エピローグ
「着いたーっ!!」
階段の一番上、鍵のかかっていない扉を押し開けた先には青空と少しの白い雲が待っていた。
宇宙塔の頂上=煙突の一番上。本来の煙突本体とでも言うべき部分は、この三角形の中央で白いフェンスに覆われていて、人間の立ち入れるのはその周囲の部分だ。
だが、それでも十分な広さがある。
「見て見て刑部君!」
先輩は楽しそうに駆け出して、何のためにあるのか分からない配管を器用に飛び越えて、端の方に向かう。
「危ないですよ」
言うや、足を止めて俺の方を振り向き、展示品を見せるように手を広げる先輩。
彼女のその手の向こうには、川見丸橋の町が、つまり、先輩にとっての世界全てが広がっていた。
「おお……」
思わず声が漏れる。
町の全体、それを囲む山脈、その向こうにあるのかもしれない別の世界=東京や大阪や、他のあらゆる世界。
しばらく、俺たちはその景色に見とれていた――不意に先輩が背負っていたリュックを降ろすまで。
「ね、ここってさ、なんか体育館みたいに見えない?」
「えっ?」
先輩が言いながら煙突本体の方に振り向く。
何のためにそうなっているのかは分からないが、煙突を囲むフェンスの前に一段高くなった場所があって、その上にそれなりのスペースが広がっている。
「あのホラ、校長先生が立っている舞台」
「ああ……確かに」
言われてみれば、そう見えない事もない。
だがなんで急にそんな話を――そう思ったところで、先輩はリュックから一本の円筒を取り出した。真っ黒な、全長30cmぐらいのそれは、俺に家にもある卒業証書を入れる筒だ。
「ね、突然だけどさ。卒業式しよう」
「卒業式……ですか?」
唐突過ぎて意味が分からない。
だが、今急に思いついた訳ではないというのは、その筒を態々持ってきたという事が物語っている。
「私さ、卒業式出られなかったんだよね」
この体でしょ?と付け足して。
パコンと音を立てて筒の蓋を外し、丸まった卒業証書を俺に渡す。
「だからさ、やりたいんだ。アレ」
その理由で俺が断れることなど、多分犯罪ぐらいだ――宇宙塔不法侵入の時点でそれさえ怪しいが。
「校長先生やって」
「俺まだ高校生ですよ?」
「中学の卒業式覚えているでしょ」
無茶振りだが、俺でいいならそれでいい。二人並んで壇上に上がる。
「卒業証書。朝倉琉子殿」
中学の頃の記憶を引っ張り出しながら、目の前で気を付けの姿勢で待っている先輩に証書を差し出しながら読み上げる。
「右の者は本校所定の全課程を修了したことをここに証する――」
自分の鼻の奥がきな臭くなるのを耐える。
この卒業は、これではまるで――。
「――おめでとう」
「ありがとうございます」
恭しく頭を下げ、丁重に受け取る先輩。
きっと何度も何度も練習したのだろう。俺がすぐに忘れてしまったその受け取り方を、先輩はしっかりと綺麗に、完全に自分のものにしていた。
「以上を持ちまして、本年度の丸橋南高校卒業式を終了します」
最後の一言の後、先輩はくるりと身を翻した――眼下に広がる町の方へ。
「やったー!!」
そして叫んだ。自らの手の中の卒業証書を、彼女の世界全てに見せつけるように掲げて。
その後ろで俺は、その場にいられたことを、俺を連れてきてくれたことを感謝していた。
先輩にとって、それはきっととても大切なことだったのだ。その大切なことを成し遂げるために、俺を選んでくれた。
それは素晴らしく名誉なことだ。素晴らしく喜ばしい事だ。
「やったぞー!!!」
だから、俺も叫んだ。
先輩は俺を見てちょっとだけ笑って、それからもう一度、町の方へと目を戻した。
「やったー!!!」
もう一度、それから二人で一緒に。
「「やったーっ!!!!」」
この町全てに、俺たちは叫び続けた。
俺はやった。俺たちはやったぞ。
この世界を見下ろして、笑い続けた。
それから、二人で笑いあった。ずっとずっと、笑いあった。
「……はぁ」
ひとしきりして、先輩は小さく息を吐く。
それから、俺の方にしっかりと全身で向き直る。
「本当に、本当にありがとう。刑部君」
俺も同じように先輩の方へ。
「こちらこそ、ありがとうございます」
不意に既視感に襲われる。
ああそうだ、初めて二人で映画に行った後の聖地巡礼の時だ。
あの時もこうやって向かい合っていた。
すっと、先輩の手が俺の脇に伸びる。熱っぽい目がじっと俺を見ている。
「「――ッ」」
既視感。映画の後の。
唯一の違いは、今度はからかうのではなかったということ。
先輩の柔らかい唇は、ほんのり甘い香りがした。
その冒険から数週間後、先輩は静かに旅立った。
数日前に発作を起こして入院した先輩は、それから遂に家に帰ることはなかった。
なくなる前日、お母さんに頼んであの時の卒業証書を家から持ってきてもらっていたそうだ。
そして、当日。
再度の発作によって弱っていく呼吸と心拍数が一時的に持ち直し、閉じていた眼が開いてご両親の方を見ると、卒業証書を取って欲しいと、かすれた声で言った。
「ありがとう」
お母さんから手渡されたそれを抱いて、静かにそう言って笑い、それから一時間後、発作の激しさが嘘だったかのように、眠るように亡くなった。
楽しい夢でも見ているような、穏やかな最期だったという。
これが、あの町での俺と先輩の物語の全てだ。
俺は先輩との約束を守った。
当初の予定通りと言えばそうなのだが、先輩は喜んでくれるだろうか。
もしそうなら、俺はその事をずっと誇ろうと思う。
先輩は過去の存在になった。
ずっとずっと、永遠に静止した存在に。
でも、それでもずっと俺は覚えている。矢のように飛び去ってしまってもずっと、宇宙塔がはるか遠くからでも見えたように。
もし、川見丸橋に来ることあったら、どうかその時は宇宙塔を見に行ってほしい。
その時もし、ただの古い煙突以外の感想を抱いたのなら、俺はそこで惚気ようと思う。俺の先輩の話を、もう一度しようと思う。
ああでも勿論、中に入るのはやめておけ。
(おわり)
最後までご覧頂きありがとうございます。
「塔の町で君と」以上で完結となります!
「お前こんな経験してないだろ」と自分自身に突っ込まれながら「異世界行ったことないのに異世界もの書いたしいいだろ」と突っ込み返しながらとなった本作、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。
また次があれば、生暖かく見守って頂けると幸いです
それでは、最後までご覧頂きありがとうございました!