48
「……ちょっ、ダメです」
ギリギリのところで我に返り、ゼロニスの唇を両手で押えた。ゼロニスは目を細め、私をジロリとにらむ。
油断も隙もあったもんじゃないわ。こんな庭園でなんて誰が見ているか、わからないじゃない。
キョロキョロと周囲を見回すとゼロニスは私の手をつかむ。
「お前は雰囲気を読め」
「むしろそっちが慎みを持ってくださいよ」
ゼロニスに負けずと意見する。
「この……」
チッと小さく舌打ちするゼロニスはお行儀が悪い。
「どうせお前は婚約者に決定なのだから、いいだろう」
「なんですか、それ。減るもんじゃない、みたいな」
「実際、減らないだろうが」
ああいえば、こういう……
呆れている私に、ゼロニスはビシッと指を突き付けた。
「いつかお前に俺のことを愛していると言わせてみせるからな、覚悟しておけ」
ゼロニスはヌッと手を伸ばすと私の唇をギュッとつかんだ。
まったく、どこからくるのか、その自信は。
「あと、婚約者なのだから、特別にゼロニスと呼ばせてやる。敬称はいらない。つけたら死刑だ」
「ひっ」
物騒な発言に喉の奥から変な声が出た。
「あなたが言うと本気に聞こえます! 本当に地面に首が転がりそうな発言やめてください‼」
「お前のその発言も、なにげに不敬だからな」
だがゼロニスは言葉とは裏腹に口調は楽しそうだ。
「お前だけだ、俺にそんな発言をするのは」
ゼロニスはククッと笑うと手を伸ばし、私の背中に手を回す。そのままギュッと抱きしめてくる。厚い胸板、そしてシトラスの香りにドキッとする。
「俺は優しいと思うのだがな。お前の意志を尊重して待っているのだから」
本当に優しい男は自分で優しいなんて言わないはずよ。
ムウッと唇を尖らせた。
だが、彼の香りに包まれているこの状況は心臓がドキドキする。
「早く覚悟を決めてしまえ、どうせ逃げられないのだから」
言い方は乱暴だが、声は優しい。ギュッと抱きしめられ、彼の胸に顔をくっつけているとドクドクと音が聞こえてきた。心地良いリズムは私を安心させる。
この温もりが心地良くて、そっと瞼を閉じる。いつの間にか、私も胸が同じように高鳴っている。これはゼロニスの音なのか、私から聞こえるのか、どちらなのだろう。
静かに瞼を開けると視界に入ってきた光景に息をのんだ。
「わっ……‼」
驚きのあまり勢いよく、ゼロニスを突き飛ばした。
「も、申し訳ありません……‼ 声をかけるのをためらってしまい……」
真っ赤な顔で謝罪するフォルクは身を縮こまらせていた。
「いっ、いいのよ。気にしないで‼」
いつからいたんだ、フォルク。そしているなら早く声をかけてくれ。
「お二人の幸せな世界を邪魔してしまい、今すぐここから消え去りたいぐらいです」
うわぁぁぁぁ、それ以上は口にしないでくれ。気まずいから。
「どうぞ、私のことは空気と思い、続けてください」
フォルクはどうぞと言わんばかりに手を差し出すが、そんなわけにいくか!
わぁわぁと慌ただしくしていると、ゼロニスが声を出す。
「空気を読め、フォルク」
圧が強めの声を出し、フォルクをジロリとにらむゼロニスは、私の肩を抱いた。
「申し訳ありません。明日の視察の件で、事前に言うべきことを忘れないうちにと思いまして……」
かわいそうなフォルクは一度背筋を正すと、再度謝罪の言葉を投げた。
明日、ゼロニスはいないのだろうか。
ふとフォルクの言葉が気になり、顔を向ける。ゼロニスは視線に気づくと小さくうなずいた。
「ああ、明日は視察に出かけ、一泊して帰ってくる」
そっか、明日ゼロニスはいないのか。なんだか毎日顔を合わせていたから、妙な気分になる。
「さみしいか?」
顔をズイッとのぞき込まれ、言葉に詰まる。
「だ、大丈夫です」
見透かされたようで頬が赤くなる。変な気分だ。顔を逸らし、髪を耳にかけた。ゼロニスはフッと微笑むと、私の顎に手を添え、顔を向かせる。
「な、なんでしょう」
端整な顔に浮かべる笑みは破壊力抜群だ。
「つれない台詞だな。俺はたった一日でも、さびしく思うのに」
……本当なのだろうか。こんなにかっこいい彼が私のことを好きだって。セリーヌの間違いじゃなくて?
胸がドキドキしながらも視線を逸らせない。ゼロニスは口元に笑みを浮かべ、優しく何度も私の唇を指でなぞる。
「視察先はシルクが特産だから、みやげを待っているがいい」
私を気遣う言葉に胸がドキドキしっぱなしだ。指でなぞられ続ける唇。やがて端整な顔が近づいてきたが、カッと目を見開く。
「ちょっ……‼」
フォルクが見ているっているの!! また同じことを繰り返すつもり?
ゼロニスの唇を両手で押えた。
「気にするな。あいつは庭の銅像だと思えばいい」
「無理です‼」
自分の大事な腹心を銅像扱いするなと言いたい。
しばし無言で見つめ合うが、やがてゼロニスは渋々といった様子で背筋を伸ばす。
肝心のフォルクはこちらに背を向け、視界に入らないように彼なりの気遣いを見せていた。




