2
意気込んでいると扉が静かに開いた。そして部屋に入ってきた人物は目を吊り上げた。
「まあ!! お嬢さま!! なぜ、こんなところにいるのです!?」
キーキーと叫びながら私を糾弾するのは、髪をカチッと一つにまとめ、顔全体に広がったそばかすが特徴的の四十代の中年女性だ。彼女はメイデス家から連れてきた私付きの侍女だ。
「ちょっと体調が良くなくて、戻ってきたのよ、マーゴット」
高い声がうるさいと思いつつ、ベッドから起き上がる。
「大事な舞踏会なのに、そんなことでどうしますか!! ゼロニス様のお目にとまるチャンスですのに!!」
マーゴットは私の側にくると、一気に攻め立てた。
ここが小説の中の世界だって気づいたばかりで、それどころじゃないっていうのよ。
ゼロニスの婚約者とかどうでもいいから。
私はどうやってこの世界で生き延びるのか考えるのが先だから。
「今からでも会場にお戻りください!!」
ピシャリと言ってのけるマーゴット。
私はだんだんとイライラしてきた。
スッとベッドから立ち上がり、マーゴットの前に立つ。女性にしては背の高い私から見下ろされる姿勢になったマーゴットは多少、うろたえた。
「頭が痛いから戻らないわ」
「そ、そんな……」
「いいから湯を用意して。化粧を落としたいの」
まずはすっきりさせたい。身も心も。
「でも舞踏会が……」
「いいから湯を早く!!」
なおも食い下がるマーゴットだったが、私だって負けていられない。やがてマーゴットは忌々しげに顔をゆがめた。
「今回のことは旦那さまと奥様に報告いたしますからね!!」
吐き捨てると荒々しく扉を開けて出て行った。
マーゴットがこんなにも強気なのは理由がある。
彼女は義母のお気に入りの侍女だ。つまり彼女は父と義母から遣わされた、いわば私の監視役だ。私の行動を逐一彼らに報告した。
私がゼロニスの目に留まる努力を怠っていると、両親に代わって叱責を受けた。
だから私に対して、こんなにも強気なのだ。
小説の中のラリエットも、マーゴットに逐一行動を報告され、いちいち指図されていたのだろう。それに嫌気がさして焦って行動に出て、早々と物語から退場するはめになったのかもしれない。
重い衣装を脱ぎ捨て、マーゴットが渋々ながら準備した浴槽につかる。
「ああ、気持ちいい」
思わずつぶやいてしまう。
厚く塗りたくった化粧とごてごてに固めた髪を洗い流すと、心も体もさっぱりした。
いつもは入浴の補助にくるマーゴットも、よほど私に腹を立てたのか、今回は姿を現さなかった。でも、残念でした体ぐらい、一人で洗えるわ。むしろ、人に見られながらの入浴なんて心が休まらない。
そっとしておいてくれてありがとう、だわ。
そして私は一人、十分に湯を堪能した。ガウンを羽織り、鏡台の前に座る。
「えっ……」
そこで鏡を見て驚愕する。
つやつやの肌にぱっちりとした目。薄い赤い唇。
「嫌だ、化粧を落としても十分可愛いじゃない、私!!」
そう、そこには全然別人のラリエットが映っていた。
変にパウダー等を塗りたくらずとも、素顔のままで十分可愛かった。化粧後と化粧前では全然印象が違う。
むしろ私は化粧前のほうが自然な感じですごく好き。
サラサラのストレートな髪も、わざわざ巻く必要などなく、このままでも素敵じゃない。化粧だってパウダーを少しはたくぐらいで十分よ。
だけどゼロニスの目に留まるよう、化粧を厚く、ドレスも派手に。それはラリエットの武装ともいえた。
だけど私は自由に生きたい。
ふと思う。
好きでもないゼロニスに言い寄り、断罪される。それだけはごめんだ。
それにゼロニスの運命の相手は、この婚約者選びの中に入っている。
小説を読んでいた私から言わせると出来レースだ。だったら早々に一抜けた。
だが、ゼロニスに選ばれないと、メイデス家に帰ることになる。
そこでは私に自由はない。
ゼロニスに選ばれなかったことをさんざんなじられるだろう。私の意見は無視して、他の家に嫁がされるに決まっている。気持ち悪い義兄にべったり張り付かれるのもごめんだ。
だったら、ゼロニスにも選ばれず、メイデス家に帰られなければいいんじゃない?
「そうよ、それだわ……」
思いついた案に心が明るくなる。
ここからロンベルディの屋敷から近く、一番大きく栄えているトバルの街。小説を読むに、治安はとてもいい港町だった。それだったら、トバルの街に生活の基盤を築くのもありだ。
生粋のお嬢さま育ちのラリエットには難しくとも、前世で何個もバイトを掛け持ちしていた私。この知識があれば、働くことだって苦じゃないわ。
そうよ、目指すは自立よ、自立。
好きでもない男性に媚びを売って選ばれる為に躍起になるより、この屋敷を出たあとのことを考えるの。
それにはまず、お金が必要だ。トバルの街で自立するにしても先立つものはお金。
ゼロニスの婚約者選定の期間は二か月。この期間の間にお金を貯めよう、婚約者選びなんて、むしろどうでもいい。いや、むしろゼロニスに構うな、危険。
そうと決まれば、これから忙しくなるわ。
「まずはお金を稼がないといけないわね」
その晩、私は今後の身の振り方について深夜まで考えたのだった。