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塔の町で君と  作者: 九木圭人
見えなくなったとしても
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見えなくなったとしても8

 翌朝、昨晩の暗闇が嘘のような晴天から差し込む太陽光によって目を覚ますと、両親は既に起きていて身支度を始めているところだった。

「おはよう」

 俺も起きて支度する。着慣れた制服でいいから大した苦労はないとはいえ、日曜の朝に二週連続で早起きするのはなんだか変な気分だった。

 本家に行って、叔母の用意してくれた朝食もそこそこに朝一の回の法要に間に合わせるために車に乗り込み家を出た。


 寺は昨日の夜通ってきた道を更に行ったところにあり、周囲を田んぼと山に囲まれているとはいえその辺りまで出ると少し栄えたエリアに入るのだろうというのは、舗装された道路沿いにぽつぽつとある商店の存在でなんとなく察した。

 車は寺の前の駐車場に停め、俺たちは中へ。より近くに暮らしている別の親戚たちはまだ来ていないようで、応接間のような所に通されてそこで時間を潰すことになった。


「……」

 といって、何かある訳ではない。

 お茶とお茶菓子を囲みながら、大人たちはあれやこれやを話し合っているが、俺はただぼうっと、すりガラスの向こうに見える庭を眺めていた。

 目がその苔むした石や、小さな池に飛んでいるトンボを追っている間も、頭の中に浮かぶのがなんであるのかなど、もう言うまでもない。

 このところずっと、少しでも気を抜けばその悩みが浮かんできて、脳が擦り切れて自動的に思考を中断するまでそれが続くのだった。

 この日もそれを繰り返す――そう思い始めた矢先に残りの親戚が到着し、それから間もなく準備が整ったと住職の奥さんに本堂へと案内された。


 やがて住職が入って来て、粛々と法要が始まる。

 読経と、それをBGMに行われる――何度調べても実際にやる時にはぎこちなくなる――焼香。

 一通りが終わり、それに合わせるように読経も終わる。

 それからおもむろに住職が立ち上がり俺たちの方に向き直る。

 法事の流れというのは大体決まっているのだろう。前に親戚の所でやったものもそうだったが、読経と焼香が終わると法話が始まる。

 今回も例外なくその時間だ。なんだかいう有難い坊さんの話から始まったが、正直よく分からない。

 もっとも、どれ程分かりやすく身近な、例えば今日の天気の話であっても俺には碌に響かなかっただろう。特別信仰心に篤い訳でもなければ、祖母との思い出もそれほどある訳ではないのだ。婆さんに育てられたはずの父も、叔母も――葬儀の時には幼心に父でも泣くことがあるのかと不思議がったが――今は泣いていないのだから、俺が暇を持て余していてもおかしなことではないだろう。

 そしてその暇が、脳みその中であの問題に変質する。会うべきか、会わざるべきか。


「――仏教の教えには四苦八苦という考え方があります。今では普通に使う言葉ですが、元々は人が生きていくうえで避けられない苦しみを現したものです」

 その答えの出ない堂々巡りの切れ目に、不意に住職の法話が届いた。

 そう言えば、四苦は生、病、老、死だと何かで聞いたことがあるが、八苦の方が何かは知らない――悩み疲れた脳みそがそっちに意識を向け始める。


「――この八苦のうちの一つに、愛別離苦というものがあります。親兄弟ですとか、愛する人、大切な人との別れの辛さを説いたものですね。人が生きている限り、必ず死は訪れます。誰もそれを避けることは出来ません。どれほど愛しい、大切だと思っていた相手であっても、それが辛く苦しいものであっても、必ずいつかは別れなければなりません」

 偶然だろうが、随分とタイムリーな話をしてくれる。

 いつかは別れなければならない。そんな事は分かっている――理屈では。

 だが、実際の所直面してしまえばそんな風に悟った考えなどどこかに吹き飛んでしまうものだ。

 その後も住職の話は続いたが、だからと言ってそれが頭に残る訳でもない。

 その愛別離苦の話があまりに受け入れられず、俺にとってはどんなに有難いのだろうお話も余りに理想論すぎて思えた。


 結局、法話が終わって寺を後にするまで、俺はただいつものと変わらない悶々とした気持ちを抱き続けることになった。偉い坊さんの話を聞いてハッとするなんて、結局は物語の中だけだ。

 それから叔母夫婦の家に戻り、ちょっとした精進落としが振舞われる。

 祖母の遺影の前に仕出し弁当の影膳が置かれ、同じものを全員で食べる。本当なら大人たちは酒も――と行きたいところだろうが、車を運転する関係上父と、隣町から来ている親戚のおじさんは俺と同じようにウーロン茶で済ませていた。


 だがそれでも久しぶりに顔を合わせれば話は弾む。近況報告から、思い出話から。

「……」

 不意に、その段階になってあることに気付く。いや、気づくというよりも気になったという方が近いのかもしれない。

 俺を含め、誰一人泣いていないのだ。

 勿論全員祖母を覚えてはいる。思い出話にも登場はする。なのに、誰一人泣いてはいない。

 葬儀の席で泣いていた父も、叔母も、今では遺影の前で笑い話に花を咲かせている。

 十二年の歳月が悲しみを癒した――と言うべきなのか、慣れさせたというべきなのか。とにかく、覚えていても泣きはしないのだ。


「……」

 その事をよくよく噛みしめる。

 珍しい動物や何かを見るように、テーブルを囲む全員をよく見る。

 思い出話をする顔。笑っている顔。悲しみにくれながら送り出した者を前にしての姿。

 十二年の歳月がきっとそれらを生み出したのだろう。


「……」

 グラスの中に半分ぐらい残っていたウーロン茶を飲み干す。冷たい感覚が喉を駆け下りていって、今日まで脳にこびりついていた悩みを一緒に洗い流していく。

 きっと悲しい過去も綺麗な思い出になっているのだ――スケールがまるで違うとはいえ、文化祭の方向性で揉めていた糞迷惑な連中にとって、多分それが良い思い出になるように。


 なら、俺のすることは決まっている。


 その結論が下ってからは、ひたすらこの会が早く終わる事を待っていた。

 幸いだったのは、それからそう時間がかからず、午後3時頃には叔母夫婦に見送られて昨日来た道を引き返していくことになったという事だ。

「よし……」

 叔母夫婦が見えなくなってから、俺は小さく呟いてスマートフォンを取り出した。やることは今更言うまでもない。

 今日まで何度となく、穴のあくほど見直したメールを開き、返信を選択。同時に妙明寺に行った時の記憶が戻って来る。


 To:琉子先輩

 Title:宇宙塔

 もしまだ約束を覚えているなら一緒に登りませんか?


 ただの一文。だが、それで全部伝わるだろう。

「……」

 送信を押す直前に一瞬指が止まった。

 ――ずっと一緒にいたら、きっと私刑部君を傷つける。刑部君に辛い思いさせる。……だから、もう終わりにしよう。

 先輩の言葉がフラッシュバックする。

 今日まで俺を止め続けたその言葉も、最早拘束力は持たない。


 いいさ。傷つけてみろ。むしろしっかりと傷を残してくれ。

 十二年経っても、それ以上経っても、死ぬまでずっと残るぐらいの大きくて深い傷を。

 未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように飛び去り、過去は永遠に静止する――そうだとしても、飛び去る現在をどんなに積み上げても、しっかりと分かるぐらいに。


 貴方さえそれでいいというのなら、俺にそれだけ大きな傷をくれ。


(つづく)

投稿遅くなりまして申し訳ございません。

今日はここまで

続きは明日に

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