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彼女たちは真っ青な顔をしつつも深く頭を下げ、すごすごと退室していく。
その後ろ姿を見て、もう彼女たちに会うことはないのだと悟った。
「――さて」
ゼロニスが一息ついた声を出すと腰を折る。床に膝をつき、私と視線を合わせた。
「お前はこんなところで、なぜ水浴びをしている」
それは彼女たちに頭からかけられたからで……。
すべてをお見通しなのだろう、ゼロニスはフッと笑う。
「早く着替えてこい」
私の手をグッと掴み、立たせた。そんな、濡れていて汚いのに、ゼロニスも濡れてしまう。だが彼は気にしていない様子だった。
「あの、ゼロニス様、ありがとうございました」
「――別に」
ゼロニスはなんの抑揚もない声を出す。
「俺が飲む紅茶を、どぶネスミのように汚れた手で淹れさせるわけには、いかないからな」
そんな言い方をするが、かばってくれたのは事実だ。
この人、小説では暴君だって書かれていたけれど、自分が一度認めた相手には優しいんじゃないのかしら。敵だとみなすと容赦ないけれど。
「なにを見ている」
ジッと見ているとゼロニスににらまれた。
「いえ、なんでもありません」
「着替えたら執務室に来い。紅茶を持ってな」
それだけを告げると踵を返し、フォルクを連れて去った。
* * *
その後、同僚からの嫌がらせ行為はピタリと止んだ。
むしろメイド長から直々に呼び出され、謝罪された。
「あなたが嫉妬の的になるなんて、容易に想像できたのに。気づいてあげられなくて申し訳なかったわね」
「いえ、そんな顔を上げてください」
焦る私にメイド長はゆっくりと顔を上げた。
「ともかく、また同じような目にあったら、すぐさま報告をして欲しいの」
「はい、わかりました」
もう同じような目には合わないだろう。なんとなくだけど、そう感じた。
ゼロニスが三人をその日のうちにクビにしたことは、すでに噂になっていた。その理由に私が絡んでいることも知れ渡っていた。
だが、これまでにないほどの寛大な処置だとも言われていた。今までは腕の一本も切り落として追い出していたのだろうか……確認するのが怖すぎるので、聞かないでおこう。
そんな中、私に近づいてくる人物はいないと思えた。
嫌がらせをしてくる奴がいたらよほどのバカか、命知らずだ。
「ゼロニス様は陰湿な行為をとても嫌うの。それが例え、メイド間のことだとしても、決して見逃す方ではないから」
はい、肝に銘じます。
しかし、ゼロニスは意外に正義感が強いのだな。そのおかげで今回は助かったのは事実だ。
それから数日後、すっかり平和になった職場環境。
同僚たちは、私と距離を取りつつも、仕事に支障がない程度に上手くやっていた。もとより仕事関係の人間とは深く付き合う気もなかったからちょうどいい。私はゼロニスが婚約者を決めた時点で街に下りるのだから。
紅茶のカートを押して、重厚な扉の前で立ち止まる。
身だしなみのチェックを終えると、扉を三回、ノックした。
いつものように扉の奥から声が聞こえたので、静かに扉を開いた。
「失礼します」
一礼をし、慣れた手つきで紅茶を淹れる。
今日はゼロニスがここ最近、お気に入りの茶葉をセレクトした。お湯を注ぎ入れ、蒸らしている間に焼き菓子の準備をする。カップに紅茶を注ぎ入れ、準備完了。
「お待たせいたしました」
椅子に腰かけ、難しそうな書類に目を通すゼロニスの前に差し出す。
「ああ」
ゼロニスは置かれた紅茶に視線を向けると、読んでいた書類をテーブルの上に置いた。
紅茶のカップを手にし、喉を潤した。
私は静かに見守っている間、窓の外の景色を見ていた。
「なにを見ているんだ」
ゼロニスから声をかけられ、ハッとする。
「いえ、窓の外を見ていました。今日はお天気がいいものですから、外出するには最高ですね」
晴天で風が心地よく吹いている。こんな時、休みで街に行けたら最高なのだけど。
私はここに働いている間、もう一度だけトバルの街に行かなくちゃ。前回はゼロニスが一緒だったから、用事は足せなかったけれど、住む場所の目星をつけておかなければならない。あとは仕事も。
「また、出かけたいのか」
ふとゼロニスが腕を組み、私にたずねた。
それはどういう意味だろう。
「はい、また今度トバルの街に行きたいと思います」
「よほど、気に入ったのだな」
ゼロニスは機嫌よく、クスリと笑う。だから私は少し気が緩んでしまったのだと思う。
――この時の失言をあとから後悔した。




