18
トントンと扉をノックすることいつものように三回。
部屋の奥からくぐもった声が聞こえたので、扉を開けた。
「失礼します」
ペコリと頭を下げて入室する。
ゼロニスは椅子に座り、書類に目を通していたが、私が入室すると視線を向けた。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
そうは言われても私の始業時間ぴったりだわ。別に遅れていませんけど?
だが口に出すわけにもいかず、表面上はにっこりと微笑んだ。
「始業時間を一時間早めるか」
「えっ!?」
それって私のことだよね? つい口から出てしまう。
「なんだ、不服か」
ゼロニスは私が反応したことで、食いついてきた。
今の時間がちょうどいい。なぜならラリエッタとして朝食を取り終えてから、ラリーとなって出勤しているのだから。一時間時間が早まると、朝食を取ることができなくなる。それも困るが、ラリエッタの姿が周囲の目に入らないのも困る。毎朝見かけていた人物の姿が急に見えなくなると、人々は気になるものだ。
噂になるのは避けたいし、必要以上にラリエット・メイデスに関心を持たれてはいけない。
ゼロニスは静かに私の反応をうかがっている。
「あ、朝が苦手なんです!!」
「なんなら、部屋を用意してやってもいいが?」
ヒェッ……。困った申し出に頭を悩ませた。
使用人が住む宿舎は屋敷の敷地内にある。だが、一部の勤務歴の長い使用人などは、この屋敷に部屋を与えられていた。私は通いの使用人で通している。
部屋なんて与えられたら、ラリエットの存在を消滅せざる得ない。それはまずい。
「いえ、私は通いで十分です。今の住まいが気に入っているので!!」
大きく首を横に振った。
「そうか。それなりに設備が整い、広い部屋を与えてやろうと思ったのに、お前はバカだな」
はい、バカで結構です。
クスリと笑うゼロニスだが、こっちにはやむを得ない事情があるってことよ。
話しながらも紅茶の準備を進め、ゼロニスに差し出す。
紅茶の葉の香りが部屋にフワッと香り、心が癒される空間だ。
ゼロニスに紅茶を差し出したので、まずは役目は終わりだ。
「では失礼します。またなにかありましたら、お呼びつけください」
深々と頭を下げ、退室した。
それから今日の持ち場は、調理場と同僚から教えられた。
「ありがとう」
さっそく調理場に向かう。皆が忙しそうに動き回っている。もうすぐ昼食の時間だからな。
私の今日の仕事はなんだろう。
「あの――」
「邪魔だ、あっちいっててくれ!!」
シェフが忙しさのあまり、殺気だっている。周囲をチョロチョロされては気が散るのだろう。
まあ、あのゼロニスの口に入るものを料理するのだ。下手したらクビが飛びかねない。必死にもなるだろう。
でも、まいったなぁ、私の本日の配属は調理場って言われたんだよな。
「ラリー」
戸惑っているとメイド長から声がかけられた。
「あなた、どうしてここにいるの? 今日は庭園の掃き掃除をお願いしたはずよ」
「えっ……」
それは聞いていなかった。
「すみません、私の聞き間違いだったようです」
「ゼロニス様は午後から庭園を散歩なさるから、その前に掃き掃除をやって、早く!」
「はい!!」
私は指示された庭園へと足早に向かう。
おかしい。
調理場と庭園、間違えるはずがないわ。
庭園に到着すると数名のメイドたちが、すでに掃除を始めていた。
遅れて登場したことを謝罪し、準備されていた清掃道具に手を伸ばした。
ホウキで掃き掃除をしようとすると、一人のメイドがスッと手を出した。
「あなたは遅れてきたのだから、あれを磨いてくれないかしら?」
メイドがスッと指さしたのは噴水の中央にある女神の像だった。下から水が噴き出すスタイルの噴水だ。
「あそこですか?」
「ええ、そうよ。水を流すのを止める許可をいただいているから、磨いている間は水を止めてあげる」
「わかりました」
布を受け取り、噴水に近づく。いつもは水があふれ出しているが、すでに止まっていた。
用意された脚立を使い、女神像に手を伸ばす。
ブロンズの女神像を布で一生懸命に拭いていると、暑くなってきた。額にじんわりとにじんだ汗をぬぐった。
そろそろ綺麗になったかしら?
女神像から一歩離れた所で確認しようとした時、下から水が噴き出した。
「きゃっ!!」
私は全身に水を浴び、濡れてしまった。
慌てて脚立から下りるが、すでに遅かった。
頭からビチョビチョで濡れてしまった。




