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塔の町で君と  作者: 九木圭人
見えなくなったとしても
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見えなくなったとしても3

 普段からは考えられないぐらいボタンを押す指が覚束ない。

 まるで夢の中だ。通話しよう、通報しようという思いだけが先行して――というよりも頭の中を完全に占拠していて、それが記憶や運動能力まで干渉しているかのように思うように動かない。


「119……119……」

 呪文のように口に出しながらいう事を聞かない指を動かす。

「あっ……ぐっ……」

 その間も先輩は体を折り曲げ、苦しそうなうめき声だけが弱々しい呼吸に混じって吐き出されている。

 その姿が、また頭の中のパニックを大きくしていく。

「火事ですか救急ですか」

 ようやく繋がった時のオペレーターの声に「何か答えなければならない。先輩が倒れているから救急車が必要だと言わなければならない」と頭の中だけがヒートアップして、口には中々言葉が出てこない。


 あと少しでいたずら電話を疑われる位の空白があってから、ようやく俺は声を出した。

「助けてください!」

 違う。そうじゃない。電話した目的はそうだが、質問に答えなければならない。

「落ち着いてください。火事ですか、救急ですか」

 だが、そんな当たり前の理屈など混乱した頭は全く意に介さない。

「先輩が倒れて苦しんで……早く!!」

 言葉が出ない。頭の中と外の情報に差があることなど全く分からなくなっている。

 何とかオペレーターの言っている事を理解して、救急車が必要でここがどこか伝えるまで、一体どれぐらいの時間がかかっただろう。たまたま番地の書かれた電柱の近くでなければ、もっと面倒なことになっていたかもしれない。


「今救急車呼びましたよ!」

 叫びながら、先輩の横に座り込む。

 先輩の呼吸は弱々しくなっている事は混乱の極みにある俺でも分かる。ひゅう、ひゅう、という、人間の喉から出てはいけない音だけを弱々しく吐き出しながら、対照的に胸だけは最大限に上下している。

 その胸を鷲掴みにするような手はそのまま固まってしまったように動かず、青ざめた顔はむせ返ったように赤く染まっている。

「先輩!先輩!」

 必死に呼びかける自分の声がおかしい事に、鼻の奥がきな臭い事に、気づく暇なんかなかった。

 俺はパニックだった。

 先輩が死ぬかもしれないという恐怖が、俺の全てを突き動かしていた。

 そしてその恐怖の中にあって、だからどうしようという考えも行動も、一切できないでいたのだ。

 サイレンが近づいてきて、救急隊員がまるでプログラムされたように正確に先輩を運び込むその瞬間まで、それは続いていた。


「貴方が通報者ですね」

 先輩が救急車の中に消え、救急隊員に俺の立場を説明している間に、ようやく自分が何をしているのか、何をするべきなのかを冷静に理解できるようになっていた。

 先輩後輩の間柄である事、一緒に歩いていた時に急に倒れた事、自分で何かの薬を飲んでいた事などを伝える。幸い通報時間は向こうも分かっているようで、それから何かの書類に一筆書かされて救急車に同乗することになった。

「東丸橋総合病院に向かいます」

 救急車が動き出してそう告げられる。

「彼女が通院していた病院です。薬もそこで処方されたものと確認が取れました」

 どうやら荷物から残りの薬とお薬手帳が発見されたようだった。こんなことであの手帳の使い道をようやく知ることになった。


「安定してきた。よしよし」

 救急隊員が先輩の繋がれている機械を見ながら呟く――多分俺を安心させるためにだろう。自分の頬が何故濡れているかなど、何故視界が滲んで鼻が詰まっているのかなど、一々確認しなくても分かる。

 背後の景色が、バスとは比べ物にならないスピードで後ろに流れていくが、しかしそれでも渋滞にはまって全く動いていないぐらいに道のりが長く感じる。

 そう言えば以前先輩を見かけた時、東丸橋総合病院行きのバスに乗っていたな――自分を安心させるために、そんな記憶を無理矢理思い出して気を紛らわせて、下手すればもう一度パニックになるかもしれない己を誤魔化していた。


 やがて救急車は病院に滑り込み、これまた極めてスムーズに、酸素吸入器を繋がれて意識のない先輩を病院内に運び込んでいく。

 救急隊員と看護師さんが何かを話しながら奥へ奥へとストレッチャーを運ぶ。

 やがて先輩を奥の部屋――手術室なのか処置室なのか、その名前は見たはずなのに記憶にない――に運び込んで扉が閉まり、俺はテレビドラマなんかでよく見る、その前に置かれた長椅子に座り込むしかなかった。


 一体、どれぐらいそうしていただろうか。ぱたぱたと複数人の足音が近づいてきて、俺は反射的にうなだれていた頭を上げた。

 こっちに来るのは三人。一人はこの病院の看護師さん。後の二人は俺の両親より少し上の年代と思われる夫婦らしき男女。

 その二人のうち女性の方、先輩と同じぐらいの背丈の緩やかなパーマの女性と目が合うと、同時に彼女は俺に呼びかけた。


「貴方が刑部さん?」

 俺は確かに答えた。ただ、思っていた以上に掠れた声しか出ない。

 しかしそれでも、その人には十分だったようだ。彼女は立ち上がった俺の方に近づいてきて更に言った。

「朝倉琉子の母です」


(つづく)

投稿遅くなりまして申し訳ございません

今日はここまで

続きは明日に

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