が真っ赤になった。
「もう、それどころじゃないはずです!!」
私は叫びながら、立ち上がった。
* * *
あの後、宿は閉鎖されフレデリックは拘束された。騒ぎどころの話ではなかった。
結論から先に言うと、フレデリックは隣国へ行くことになった。……一生。
「そんなに隣国へ行きたければお前一人でいけ。そして二度とこの地に戻ってくるな」
ゼロニスいわく、自分にしては極甘の温情だそうで、フレデリックに条件をつけた。
「この国に戻ってきたらお前の命はないと思え」
二度と戻ってこないことを約束した上で、命だけは取らずに追放した。フレデリックもさすがに自分の命がかかっているとなれば、二つ返事で了承したらしい。
私はこれでもう、フレデリックの顔を見ることがなくなった。
そしてメイデス家は――
「長男の罪を背負い、二度とラリエットに接触を図ることは許されなくなった」
ゼロニスは口の端をニイッと上げた。
「父親は娘だからと渋る態度を見せたが、メイデス家の断絶か娘をあきらめるかと選ばせたら、あっさり決めたそうだ」
そりゃそうだ、あの父だもの。娘よりも自分の保身が大事な人だから、聞くまでもない。
明るい日差しの入り込む執務室。ゼロニスは目を通していた報告書をテーブルに置いた。
「どうだ。これで問題はすべてなくなっただろう」
にっこりと微笑むゼロニスは私の淹れた紅茶のカップに口つけた。
「そ、そうですけど……」
ソファに座り、手をモジモジといじる。
「なんだ、不服か」
ゼロニスは目を細めてジロリとにらむとカップをテーブルに置く。スッと立ち上がるとソファに座る私に近づく。隣に腰を下ろし、体を近づけてくる。
「どこに問題がある。言ってみろ」
私はあの日から忙しくて言いそびれていたことがある。今なら言えるチャンスだわ。ゴクリと喉をならす。
「あの日、助けに来てくれてありがとう」
ゼロニスは一瞬、驚いたように目をパチパチと瞬かせた。
「あなたに来てもらわなかったら、今頃隣国に拉致されていたかもしれないじゃない。だからありがとう」
目を真っすぐに見つめ、本心からの感謝を告げる。
ゼロニスはいきなり前を向くと、手で顔を覆い、深いため息をついた。
「まったく……」
ゼロニスがつぶやいた横顔が、あれっ?
「耳が真っ赤」
ポツリとつぶやくとゼロニスがパッと顔を向ける。
「悪いか!!」
開き直ったゼロニスの顔を直視すると真っ赤になっていた。もしかして照れているの?
私も反射的に赤くなる。だけどそんな彼の一面もかわいいと思ってしまう。
クスリと笑ったことでゼロニスはムッとして唇を尖らせた。
そっと頬に伸びる手、そして近づいてくる端整な顔立ち。
私に優しく口づけを落としたので、息をのんだ。
「俺を笑ったその唇への罰だ」
ゼロニスは微笑むと腰に腕を回す。力強く抱きしめられ、胸がドキドキする。
「だが、お前が無事で良かった」
耳元でささやかれる優しい声。いつから私は彼の胸がこんなに安心できる場所になったのだろう。
「勝手に抜け出して悪かったとは思うけど……。絶対助けに来てくれるって自信があったの」
ゼロニスはクスリと微笑む。
「当たり前だろう。だが、二度は勘弁だ」
回された腕にギュッと力が入るのを感じた。
「さて――約束を破った罰を償ってもらおうか」
「え……」
私はぎくりとして頬が引きつった。
「なにかあれば相談すると約束したはずだろう」
「それは……」
ゼロニスは留守だったから仕方ないじゃない。だからこそ、わかりやすいようにして出てきたでしょ。
「これから剣一万本で突き刺す」
止めてくれ、拷問どころの話じゃない。
「それとも唇に口づけを一万回、これから長い人生で払っていくのでは、どちらがいい?」
ゼロニスはずるい。答えはもう決まっているようなもんじゃないか。
「こ、後者で」
顎に手が添えられたまま返答すると、ゼロニスは優しい笑みを浮かべた。
その時、扉が控えめにノックされる。
ゼロニスは宙を見つめ少し考えたが、返答する。静かに開かれた扉から現れたのはフォルクだった。
ゼロニスはフォルクに近寄り、扉の近くで二人で話し込んでいる。
見守っているとゼロニスがフッと視線を向けた。
「セリーヌに会いに行くか?」
その名を聞き、心臓がドキッとした。今回の件でバーデン男爵も罰を受けることになると、聞いていたからだ。
セリーヌは私のことを恨んでいるかもしれない。
でも逃げてはいられない。
ごくりと息を飲み、決意する。
「行きます」
ソファからスッと立ち上がった。




