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「はい、トバルの街に住みたいと思っていますので」
うっかりポロッとこぼすのと同時だった。ゼロニスがピクリと目を細めるのと。
眉をひそめ、探るような視線を向ける。
「お前は、今はどこに住んでいる?」
きわどい質問が飛んできて内心パニックになった。
言えない、ラリエット・メイデスとして与えられた一室、しかもこのお屋敷に住んでいるだなんて!!でも通いのメイドの設定にしている。嘘がばれないかと、心臓がドクドクと音を出す。
「あ……じ、実家です」
嘘は言ってはいないわよね。ここに来るまではメイデス家に住んでいたのだから。
背中を嫌な汗がダラダラと流れる。頼む、それ以上、聞いてこないでくれ。ボロが出そうで怖いんだ。
「実家からなぜ、出ようと思っているんだ」
ゼロニスはどこに興味がわいたのか、質問してくる。
「あ、それは、両親と義兄とあまり折り合いが良くないものでして……」
これも嘘ではない。
少しの本当のことを混ぜ、上手いように取り繕う。だが心臓がバクバクする。相手はあのゼロニス。嘘をついたとばれた瞬間、首が吹っ飛びそうだ。
家族とはあまり折り合いが良くないなんてもんじゃない。
過干渉で私を道具のように思っている両親に、私を嫌らしい目で見る義兄。心が休まる場ではない。
だから私は飛び出すのよ、ゼロニスの婚約者が決定したら!
「だが、トバルの街からここまでは、距離がある」
確かにゼロニスの言う通りだ。ここからトバルの街までは馬車で一時間以上かかる。
「通うには大変だろう」
ゼロニスは私を気遣ってくれている?
その気遣いに胸がジーンときた。小説を読んでいただけでは気づかなかった。こんな優しい一面もあっただなんて。
「大丈夫です。次はトバルの街でお仕事を見つけますので」
ついはしゃいだ声を出してしまった。
「………」
ゼロニスは頬杖をついていたが、目を見開き、顔を上げた。
ここまで驚いている顔は初めて見た。私のほうこそ、びっくりだ。
「あっ、申し訳ありません」
深々と頭を下げると、ズッと椅子の引く音がした。どうやらゼロニスは立ち上がったようだ。頭を下げ続けていると、ゼロニスのつま先が視界に入る。
「顔を上げろ」
頭のすぐ上から聞こえる声はいらだっている。
おずおずと顔を上げると、ゼロニスは目の前に立っていた。
「も、申し訳ありません。お伝えするのが逆になってしまいました。私、ここでのお仕事を辞めようと考えています」
どうせいつかは辞めることになるのだから、言っておいてもいいだろう。
「――いつだ」
ゼロニスは両腕を組み、私を顎でしゃくる。指を一定のリズムでトントンと叩いている。いらだちを隠しきれていない。
「時期は不明なのですが、ゼロニス様が婚約者を決めた頃でしょうか」
婚約者が決まれば、集まっている候補者たちは家に帰される。そしたら私もメイデス家に帰らねばならない。それは嫌だ、絶対に。だからこそ、解散と同時に街に住む手はずを整えておかなければならない。
「ハッ……」
ゼロニスは呆れたように肩を揺らす。
時期的にはセリーヌを見初めている頃だ。もう、いつ解散となってもおかしくはないと思えた。
「理由はなんだ」
ゼロニスはなおも詰め寄ってくる。
私はごくりと喉を鳴らし、一歩後ずさる。
「それは……」
どうしよう、ゼロニスは私の返答を待ち、ジッと見ている。
彼に嘘や言い訳は通用しない。
ならば――
「最初から、期間限定のつもりでした。ゼロニス様が婚約者を決めるまでと――」
ゼロニスは顔をゆがめた。まるで忌々しいものを見るような目を私に向ける。
「どいつもこいつも婚約者とうるさい奴らだ」
よほど周りから言われているのだろう。ゼロニスの言い方からそんな印象を受けた。
「――もういい」
ゼロニスは小声で吐き捨てる。
「出ていけ」
冷たい眼差しを向け、私を顎でしゃくった。
あ……。
その瞬間、私はすごくショックを受けた。
だが、もう遅い。どんな弁解をしようとも、ゼロニスは聞く耳を持たないだろう。
彼に出て行けと言われたら最後、そこでおしまいなのだ。
震える指先をギュッと握りしめ、顔を気丈に上げる。
最後は笑っていたいと思い、唇を噛みしめながら前を向く。
「失礼いたしました」
深々と頭を下げ、カートを押して退室する。
ゼロニスの視界から外れた途端、足に力が入らなくなり、その場で座り込んだ。
ついに出て行け、って言われてしまった。つまりもう、私は用なしということ。
以前、私と同じようにゼロニスから「出て行け」と言われていた女性の最後、裏門から無理やり出されていた姿が脳裏に浮かぶ。それにターラを筆頭に同僚たちもゼロニスの一言によって、ここから出て行かされた。
実質のクビ宣言を受けて、私は途方にくれたのだった。




