お久しぶり3
「あの、どこへ……」
「うん?行きつけかなぁ、私の」
そう言いながら公園を突っ切り、大通りから離れて行くルートをとる。
「大丈夫だって、未成年者をいかがわしい所には連れて行きません!」
からからと笑いながらそう付け足して。
「さて、見えてきた」
「ここって……」
公園から程なく、先輩の行きつけという店は姿を見せた。
「まだ残っていたんですね……」
小学生の頃、前を通ったことは何度かある。
木造の建物も、すりガラスの入った扉も、その扉の前に出ている「喫茶テラシマ」の看板も、記憶の中のそれと全く変わっていない。
もし中も同じなら、俺の記憶の中にある70過ぎの爺さんが一人でやっていることになる。
「一度閉店したんだけどね、先代の息子さんが引き継いで今も続いているんだよね」
そう言いながら扉を開けると、先輩の頭のすぐ横で涼し気な鈴の音が鳴り響く。
「いらっしゃい」
「2人です」
「空いている席にどうぞ」
カウンターの中から50代ぐらいの立派な腹をしたマスターが出てきて案内してくれる。
外から見るばかりで中に入ったのは初めてだが、何となく古いドラマや映画で出てくるような、探偵と依頼人が顔を合わせるような雰囲気はある。
先輩は窓際のボックス席に座り、俺もその対面へ。
「ご注文はお決まりですか?」
お冷二つを持ってきたマスターから受け取ったメニューを一瞥。
「何でもいいよ」
先輩からも一言。
「じゃあ……レモンスカッシュを」
今は少し落ち着いているし、店内は冷房も効いているが、昼間の暑さがまだ体に残っている気がしてそれを選ぶ。
「じゃあ、私も同じものを」
「はい、レモンスカッシュお二つですね」
マスターが注文を取って引っ込み、その背中を追うように俺は改めて店内を見回す。
木目調――というか、ロッジ風というのだろうか。真っ白な壁と光沢のある木材の落ち着いた雰囲気の店内には他に客の姿はなく、高い天井から下がっているファンが、ゆっくりと一定のペースで回転を続けている。
静かで、落ち着いた日曜の午後。店内にはラジオから聞こえてくる古い洋楽と、この席からほど近い、自販機みたいな大きさの業務用エアコンの音だけ。
「……」
ふと、考える。
目の前にいるのはかつての先輩で、彼女に誘われたのは喫茶店。
頭の中に浮かび上がるシミュレーション――よく知らない胡散臭い人間が後からやって来るか、或いは突然宗教や政治の話が始まる。
「落ち着かない?」
「あっ!?いや、その――」
図星なのだが、だからと言って正直に言ってしまう事も出来ない。
そんな様子の俺に気を悪くした様子もなく、先輩は笑った。
「大丈夫。別にマルチとか宗教じゃないよ」
俺が顔に出やすいのか、彼女が心を読めるのか。
その疑いを抱いたことを否定するのにも、どうにもうまい言い訳が思い浮かばない。ならば仕方がない。素直に詫びるより他にないだろう。
「……すいません」
「いいのいいの。油断が無くてよろしい。東京行って賢くなったかな」
そう言って、また笑う。
その笑顔は屈託がなくて、彼女が四歳上であることを忘れてしまうような無邪気なものだった――もし一瞬抱いた疑念が本当でも、つい逃げるタイミングを逸して話を聞いてしまうような。そんな笑顔。
そしてその笑顔に、心臓が一度大きく震えたのは気のせいではなかった。
「は~い、レモンスカッシュお待たせしました」
「あ、どうも」
マスターが銀色のトレーから細長いグラスを二つ、それぞれの前に並べる。
水のような透明な液体の中に浮かぶ氷。グラスの縁に刺さったスライスレモン。汗をかいたグラスも相まって、今日の昼間の暑さを忘れさせるほどに涼し気だ。
事実、ずっと持っていたら指先が痛くなる程に冷たいそれを、先輩は胸の高さまで持ち上げてこちらに差し出している。
「それじゃ、再会を祝して、乾杯」
「か、乾杯」
チン、と軽いグラスの音が、BGMの切り替わりに妙に響く。
そのままグラスに口をつけ、目の覚めるような炭酸が舌と喉を駆け下りていく。
「ふぅ……」
グラスを置くと、ちょうど先輩も同じようにグラスを唇から離す所だった。
色白な喉が、こくん、こくんと脈動して飲み物が下っていくのが分かる。
湿ったコースターの上にグラスを置き、彼女もまた一息つく。
「それで?いつ頃帰って来たの?」
なにがそれでなのかは分からないが、大した問題ではない。
「中学卒業してすぐです。高一からです」
「あ、そうなんだ。どう?高校は?友達出来た?」
回答に詰まる質問再び。
「あ、え、まあ……」
適当に嘘をついておけと頭は主張するが、体はそれほど器用にできていない。
そしてその濁し方で、どうやら彼女も俺の置かれている状況について察したようだ。
「まあ、気にすることはないんじゃない?そういう事だってあるよ」
何となく気まずくなって、レモンスカッシュに目を落とす。
グラスの底の方から浮かび上がってくる泡が俺を迎えては、氷に引っ付いて弾ける。
「あ、それじゃあさ――」
何か思いついた様子の先輩に反射的に顔を上げる。
「小学校の頃の仲良かった子とか――」
「それが……」
思わず食い気味で答えてしまった。
だが、そこで黙るのもおかしな話。
仕方がない。
「小学校の頃の友達と同じクラスになったんですけど、中学の人間関係がもう出来上がっていて、その続きって感じで……クラス全体がそんな感じで……」
正直に今置かれている状況を話してしまうと、意外と恥ずかしさは収まった。
或いはそれを聞いていてくれる先輩が、真面目に茶化さずにいてくれたからかもしれない。
「ああ、そういうのあるよねぇ」
言いながら、もう一度笑顔を向けてくれる。
仕方ない。そう言う事はつきものだ――言わずともそう伝わってくるような表情。
「ま、学校だけが全てじゃないよ。刑部君いい子だし、分かる人に会えばすぐ友達出来るって」
「そう……ですか……?」
「そうだよ。まだ小6ぐらいの頃だっけ?忘れちゃった?どっかの大会に行った時の事」
恐らく剣道教室でのことを言っているのだろうが、生憎のことながら記憶には何もない。
「大会ですか?」
俺には大会に出るような実力はなかった。
いや、一度だけ個人戦か何かの試合に出た事があったが、それだけだ。その一回きりも確か一回戦負けだった。
「そ、周りが何にも言わなくても弁当がらの片づけとか手伝ってくれたり、最後に忘れ物が無いかチェックしてくれたり」
「……そんな事ありましたっけ?」
グラスの中身を口内に満たす。蘇った記憶を水没させるように。
あの時、俺は確かにそんな事をしていた。
別に立派だった訳ではない。低学年を纏めるように言われて、言わば張り切っていたのだ。
だから、同じような立場にいた先輩の見様見真似で、この人のやっている事を手伝っていただけだ。
「そうだよ。偉いなーって思ったんだよ私。『刑部君みたいな嫁が欲しい』って」
「ッ!?」
思わず吹き出しそうになる。
「アッハハ!まあそれは冗談だけどさ。とにかく、刑部君はいい子でしたって話」
「それはどうも」
「あ、そうだ。それじゃさ、好きな子とか……あ、いや。やめとく」
見たらわかるだろ――今回も外見から伝わったようだ。
(つづく)