二人で映画を2
その正体を踏まえてもう一度宇宙塔の方を見る。役目は終わったとばかりに車窓の中で小さくなっていくそれは、やはりぱっと見だけではそんな風には見えない。
煙突と言われてイメージする細長い筒ではなく、窓の一つもないのっぺりした三角柱型の構造物だ。
「煙突……ですか」
「そう。今はもう使われていないけどね」
話題の物体は既に車窓から消えている。
「この町、川見丸橋が川見台と丸橋市の合併で出来たっていう話は?」
「それは知っています」
所謂平成の大合併という奴だ。
隣接する二つの自治体が合わさって、それぞれの名前をそのまま残した結果が今の四文字という長い名前になった理由だ――ここまでは習った。
「合併した時に新しいゴミ処理場が丸橋川のすぐ横に出来て、あそこに昔あった方のゴミ処理場は解体されたんだけど、どうしてかあの煙突だけ残されたまま、今でも放置されているんだよね」
当然、小学生にそんな経緯など分かるはずもない。
当時俺たちが好き勝手に妄想を膨らませていた宇宙塔は、ただの行政の都合で産まれた代物だったようだ。
「っていうか、なんであんな所にゴミ処理場なんてあったんですか?」
宇宙塔の周りは普通の住宅地だ。土地なら他にもありそうだが。
「元々は川見台の住民用の施設だったの。だから、最初は川見台の住宅街から離れた川見台と丸橋市の境目辺り……つまりあの辺に建てられたんだけど、川見台からすれば麓に当たるでしょ?だから中途半端な高さの煙突だと、煙が川見台の家に掛かっちゃうんだって。だから、川見台の頂上より高い煙突を、ってことであれだけ大きなものを造ったら、丸橋の人口が増えてきてあの辺りにも家ができ始めて、移転のために処理場を取り壊したら煙突だけ取り壊されずに残っちゃった、ってわけ」
何となく得意げに見える先輩の解説を聞きながら、俺はもう見えなくなった宇宙塔の方へと改めて目を向けた。
昔からの不思議が、随分あっさりと解決してしまった。
それだけではなく、その成立にかかる経緯もまた、夢もロマンもへったくれもない、ごく普通の成り行きだと分かった。
まあ、そんなものなのだろう。
――だが、お陰で先程までの窮地は脱した。ありがとう宇宙塔。
「よくそんな事知っていますね」
「へへっ、まあね」
無人の停留所を通り過ぎ、次が目的地であることを横目に見た案内表示で助かめると、先輩は停止ボタンを押してから今度は隠す素振りも見せずに得意げにそう笑った。
「……この町が私の世界だから」
それがどういう意味なのか、或いは何かを聞き間違えたのか、それを確かめるよりも前に、バスは映画館のすぐ近くの停留所へと滑り込んだ。
「さっ、着いた」
先輩は話を打ち切り、俺を促す。
まあいい。とにかく、理性の喪失は回避されたのだ。
バスを降りると、道路を挟んだ反対側に目指す映画館がある。
銀星座――歴史の教科書の写真を立体化したような風情のある=ボロボロのその建物は、もし中にいる時に大きな地震が来たら間違いなく死ぬという感想を抱いた小学生の頃から全く変わっていない。
「で、結局何を見るんですか?」
メールで聞いてみたが、その時は「見たい映画がある」としか教えてくれなかった。
だが、今は違う。
先輩は道路の向こうにある建物を指さして、キラキラとした笑顔で俺に今日のお目当てを見せる。
「アレアレ!」
まるで子供のような浮かれた様子で指示したそれは、シネコンなどと言う現代的な代物ではない、昭和から時間が停まっているような映画館によくマッチした看板だった。
八宝館の殺人――どうやら探偵もののサスペンス映画らしい。
「凄い面白いらしいって聞いてね、この辺だとここでしかやってないんだよ!」
興奮気味にそう言いながら、信号を待つのももどかしいと言った様子の先輩。
時計を見ると、まだまだ時間に余裕はある。かと言ってこの辺りに時間を潰せるような場所はないし、子供の様に目を輝かせている先輩をあの映画館から引き離す方法はとても思いつかなかった。
「大人一枚、学生一枚。学生証持ってきた?」
「え、あ、はい。……いやいいですよ。出しますよ」
成り行きというか、到着順で先輩にチケットを買われそうになるのを財布を出して止めようとする――が、どうやら向こうの方が速い上に、学生証の提示もそこまで厳密に見ていないようだ。受付のおばさんはちらりと俺を見て学割の対象だと一発で見抜いていた。
「まあまあいいから。これでも君の先輩なんだ。それらしいことさせなさい」
そう言って、割引されたチケットを差し出してくれる。
まあ、それならお言葉に甘えよう。
「すいません。ありがとうございます」
「いいってことよ」
ご機嫌な先輩に連れられて中へ。
意外や意外、ロビーには俺たち以外にも何人かの客がいて、この映画を待っている。
大概中年男性が一人か小さなグループで、俺たちみたいな組み合わせは他には見られない。大概お互いにしか聞こえない声で何かを話していたり、ロビー横にある売店でパンフレットを物色したりと、建物が年季の入っている事を覗けばごく普通の映画館だった。
「……意外と人いるんですね」
「言ったでしょ。評判なんだよ~この映画」
やがて劇場の扉が開き、一人ずつ中へと進んでいく。
多分、現代の映画館の中では小さな方なのだろうが、ほんの数人しかいない観客の人数の問題でかなり広々とした印象を受ける。
「え~と、C-4、C-4は……」
多分間違えていても誰も困らないぐらいの空きっぷりだが、律儀にチケットの席へと向かう俺たち。
二つ並んで座ったそこは、見上げ過ぎず遠すぎずの中々いい席だった。
やがて暗転し、映画が始まってすぐに、俺は先程の待ち時間にパンフレットを買っていなかったことを後悔する羽目になった。
内容は極めてスタンダードな密室殺人ものだ。
ある年老いた大富豪が死に、彼の莫大な遺産の相続のために親族一同が山奥の山荘=表題にもなっている八宝館へと集められる。
大富豪が一代で成した事業を承継した弟、大富豪が晩年に籍を入れた後妻、野心家の嫡男夫婦と海外住まいで放蕩三昧の娘。そしてたまたま別件で居合わせた探偵とその助手という、今から殺人事件が起きますよというメンツが集められ、案の定次の日の朝には朝食に来ない後妻が死体で発見される。
当然外に電話も通じず、移動手段もない状態で探偵の推理によって犯人が判明する――ここまでで多分30分ぐらい。
テンポよくトリックを見破られた真犯人=大富豪の弟が全員の集められたリビングで探偵に全てを暴かれ――直後、探偵と助手が何者かに狙撃されて死亡する。
パニックになる室内。建物になだれ込んでくる軍隊上がりの始末屋部隊。勿論雇ったのは犯人である大富豪の弟。
生存者を拘束してリビングに集合させるが、間一髪機転を利かせて脱出した元傭兵でゲリラ戦のエキスパートだった庭師がたった一人での反攻作戦を開始する――ここから90分以上ほとんどひたすらに銃撃と爆発。
最初の頃の密室トリックを暴いたり大富豪一族の人間関係が明らかになったりしていた頃の片鱗すらなく、ハリウッド映画でも見ているのかと思うほどにアクションシーンでごり押しするとんでもない展開。
最後は始末屋部隊を殲滅、大富豪の弟も死に、死体だけとなった八宝館が爆発炎上するのをバックにキスシーン。
「……」
エンドロールが流れたところでアームレストに腕を置く。
特に何かを見ていた訳ではない。画面から目を離さず、顎の下に入れていたそれを降ろしただけ。
そのタイミングが、先輩と被った。
「ッ!?」
俺の手の甲。今日二回目に触れる柔らかくてひんやりした先輩の手。
互いにびくりと手を引く。エンドロールにはまだ平和だった頃の劇中で流れた挿入歌のタイトルが出ている――そう言えば先輩と初めて出会った日にあの喫茶店で流れていた曲だった。「Top of the world」という曲らしい。
そんな情報が脳の中を流れていき、その時も変わらずしっかりとこびりついているのは先輩の手の感触。
エンドロールが終わり、室内に明かりが戻った時も、俺は火傷したように自分の手を抑えていた――ちらと横目で見た先輩も同じようなポーズをしていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に