約束5
五重塔と観音池を結ぶこの道は丁度本堂を見下ろす場所を通っており、山門から本堂までの参道を一望することができる。
「上側こうなっているんだね」
本堂の屋根を見下ろしながら感心したように呟く先輩。何に納得しているのかは知らない。
道の平坦さと実際の距離の近さが相まって、観音池までは本堂から五重塔までよりもかなり短い時間で到着した。
池といっているが、実態は小さなため池というか貯水槽のようなもので、それを挟んだ反対側の岸には、その名の通り苔むした石造りの観音像が訪れる者達を見守っている。
この池にも何やら所縁があるらしいのだが、生憎そちらよりも先輩の気を惹いたのは池とは反対側、崖のようになった場所から一望できる街の景色だった。
「おぉ、絶景絶景」
山の中腹辺りではあるが、それだけの高さでも町全体を一望できる。
足元近くにある田畑が奥=南に向かうにつれて徐々に民家やビルに変わっていき、駅の辺りはすっかり開けた市街地となる。
そしてその更に向こう、最早建物の細かい所は見えず、単に「住宅街」「ビル群」などと呼ばねばならないような距離にあって唯一その存在を確認できる建物=宇宙塔がしっかりと夏の空に向かって一直線に伸びているのが見えた。
「刑部君見て見て!宇宙塔見えるよ!」
無邪気に俺を呼び、その方向を指さす。
「こんなに離れていても見えるんですね」
流石は町で一番高い建物だ。ただ放置された煙突なのに、他のどの建物よりも目立っている。
そんな事を考えながら俺たちは数秒間、互いに何も言わずにその景色を眺めていた。
「……刑部君はさ、宇宙塔に登ったことある?」
その沈黙を破ったのは唐突な質問。
「宇宙塔に……ですか?」
ただの放置された煙突に登ったことがあるか?その質問を聞き返すと、彼女は件の煙突に目を向けたまま、遠い昔を思い出すように目を細めた。
「私がいた頃の丸橋南で流行ったんだよね。宇宙塔に登るの」
「登るって……あそこ放置された煙突ですよね」
多分厳密に言えば法的に問題がある行為だ。
「そう。本当は違法なの。だけど基本的に補修工事中以外は誰もいないし、放置されている上に侵入を防ぐ柵とかもないから、入り放題。それで、友達誘って肝試し感覚であそこに入って、てっぺんまで登るのが流行ったんだよ」
ゆるゆる行政と高校生のやんちゃが合わさった結果だった。
そしてそれを語る先輩の表情は、修学旅行に行けなかった話よりも気持ちが籠っている気がした。
「行きたかったなぁ……私も」
しみじみとそう言った時の先輩の目は、行こうと思えばいつでも行けるはずの宇宙塔が、永遠にたどり着くことのできない場所のようにじっと見据えていた。
――理由は分からないが、未練があるのだろうか。
「じゃあ……」
動機はよく分からない。先輩を誘えるようになって気が大きくなっていたのか、山道を歩く運動によってハイになっているのか、或いは大人になってから若気の至りと呼ばれたりする何かがこれなのか、自分でも全く分からないが、衝動的にその提案が口をついていた。
「今度一緒に行きます?」
「えっ……」
今度は先輩が、驚いたように俺の方を振り向く番だった。
驚いたような、呆けたような顔でじっと俺を見つめる先輩。
多分、時間にすると数秒にも満たないだろう。だが、それを待つ間の俺には妙に長く感じられた。
「ふっ……ふふっ」
先輩は笑い出した――いつもの無邪気な笑い。そして俺の肩を叩く。
「お主も悪よのぅ」
冗談めかしてそう言って、今度は真っすぐ俺を見た。
「……ありがとう」
それは、彼女がこれまで口にしたそれの中で、一番万感籠ったものだった。
もし俺の腹がならなければ、そのまま見つめあっていただろう。
「えっ!?」
「あっ、アハッ!アッハハハハハハ!!!腹鳴ってるし!」
まったく、格好つかない。
「よしよし、降りて饅頭食べよう!」
「……はい」
先輩は随分面白いものを見たとばかりに笑いながらそう言って、俺たちは残る薬師堂をへと歩き出す。
薬師堂は五重塔とは反対の斜面を降りていく途中にあって、多分仏像や寺に興味のある人間ならば楽しめるところだろうという事だけは分かった。
実際、一組観光客が写真を撮ったり説明を読んだりしていたが、俺たちはその横を通り抜けて山門まで戻る。ちょうど、茶店の前の人混みがはけて来たところだった。いいタイミングだ。
「いらっしゃいませ」
中に通され、向かい合って座る。
メニューの最初のページ、おすすめと大書された護摩焼き饅頭とお茶のセットを注文。
その昔、川の氾濫に大勢の人が巻き込まれた際、寺の和尚が息災を祈る護摩をたく時に、家を失った人々のために寺にあった食材を集めて饅頭のようにし、護摩の炎で焼いて振舞ったのが始まりとされているもので、この寺発祥らしい。
「はい、お待ちどうさま」
やって来た饅頭は手のひらサイズのものが二つ。焼き饅頭というと群馬名物だが、こちらは群馬のそれのように味噌だれはつけず、中に芋餡の入った普通の饅頭だ。
「「いただきます」」
頬張ってみると、焼き立ての香ばしさが口いっぱいに広がって、それに続いて素朴な甘みの芋餡が口の中を満たしていく。
「うん!美味しいね」
先輩もご満悦。チョコプリンの件から甘党である事は分かっていたが、やはり誘って正解だった。
「……お?」
その先輩が不意に口を止め、何かを取り出す。
「当たりですね」
ころん、と出てきたのは小さな白い飴。
フォーチュンクッキーと同様、この饅頭には時折この当たりが入っていて、何か願い事をして食べて、これが当たるとその願いが叶うと言われている――メニューに書いてあった。
別名願掛け饅頭とも呼ばれる由来らしいが、この手の奴で当たる人を初めて見た。
「やった!へへへ」
「おめでとうございます」
出てきた飴を、まるでメダルやトロフィーのように誇らしげに俺に向ける先輩。
「で、どういう願い事したんですか?」
「ん~っとね……」
先輩がすっと、俺に顔を近づける。
琥珀色の瞳が二つ。じっと、俺を見据える。
不意に、心臓が跳ね上がり、饅頭の味がなくなった。
「やっぱ内緒」
そう言って笑いながら、先輩はすっと指を伸ばして俺の頬についた芋餡を掬い取ると、指先を自分の口に入れた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に