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塔の町で君と  作者: 九木圭人
見えなくなったとしても
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見えなくなったとしても6

 冗談を言っているようには思えない。

 かなり高い確率――俺の願望込みではあるが――で、本当の話だ。聞いている間の先輩の恥ずかしそうな様子も、その予測を補強している。

 それは非常にありがたい話で、非常に嬉しい事で、でも今は素直に喜べない話だ。


 先輩につられて俺もお父さんの方に目をやる。結果、今聞いた話は嘘ではないという裏付けが追加された。

「勿論、今すぐに結論を出して欲しいとは言わない。刑部君にその気持ちがあれば、というより、全て受け入れるつもりになってくれるのなら、というだけでいいんだ。そしてこれも勿論だけど、例えこれで琉子の言う通り関係を終わりにするという判断をしても、私たちは一切それに口出しはしない」

「娘との約束を優先してくれたんだから。それも尊重しなくちゃね」

 そう言った二人の表情に迷いはなかった。きっと達観した人間と言うのはこういう顔をするものなのだろうという、その見本のような表情を浮かべている。


 結局、俺は何も言えなかった。

 お父さんの言う通り、今すぐに結論を出すことなんてできなかった。

「今日は本当にありがとう。お礼は改めて」

 お父さんの呼んでくれたタクシーで帰される時にそう言われ、恐縮しながらタクシーに乗り込む。先輩は念のため一晩入院して、お母さんがそれに付き添うようだった。


「……」

 周囲はすっかり日が暮れて、病院の明かりから離れると車のライト以外に明かりがないような道に出る。

 タクシー呼んでもらったので今から帰るという旨をメールで伝えてスマートフォンをポケットに戻すと、シートに全身を預ける。

 静かなエンジン音とカーラジオから流れるFM局だけが音の世界。

 ライトに照らされた道路を見ながら、頭の中に流れてくるのは先輩との思い出。


「ま、まあ……色々とね」

 初めて出会った時、喫茶店で尋ねた今何をしているのかという問いへの答え。

 あの時、先輩が答えられなかった理由は今なら分かる。


「……この町が私の世界だから」

 二人で映画に行った時、宇宙塔の由来を教えてくれた先輩はそう言った。

 今ならその意味もはっきりと分かる。


「私は色々事情があってここにいるからさ、いいなーって、思っただけ」

 花火の後、二人で夜景を眺めながら先輩が尋ねた、また東京に戻りたいかという問いに俺が答えあぐねていた時の言葉。

 一体先輩は、どういう気持ちでこの言葉を発したのだろう。

 あの時の問いはどういう気持ちで発したのだろう。そしてそれを、どうやって心の奥底にしまい込んだのだろう。


「私は諸々の事情でこの町から出たことが無いから、せっかくだし隅々まで見ておくってのも悪くないかってね」

 どうして、あの時もっと注意深く聞かなかったのだろう。

 どういう意味か問わなかったのだろう。

 あの時先輩は分かっていたのだ。いや、あの時だけじゃない。病気になってから今日までずっと、先輩は町を見ていたんじゃない。

 ずっとずっと、一人ぼっちで、自分の死に場所を見ていたんだ。自分の棺桶を見ていたんだ。

 いつかいなくなってしまう俺と一緒にいながら。それを切り出せずにいる俺を優しいなどと言いながら。あの人はずっと、おくびにも出さずに自分の死を見ていたんだ。


「どうして……」

 漏れた声に気が付くのは、それに嗚咽が混じってだった。

 どうして、どうしてそれで笑っていられたのだろう。

 どうして、どうしてそれを隠していられたのだろう。

 俺は、どうするべきだったのだろう。


「……ッ」

 問いの答えは分からない。俺の喉からは、しゃくりあげる以外に何も出てこなかった。

 カーラジオの懐メロ特集は先輩が口ずさんでいたTop of the worldを流していた。

 病院から乗った客が嗚咽しているとあって、運転手さんはそのボリュームを落とし、一言もしゃべらずに車を走らせ続けていた。


 タクシーが良く知っている道に入った時、俺は何とかすすり泣きを止めて、平静を装う努力をしようとし始めた。

 幸いにして、タクシーが家の近くの丁度いい交差点の手前で信号待ちをし始めたので、そこで降ろしてもらった。歩いて一分の距離。少し迂回して顔を戻してから帰ろう。

 ようやく暑さが和らいできた九月下旬の夜を、涙を乾かすためにしばらく歩いた――できるだけ景色は見ないように。先輩との思い出がどこでフラッシュバックするか分からないから。


 たっぷり五分ほど歩いてから家に戻ると、両親ともに俺の今日一日に随分興味を抱いていた。

 その先輩なる人物が誰なのかに始まり、容態はどんなものか、どういういきさつがあったのか云々、流石に先輩の正体について黙っているのは難しかったため、正直に告白する。

「えっ、朝倉さんって、あの琉子ちゃん!?」

 意外にも母は覚えていた。

 だが、流石に懐かしい思い出話に花を咲かせている事態ではないという事は分かっている。父親も母から色々補足説明を受けて誰の事か分かったらしい。

 二人で色々と過去の話をし始め、ずっと聞いていたらなんとか止めた涙がまた出てきそうな気がして、俺は逃げるようにぬるくなった風呂へと向かった。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

明日は午前1時20分に投稿予定です

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