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花壇に咲き乱れる美しい花々や、丁寧に剪定された樹木。石垣に広がるツタ、広大な敷地の庭は手入れが行き届いており、とても美を感じる場所だった。
噴水からは水の流れる音が聞こえ、心が和んだ。
ホッと一息ついていると、どこからか人の声が聞こえてきた。耳を澄ますとどうやら複数いるらしかった。声からいって女性だろう。楽しそうな声が響く。
生垣があり、私の姿は見えていないらしかった。
「ここの花はどうかしら? 満開で綺麗だわ」
「そうね、今日は薔薇を飾りましょうか。棘に気をつけてね」
どうやら、屋敷で働くメイドらしい。会話から察するに、屋敷に飾る花を剪定しにきたのだろう。
「それでね、アンナのお母さんの体調が悪くて、田舎に戻ることになったんですって。残念よね」
「それは仕方ないわ。でも、困ったことになったわね」
彼女たちのお喋りは続けられた。
「ただでさえ、ゼロニス様の婚約者候補の方たちが集まっているから、人手不足なのに」
「本当よね。急に募集をかけても、すぐには集まらないだろうし。困ったわ」
彼女たちの話を聞いていて、ピンときた。
メイドの人手不足……?
これだわ!!
興奮して手を叩きたくなるところを、グッとこらえた。
私、このお屋敷でメイドとして働けばいいんじゃない? この二か月間。そしてお金を貯めるの。
これだけのお屋敷だもの!! 賃金も高いだろう。
いろいろなバイトを経験していたんですもの。それなりに対応できるはずよ。
そしてゼロニスの婚約者が決まる前に、そっと裏門から出て行くの。候補者争いからは脱落、ってことで。メイドの賃金をもって街で暮らすの。
メイデス家には二度と戻らない。
婚約者候補としてのラリエット・メイデスは、部屋に籠っていればいい。
大事な催しの時だけ顔を出すの。
名案が浮かび、心がウキウキとする。
ありがとう、メイドさんたち。いえ、すぐに同僚になるのかしら? 待っててね。
彼女たちにばれないように、そっと席を離れた。
そして浮かれ気分になった私は、庭園の奥まで足を伸ばす。人気はなく、とても清々しい気分だ。
本当、いい情報を手にいれた。
そういえば、外と繋がる裏門も、庭園の隅にあるんだっけ。
私はふと思い出す。
庭園から通じていて、婚約者候補から脱落した者たち、自分であきらめた者たちは、いつでも出ることが可能となっていると説明されている。
いつそっと姿を消しても、咎められることはない。
ちょっと今、場所だけでも確かめに行こうかしら。
時間だけはたくさんあることだし。気になった私は足を向けることにした。
庭園の隅に位置する門は、裏門といえど、立派だった。
見上げるほど高く、ロンバルディ家の紋章が刻まれている扉。
この扉を開けると外に出られるのね。
扉の向こう側からは入ることのできない仕組みとなっていると聞く。
本当は今すぐこの屋敷から出ていきたい衝動に駆られる。
婚約者選びなんて出来レース、参加したくないって。命の危険もあるやん!!
でも今はダメ。実家に戻った所で地獄が待っている。
だったらロンバルディのお屋敷で力を、いえ、お金を蓄えるの。自由を手にする為に。
この扉に手をかけ、意気揚々と出て行くのが私の目標だわ。
そう、生きてここから出るのが目標!!
二か月後には、必ずこの扉を開けて出ていくから!!
それも笑顔で、お金を握りしめて!!
決意を込め、扉に両手を添えた。固い城門は、今はビクともしない。
そのまましばらく祈りを込め、目を閉じた。
「ヨシッ!!」
気合い注入は完了。そろそろ部屋に戻るか――
「ヒッ!!」
クルッと振り返った時、思わぬ人物が視界に入り、奇声を上げる。
えっ、えっ、人がいたの!? まったく気づかなかった!!
サラサラの金の髪、空を思わせる爽やかな青の瞳を持つ人物。銀糸の入った黒の上着を羽織って腕を組み、首を傾げ、鋭い眼差しを向けて立っていた。高い身長で私を見下ろす姿勢になっている。
ゼロニス・ロンバルディ
なぜここにいるの? そしていつからいたのだろう。
背中を嫌な汗がたらりと流れた。
無言でジッと私を見つめるゼロニスは私の出方をうかがっているようだ。視線の鋭さは、私に対しての警戒心の現れだろう。
「お、おはようございます、ゼロニス様」
スッと腰を折り、頭を下げた。
「とても良いお天気ですわね」
にっこりと微笑んだ。
初対面で特に共通の話題もない相手には、天気の会話でもしておけ!
これは全人類共通でしょ!? そうでしょ?
だがゼロニスはさして興味もなさそうに、ため息をついた。
私だって本当は興味ねぇわ!!
ムッときた感情を必死で押し隠す。
「とても見事な庭園ですのね。お花がとても美しくて。私、朝食後に散策をして感動してしまいました」
聞かれてもいないのにペラペラッと喋る。浮かべるのは愛想笑い。
数々のバイトで取得したこのスマイル。だてにクレーマーの相手をしていないわ。
いまこそ、そのスキルを発揮する場面よ。
「……」
だがゼロニスは無言だ。私の愛想笑いにもピクリとも反応をしない。
おい、なんとか言ってくれ。
相手の反応がないことに若干焦る。
やがてゼロニスは、私のつま先から頭のてっぺんまで視線をジーッと向けた。