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焼き菓子を一つ食べ終えたゼロニスは再びカップを手にし、グイッと飲みほした。
「あと味がすっきりしているな」
紅茶の茶葉のことを言っているのだ。
「あ、はい。焼き菓子の甘さを引き立たせるため、紅茶は甘さ控えめになっております。爽快感のある渋みと深いコクのある味わいの茶葉を選びました」
「茶葉はどこのだ?」
急な質問に背中を嫌な汗をかく。
えっと、この茶葉の名前はなんだっけ!? 茶葉の名前まで憶えてない!! これは完全なる勉強不足。
ゼロニスは視線を真っすぐに向け、私の答えを待っている。
えっと、えっと……。
「これは、美味しい美味しい、特別なお茶です」
……私の語彙力よ。
私の知識をフル稼働させても、これが答えられる精いっぱいだった。
ゼロニスはなにかを考え込んでいるのか、口元に手を当てている。
やばい、いくらメイドでもこの語彙力のなさは、ロンバルディのお屋敷で働くメイドに相応しくないとか、いきなりキレちゃうやつ?
ヒヤヒヤしながら出かたをうかがう。
ゼロニスは足を組み、真っすぐに私を見つめた。
「見ない顔だな。新しく入ったのか?」
ギクッとして肩が揺れる。
メイド長から聞くゼロニスは、メイドの存在など認識していないようだったが、話が違うじゃないか。
「はい。本日だけ、紅茶の給仕を担当することになりました」
明日からはいつもの担当に戻るから、なにか気に入らないことがあっても、今日だけだから見逃して欲しい。
「そうか。いい味だな」
……え?
聞こえてきた言葉に耳を疑う。
「久しぶりに素晴らしい紅茶を口にした」
「え、あっ、はい、ありがとうございます」
今、私は褒められたんだよね。
「もう一杯、淹れてくれ」
「あっ、はい、かしこまりました」
いそいそと紅茶の準備をする。
嬉しいな、メイド長に言ったらお手当奮発してもらえないかしら。
上機嫌で紅茶の準備に取り掛かる手元を、ゼロニスはジッと見ていた。
「名はなんという?」
またきた、この質問。
だから茶葉の名前は知らないんだってば。さっき上手くごまかされてくれたんじゃなかったのか。
「これは美味しい美味しい、特別な紅茶です」
今度はにっこり微笑みまでつけて答えた。
「違う」
ゼロニスから、ギロリと鋭い視線を向けられる。
「どうせ茶葉の名前などわからないから、適当にごまかしているだけだろう」
直球な言葉がグフッと胸に突き刺さる。
「俺はお前の名前を聞いている」
顎でクイッと指し示し、私を逃すまいとする視線。
怖い……。
なぜこんなにも質問されるの。メイドは空気じゃなかったのか。
「えええっと……ラ……」
そこでハッとする。
あっぶねぇ、あやうく本名を名乗りそうになった、ラリエット・メイデスだって。
「自分の名を言うのに考えるのは、なにか理由が――」
「ラリーです!!」
ややかぶせぎみに元気よく返答する。
「そうか、ラリー。では、明日からも俺に紅茶を淹れにこい」
「は……」
思わぬことを言われ、とっさに表情を取り繕うことができなかった。頬はピクピクとひきつった。
だって私は今日だけの臨時だって――
思わず言い訳しようと顔を上げると、ゼロニスと目が合う。
あっ、これは拒否できないやつ。
その時、自身の立場をようやっと思い出す。
メイド長や執事頭など偉い人は多数いて、私に命令を下すけど、その上の頂点に立つのが、このゼロニスなのだ。
彼の一言で私など、どうにでもできることを知っている。背筋を伸ばし、頭を深く下げた。
「はい、わかりました」
権力にはひれ伏すしかない。
大丈夫、大人しくしていれば、二か月後には自由を手にできるのだから。
* * *
「あ~、疲れた」
今日の業務が終了し自室に戻った。
着替えもせずにベッドに倒れ込む。初日にしては上手くやれた方だと思った。職場の雰囲気もそう悪くはない。
だけど、ゼロニスの紅茶係に任命されてしまうだなんて、想像すらしていなかったわ。接点を持つつもりなどなかったのに。
まあ、でも、二か月間だけだし、上手くやっていけるでしょ。
気負わず気楽に考えることにする。そうでもしなければ、やっていられないわよね。
ベッドから起き上がると、湯を準備する。
マーゴットを追い出したので、なんでも自分でやらなればいけないが、苦にならない。
「本当、自由って素晴らしいわね」
ことあるごとに両親に報告する監視役もいなく、私はのびのびだ。
よし、これからの本当の自由を目指して頑張るわ。
湯を浴びてベッドに横たわり、早々に眠りについた。
* * *
翌日もメイドとして出勤した。
今日は洗濯部隊に回された。毎日、山のように出る洗濯物。それらを洗う人、水を絞る人、そして外に干す人、連携プレーを取っている。じゃなければ、到底一日で洗い終えることなど、できない量だ。
晴れた空の下、私は洗濯ものを干す役割を与えられた。
場所は二階で広々としたバルコニーだった。ここに屋敷中の洗濯物が干されることになっている。
風通しもよく、快晴の日にはすぐに乾きそうだ。




