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部屋を片付けトランクを片手に、いざ出発。メイド長から受け取ったお給金は念のため、いくつかに分けて隠した。だが、ふとセリーヌの顔が脳裏に浮かぶ。
挨拶だけはして行こうかしら……。
ここで誰とも仲良くはならなかったけど、セリーヌは唯一私と繋がりを持ったし。
そうよね、黙って去ったら薄情な感じがするわね。挨拶だけでもしていこう。
そうと決めたらセリーヌを探すことに決めた。
私の部屋を出て、廊下を真っすぐにいって突き当たって、左に進んだ先にあるのがセリーヌの部屋だ。ぎっしりと詰まって重たいトランクを引きずり、セリーヌの部屋を目指した。
確か、ここよね。
セリーヌの部屋の前にたどり着く。
トントンとノックをすること二回、扉の向こう側から小さな返事が聞こえた。
パタパタと走る音が聞こえる。しばらくすると静かに扉が開いた。
「まあ、ラリエット様」
良かった、彼女の部屋で間違いがなかった。
パアッと顔が明るくなったセリーヌを見て、ホッとした。
「急に訪ねてごめんなさいね」
「いえ、とんでもない。ラリエット様がたずねてきてくれるなんて嬉しいです」
セリーヌは頬を染め、微笑んだ。
つるつるの肌にサラサラの髪。赤く色づいた唇にぱっちりとした瞳。
やはり物語のヒロインは格別な美しさだ。
「どうぞ、入ってくださいな」
セリーヌは入室するように勧める。困ったなぁ、こんなに歓迎されては申し訳なく思える。
「実はね……」
どう切り出そうか迷っていると、セリーヌの視線は私が持ってきたトランクに注がれていることに気づいた。
「ラリエット様、それは……」
あ、気づかれてしまったか。でもちょうど良かったのかもしれない。私は静かにうなずき、切り出した。
「実はね、私はここを出ることになったの」
「えっ……」
セリーヌの瞳が驚愕に見開かれた。
「だから挨拶にきたの」
「そんな……」
セリーヌは悲しそうに目を伏せた。
「残念です。婚約者候補として集まった人々の中でラリエット様だけは私に優しかった。これからもっと仲良くなりたかったです」
本来なら悪役令嬢だった私。展開通りなら、とっくに退場していたわ!!
でも、セリーヌと仲良くなれたことは嬉しいことの一つだわ。
「ありがとう。そう言ってもらえるとすごく嬉しいわ」
セリーヌが無理に微笑むと涙が一筋ながれた。
こんな私の為に涙を流してくれるのだと思うと、胸がキュッと苦しくなる。指を差し出し、セリーヌの頬に滑らせた。
「……泣かないで。いつかまた会えるから」
この言葉は嘘だ。街に下りる私と貴族令嬢のセリーヌとでは今後会うことは難しいだろう。彼女はゼロニスと共に生きていくのだから。
「理由をお聞きしてもよろしいですか?」
セリーヌはおずおずと口にする。そうよね、気になるところだ。
「ここでの私の役目は終わったから」
まさか、ゼロニスに出て行け宣言されたとは口が裂けても言えない。
仕事がクビになったので、もう働けない。つまり、ここに留まる理由はなくなったのだ。それどころか、ゼロニスとセリーヌが結ばれ、候補者たちが家に帰されるとなると困るのだ。
そう、捕まる前に逃げる。私を拘束する家族から。
「ラリエット様はご実家に戻られるのですよね? 遊びにいってもよろしいですか」
セリーヌがおずおずと遠慮がちに口にした。
「私、実家には戻らないの」
「えっ!?」
「自由に生きるつもりよ」
いわば私の決意表明だった。セリーヌ、私は自分の道をいくから、あなたもどうかお幸せに。
「セリーヌ、幸せになってね。……ゼロニス様はきっとあなたのことは大事にしてくださると思う」
そう暴君などと言われているが、噂が独り歩きした部分もあるんじゃないかしら。私を同僚からかばってくれたり、優しい一面もある。その優しさがあなたには惜しみなく注がれるはずだ。
突然、こんなことを言い出した私にセリーヌは驚いて目を瞬かせている。
その様子を見てフッと微笑む。
「ごめんなさい、もう行かなくちゃ」
街への乗り合い馬車の時間が迫っている。
「じゃあ、またね、セリーヌ」
「ええ、またお会いしましょう、ラリエット様」
その『また』は来ないと思っている。でもそんなことを指摘しない。
微笑み、セリーヌへと最後の別れを告げた。
セリーヌと別れたあと、トランクを引きずって裏庭を目指す。
誰ともすれ違うことなく、裏門までたどり着いた。
花の香りが鼻孔をくすぐる。私は裏門を前にして深呼吸をした。
重厚な裏門。
候補者たちはここからいつ出て行くのか、本人の判断にゆだねられている。誰の許しも必要ではない。
ラリーはゼロニスにクビ宣言され、ラリエット・メイデスは自分から候補者を辞退した。こうやって筋書きを作れば、私が消えたことに誰も不思議に思うまい。
セリーヌにだけは挨拶することができたし。
もう、思い残すことはない。
裏門を前にして、最後にクルリと振り返り、屋敷を眺める。
さようなら、広大な庭にそびえたつ、ロンバルディ侯爵家。もう二度と足を踏み入れることはないだろう。
ゼロニスも、どうかセリーヌと幸せになりますように。
祈る気持ちを込め、屋敷を見上げた。だがいつまでも感傷に浸っているヒマはない。
「さあ、行きますか!!」
自分自身にカツを入れ、裏門の扉を押した。




