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塔の町で君と  作者: 九木圭人
約束
18/34

約束1

 夏休みも残す所あと一週間となった。

 あの花火の夜の後の俺の夏休みは、いわばあの一晩のおまけみたいなものだ。

 後はただ残った宿題を片付け、このところは近所の学習塾がやっていた短期集中講座に出席したぐらい。当初の予定と異なる点があるとすれば、単発のバイトを増やしたという点だろう。

 何もない、ただバイトと、塾と、宿題と、それ以外の時間を暇つぶしで終わらせる日々。だが、無駄にしているという気持ちはなかった。


 夏休みの宿題を最終日まで持ち越さない経験など初めてだ――それも勿論あるのだが、バイトのモチベーションを維持する方法を見つけたというのが大きい。

「……さて」

 最後までしぶとく残っていた宿題=英語の今日の分を終わらせてからスマートフォンを取り出し、このところ毎日のようにチェックしているサイトへ。

 当然昨日と変わった内容はないが、それでもチェックは欠かさない。

 月嶽温泉協会=月嶽温泉周辺の温泉宿が運営するその協会のホームページを見ては、各宿の内装やプラン、そして料金を見る。

 そこまでの交通費や、諸々の費用、それらを全て計算するその時間が、このところの暇つぶしで最も俺の心をとらえている代物だ。


 いつか行くのだ。先輩を誘って。

 この町から出たことが無いという先輩を誘って、町を出るのだ。


 月嶽温泉は川見丸橋の人間にとっては定番中の定番スポットだ。もしかすると、先輩も外で暮らしたことが無いというだけで訪れたことはあるのかもしれない。

 だが、それでもいい。というよりむしろ好都合だ。

 それは先輩には行動を制約するものがないという事を意味している。つまり、それだけ旅行のハードルが下がるというものだ。


「……よし」

 ここ数日の間、空いた時間を見つけてはああでもない、こうでもないと、頭の中で練り上げたプランとその見積金額を頭の中に思い浮かべてカレンダーを見る。

 短期や単発のバイトばかりだが、それでも確実に金を貯めることは出来ている。夏休みが終わったらこのペースで行くことは出来ないだろうが、それでも秋のうちには、遅くても冬になる前に十分な軍資金を調達できるだろう。


 旅行はきっと紅葉のシーズンだ。

 ホームページで見たところによれば、露天風呂を備える宿は皆揃って赤く染まっている周囲の景色を売りにしている。

 赤や黄色に染まった山々の中の温泉。きっと先輩も気に入ってくれるだろう。

 そのためのバイト。それに対して前向きにならない理由はない。明日土曜日にも、その為の単発バイトを入れてあるのだ。


 そしてそのまた次の日、つまり日曜日。俺と先輩はまた会う事になっている。


「……」

 スマートフォンを操作。インターネットを切り上げてメールを確認。


 From:琉子先輩

 Title:re日曜日

 了解

 よろしくね~


 約束を取り付けた。

 町の北部、妙明寺(みょうめいじ)で行われる縁日――寺に対してもその言葉を使うのかは知らないが便宜上――に一緒に行く、という。

 

 だが、これまでとは大きく違う。

 あの花火の夜の密着事件以降、俺はどうにも一皮むけたらしい――ひどい自惚れ。しかし同時に事実。

 今回はこちらから呼びかけ、約束を取り付けた。

 先輩を誘い、遊びに行く約束を取り付ける。メール一本送るのに四苦八苦していた俺が、だ。

 ショック療法という奴なのだろうか。あの夜したことに比べればメールなど、という考えが頭のどこかにしっかりと根付いていた。


「……」

 そしてこれまた最近の日課=そのメールを見てひとしきりにやつく――鏡があれば己の顔の気持ち悪い表情部門の最高記録を更新しているところだ。

 それから、勢いをつけて立ち上がる。とりあえず今日の宿題は終わった。ノートと教科書を閉じて、後は日曜日の事に頭を向ける。

 そう思ったところで、ノートの下敷き代わりにしていた塾のパンフレットが顔を覗かせた。

 一度顔を出した人間を逃すまい――その意思を前面に押し出した広告=受験対策講座のおすすめ。


「受験……ね」

 青天井に膨らみ続けていた楽しい予定とバイトのモチベーションが、不意に中断された。

 受験。来年の今頃には多分大騒ぎしているだろう、大学受験。

「……」

 考えは変わっていない。俺は東京の大学に行く。

 もう一度東京に戻る。この生まれ育ったというだけの、居場所のない町を捨てる。

 問題は、東京に行ったら先輩に会えない事だ。

 東京の大学には行きたい。この町に俺のいる場所はない。その考えは今も変わっていないし、この夏休みも先輩と出かけた事以外に誰かと遊んだり出かけたり、所謂友達付き合いという奴をした覚えがないし、それを残念だとか、退屈だとか思った事もない。

 つまり、この町に俺の未練になるものはないのだ――唯一先輩の存在を除いて。


「……」

 俺は先輩とどうなりたいのだろう。

 自問自答:どうなるとは?具体的には?

 限界:友達も彼女もいない人間には、その先はどうやっても浮かんでこない。熱に浮かされたような、現実味のない夢のような考えだけで、具体的にどうしていたい、どうなりたいというそれは、いつまで経っても出てこない。


「……捕らぬ狸、か」

 思考を打ち切る。自分の情けない面を強制的に見させられた気がしての強制終了。

 まあいいさ。先輩と自分の今後、どちらか選ばなければならない時が来たら、その時に迷えばいい。今からくよくよする必要はない。

 自分にそう言い聞かせながら、俺はこの問題を棚上げすることにした。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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