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部屋に戻る途中、庭園を横切る。
今日は天気も良くて、風も心地良い。すこし庭園を散歩しようかしら。
そうだ、セリーヌを誘ってみよう。
最近では彼女とお喋りをするのが、とても大事な時間だと思うようになっていた。
私は真っすぐにセリーヌの部屋を目指した。
セリーヌの部屋の扉をノックすると中から声が聞こえた。しばらくすると扉がゆっくりと開く。
「こんにちは。ちょっと庭園に散歩でも――」
明るく声をかけて、セリーヌの顔を見たらハッとした。
「ど、どうしたの?」
セリーヌの目が赤くなり、腫れていたのだ。これは泣いたあと。
「嫌だ、お恥ずかしいですわ」
セリーヌは力なく笑う。その様子が痛々しくて胸がギュッと苦しくなった。
散歩に誘いに来たけれど、今日は遠慮した方が良さそうだ。元気のない姿を見ると、今は慰めるよりそっとしておいた方がいいと判断した。
きっと落ち着いたら話してくれるはず。それまで待とう、セリーヌの心の整理がつくまで。
「また落ち着いたら誘いに来るわね」
私は聞きたい気持ちをグッとこらえると、部屋の扉を静かに閉めた。
* * *
それから三日後、昼食後に部屋で休んでいると控えめに扉をノックする音が響いた。
「ラリエット様、今日は良いお天気ですから、庭園に行きませんか?」
扉の隙間からおずおずと顔を出したセリーヌ。
良かった、前の時よりは元気を取り戻したみたい。
「ええ、喜んで」
私はにっこり微笑んで、足早にセリーヌに近づいた。
* * *
「あら、新しい花壇が作られているわ。ちょっと行ってみましょうよ」
数日前からレンガ造りの花壇が増設されていたので、気になっていた。
新しい花壇は色の組み合わせから花の配置まで、考えて植えられている。白、紫、ピンクの色合いを中心に植栽しており、エレガントで落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
バランスよく彩られた景色は見ているだけで心が和む。
「素敵ね」
「はい、本当に綺麗ですわ」
セリーヌと二人で新しい花壇を前にして、微笑んだ。
ああ、こうやって同じ物を見て感情を共感できる友人というのは、とても貴重な存在なのだな。
今まで賃金を稼ぐことに夢中で、他のことが目に入っていなかった。こんなに身近に気の合う友人がいるとは気づいていなかった。なんてもったいない。
「あっちの方も行ってみましょう」
噴水がある方向を指さした。セリーヌは笑顔でうなずいた。
取り留めもない会話をして歩いた。ロンバルディのお屋敷の食事はとても美味しく、とくにパンが絶品だということ、セリーヌの部屋の窓の上に鳥が巣作りをしたことなど。たわいもないことだが、とても楽しい。
ふと顔を横に向けると裏門が視界に入り、足を止めた。
私、一度、あそこから出たんだよな……。
裏門から出た候補者たちは、二度とこの屋敷に足を踏み入れることがないと言われていた。
だが私だけが例外だった。だから、ここにいる――
不思議な気持ちになり、裏門を見つめた。
「ラリエット様?」
セリーヌが首を傾げて顔をのぞきこんできたところでハッとする。
ああ、いけない。今は考え事をせず、セリーヌと向き合わなければ。
「なんでもないわ、行きましょう」
にっこりと微笑み、噴水を目指した。
「いいお天気ですわねぇ」
「ええ、本当に」
噴水の前に設置してあるベンチに腰掛け、空を見上げる。雲一つない快晴、鳥が空を舞っている。
「この前のことなのですけど――」
太陽のまぶしさに目を細めた時だった。セリーヌがぽつりと切り出したのは。
私は背筋を伸ばし、聞く体勢を取る。
「父が訪ねてきたのです」
セリーヌの父であるバーデン男爵はどんな方なのだろう。小説内での描写がなかったので、気になる。だが、こんなに性格のいいセリーヌの父親なのだもの。きっと人格者に違いない。
「父は私にこう尋ねました。婚約者に選ばれそうか、と」
セリーヌの表情がみるみるうちに暗くなる。
「私は即座に、いいえと返答したら父の怒りを買ったのですわ。わが家はお恥ずかしいお話ですが、金銭的にあまり余裕がありません。最近街で、劇場に来た貴族をターゲットにした、ちょっと高級な宿の経営を始めたのですが、まだ軌道に乗らないようで……」
セリーヌの横顔はさびしそうだった。
「それもあって父はこの話にかけていたのですわ。ロンバルディ家の恩恵にあやかろうとしたのでしょう」
小説通りだったら、今頃ゼロニスと結ばれているはずだった。だが、ゼロニスはなぜか私を気に入っている。
そしたら本来、結ばれるはずだったセリーヌは? どうなるの?
まさか、一生独り身ってわけじゃないわよね? こんなに性格も良くてかわいいのに。
たまらなく罪悪感が胸を苦しめる。
「ラリエット様?」
胸を抑えて考え込んでいるとセリーヌは顔をのぞきこんできた。
「すみません、こんなお話をお聞かせしてしまって」
「いえ、いいのよ。話してくれてありがとう」
ゼロニスの婚約者になることができず、父から責められたと聞き、なんともいえない気持ちになる。
「私は本当にゼロニス様の婚約者になりたいと思わないのです。ですが、実家に戻ったところで、次のお金持ちを探すように言われるはずです。それを考えると憂鬱で帰りたくないのです」
セリーヌは小さく微笑むと、つけたした。
「ここは衣食住が約束されていますし、婚約を迫られることもない。それに、ラリエット様という友人もできましたし」
ちょっと恥ずかしそうに頬を染めるセリーヌに胸がしめつけられた。




