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カウンターにいたおかみさんに声をかけると、最初誰だかわからなかったようで、驚いた顔で私をまじまじと見つめた。
「二階の三号室です」
「えっ……」
おかみさんは私の化粧テクに絶句している。
「ああ、化粧を落としたのです」
説明するとおかみさんは豪快に笑う。
「やだよ、私ったら。誰かと思ったじゃないか。三号室のお客さんね、全然違うから驚いてしまったよ」
カウンターに寝そべっていた黒猫が、その声にうるさそうに顔を上げた。
「いや、最初見た時、貴族のお嬢さまが、こんな安宿にどうしたんだろうって、ドキドキして身構えちまったよ」
おかみさんは先ほどの態度とは一転して、豪快に笑う。
「で、お嬢さんは舞台女優かなにかかい?」
あらいやだ。
おかみさんの目には私が女優に見えるらしい。つまり、人目を惹く美人ということかしら。
「化粧があんまりにも上手だからさ」
悪気のないおかみさんの発言にガクッと肩を落とす。
「まあ、そんなところでしょうか」
あいまいに説明し、笑ってごまかす。
「それでちょっと質問があるのですが」
私はごくりと喉を鳴らし、本題を切り出した。
「この街で求人など出ていませんか? 私、職を探しているのです」
「仕事を探しているって?」
「はい、そうです。できれば住み込みだったら、ありがたいです」
おかみさんは空を見上げ、考え込む。
「そうだねぇ、青空広場へ行ってみるといいよ。人を募集している時はそこの掲示板に張り紙があるはずだから。なにかしら仕事はあるよ」
有益な情報をもらい、顔が明るくなる。
「ありがとうございます、さっそく行ってみます」
「この宿を出て左に真っすぐいって、角の金物屋が見えたら、右に曲がってそこからひたすら真っすぐさ」
おかみさんへお礼を言い、さっそく青空市場を目指した。
おかみさんの説明通りに進むと、お目当ての青空市場に到着した。広場は広いスペースがあり、ベンチに座って休んでいる人や、集まって喋っている人、さまざまだ。
広場の隅に大きな掲示板を見つけ、はやる気持ちで駆け寄る。
張り紙がたくさんしてあり、端から一つずつ目を通した。
重い荷物を運ぶ仕事や、屋根の上に乗って修繕するなど、主に力仕事ばかりだった。残念なことに、私ができそうなものはない。
そんな中、女性限定の求人票を見つける。
男性と楽しくお喋りをしてお酒を飲むお仕事、もみもみ酒場、時給三千バーツと書かれている。
嫌な店名だな、センスを疑うわ。
これは素人の私でもわかる。怪しいやつだ。
でも、仕事が見つからないのなら、いっそここで一時的に働くとか……?
一瞬、そんな考えが浮かぶが、我に返る。
ダメよ、お酒も苦手だし、酒に酔った男性は特に嫌いだった。酒癖のよろしくない父と義兄を見ていたからだ。
よし、他もあたってみよう。求人票はここだけとは限らない。それこそ、店先に張られている場合もあると、おかみさんは言っていたっけ。どちらにせよ、大きな街だから、なにかしらあるに違いない。
あきらめるのはまだ早い。
それにこの街のどこになにがあるのか、把握しておきたい。
絶対にチェックをしておきたいのが、万が一部屋を借りることになった時の貸し部屋と、あとは質屋!!
持ってきたドレスはもう、私には必要ない。荷物にもなるし、それにいざという時は、装飾品も売り飛ばしてもいいように、質屋の場所だけでも把握しておきたいものだ。
その時に慌てるより、なにかあった時のために備えておくの。
そうと決まれば、街を歩こう。求人票が出ていないか確認しつつ、貸し部屋と質屋を探して。
この青空市場をスタート地点として、しらみつぶしに探して歩こう。
決意して街を歩いた。
* * *
つ、疲れた。
足が棒になりそうな頃、ようやっと黒猫亭に帰宅する。日はもう、暮れかかっていた。
二階に上がり、鍵を開ける。
まずはベッドになだれこむと、靴を脱ぎ捨てた。
青空市場からスタートして、結局ずっと街を散策していた。
仕事は見つからなかったが、質屋は見つけることができた。裏通りの路地の一角に店を構えていた。あと貸し部屋も見つけたが、どこもいい値段だった。これなら仕事がはっきりと決まるまでは、この黒猫亭で泊まっていた方が安く済むかもしれない。部屋を借りるとなると初期費用も必要になるし。
だが他にも収穫があった。
安くて美味しいと行列ができてる食堂も見つけたし、かわいい雑貨屋さんもあった。今はまだ荷物を増やすことはできないけど、ちゃんと住居を構えて仕事をしたら、自分の好きなものに囲まれて生活するのも悪くない。風にそよぐレースのカーテンに、丸いテーブルなんて可愛いな。一輪挿しの花瓶にお気に入りの花を飾るの。
想像するとふふふと笑った。
そういえば、お腹が空いたわ。ベッドからむくりと起き上がる。
おかみさん、夕食をつけたら別料金だといっていたな。ちょっと予算オーバーだけど、せっかくだから食べてみようか。だって今日は私が街に来た記念日だもの。
今からでも間に合うかしら。靴を履き、階下へ向かった。




