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塔の町で君と  作者: 九木圭人
一夜
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一夜2

 結局、そのまま進展はしなかった。

 夏休みが始まって最初の一週間は補習授業だ。

 進学校を目指しているのか、丸橋南では夏休みに入っても希望者を募って一週間の補習授業が行われている。

 出席するのは大体の場合受験を控えた三年生だが、二年生の姿もチラホラ見える。

 そのチラホラの中に俺も混じることになった。


 東京の大学に進学するために今から準備――というのが七割。残り三割はすることが無いから。

 それになにより、学校であればタダだし、図書室は常にクーラーが効いていて、授業が終わった後もしばらくそこで涼んでいくこともできる。

「クソ暑いのによくやるね……」

 その図書室の窓から、照り返しで光っているように見えるグラウンドを走る運動部の練習風景を見下ろすのが、その一週間の日課だった。

 あそこにいなくて良かった――そんな風に感じながら、すぐに意識を出された課題に引き戻す。

 夏休みの宿題とは別にこの補習の課題が出され、最終日にはテストも行われる。

 その日の授業が終わるとそのまま図書室に直行し、空いている自習スペースを見つけてそこで片付けておく。


 それが一週間続いた後は、一週間の短期バイトが始まった。

 と言っても、こちらは一週間同じことをするのではない。有難い事に週の前半と後半でちょうどよく二つのバイトの予定があった。

 前半は町の郊外にある農村部で用水路のどぶ攫いだ。

 田んぼに水を引くためのそれを、田植えの前とこの時期とに掃除するのだそうだ。一応田植えの前に一通りやるのだが、それでも泥はたまるらしい。

 だが、この季節に外でそれをやるのは厳しい。ましてや年寄りばかりなのだ。そこで、若いのをバイトで使いたいという訳だ。

 三日かけて上流からどぶ攫いしつつ降りてくる形だ。当然体力的にはきついが、その分報酬は良い。

 対して週の後半は屋内での作業となる。倉庫内作業と言っていたが、募集広告によると軽作業とのことだ。


 その二つ目のバイトの最終日、軽作業という触れ込みに騙された仕事をようやく終えて、報酬を抱えて家路に向かう俺の目に飛び込んでくるのは、駅を中心に町中に張られた花火大会のポスター。

 丸橋川納涼花火大会。毎年恒例となったこの時期の花火大会は、今年もまた実施される。

 記憶の中のそれは、納涼と言う言葉が何かの皮肉にしか聞こえないような暑苦しい人口密度の花火大会だ。


 集まっているのは大体がカップル。

 実際、ビラに掲載されているのも去年のものだというハート形の花火。

 夜空に浮かぶピンク色のハートの横にポップなフォントの「ひと夏の思い出」「恋愛成就」の書き込み。

 主催者側も、どういう層が来ているのかをしっかり把握している。


 そしてそれを見た時、俺の頭の中には棚上げしていたあの問題が再度姿を現してきていた。

 そうだ。先輩を誘ったっていいのだ。

 だってあの時のあれはデートだったのだから。


「……」

 だが、どうしても送信ボタンを押すことができない。一行書いては消し、また一行書いては消す。

 家に帰ってベッドに転がり、文豪の如く白紙の画面を前にうんうん唸っても、出てくるのはその唸り声ばかりだ。

「よし……」

 まあ落ち着け。整理して考えよう。


 まず、やりたいことは決まっている。

 俺は先輩を誘いたいのか、誘いたくないのか。それで言えばとても誘いたい――極めて明確な答え。

 何故?前回は楽しかったから。

「いや……」

 何か違う気がするが、具体的に何が違うのかはよく分からない。

 まあ違う気がする以上に合っている気もするのでとりあえず良しとしよう。

 ではその事をメールにすればいい。一緒にどこか行ったり遊んだりしませんか、と。

 だがそれは出来ない。何故?

 ただ希望を伝えて相手の都合のいい日を尋ねる。それだけのことが出来ない理由。

 断られたら?カッコ悪い所を見せてしまったら?

 つまりそこだ。

 俺は先輩に断られた場合にカッコ悪い思いをする――より正確に言えばカッコ悪い所を晒してしまうのが嫌なのだ。


 相反:気にしなければいい/それが出来れば苦労しない。


 原因が特定できても、解決とイコールではない。その事を教えられただけに終わる。

 その時、手の中でスマートフォンが震えた――前回のように。

 そしてこれまた前回のように、都合よく頭の中全てを占めていた相手からの着信だった。


 From:琉子先輩

 Title:花火大会

 一緒にどう?

 夏休み入って暇でしょ?


 昼間何しているか分からない人に暇人扱いされたくない――そんな野暮ったい感想は一瞬で消し飛んだ。渡りに船とはこのことだ。

「瑞人、ご飯よ~」

 母の声に、はいともいいえともつかない声で返事をして部屋を出る。

 ポケットには返信したばかりのスマートフォン。その内容は言うまでもない。


「今度の花火大会の日、出かけることになったから」

 夕食の席でそう伝えると、反射のように母が言った。

「デート?」

 報告終わり、そう思って口に含んだお茶を危うく噴き出す所だった。

 瓢箪から駒。間違いなく冗談のつもりだろうが、心臓に悪いことこの上ない。

「そんなんじゃない」

 努めて平静を装い、逆流しそうだったお茶を飲み干してからそれだけ。

 本人に対してどう誘おうかという事さえも決められない人間が、そうですなどと口が裂けても言える訳がない。

「友達と」

 そう付け足すと、今度は父が口を開く。

「ナンパでもしてこい」

 悪乗りするな。


 それから、あれよあれよと時間は過ぎた。

 というよりも、その間の記憶が「花火大会まであと何日」とカウントしていた事しかない。

 何もすることが無かったというのが大きいが、それが二番目の理由であることも、では一番は何かという事も、最早言うまでもない。

「じゃあ、行ってきます」

 準備もそこそこに家を出る。

 扉を開けた瞬間、全力で家に押し戻しにかかるような蒸し暑さに包まれるが、それでも足が止まることはない。

 今日も集合場所はこの前と同じ駅前のバスロータリーだ。

 きっとヒートアイランド現象という奴なのだろう、地面や建物からさえも熱気を感じる夏の夕暮れの中、早足に最寄りのバス停へ。

 バスに揺られる間、赤信号や停留所の乗り降りがここまでもどかしい事が、遅刻ギリギリの時以外にあるのかと思い知らされながら、毎日使っているルートを進むバスに揺られて駅へ。


 途中から、川岸に向かうのだろう集団が横を通り抜け、横断歩道を渡っていく。

 花火大会の会場は丸橋川だ。毎年両岸に大勢の観客がひしめいて人間堤防の様相を呈している。

 あと少しでその人間堤防の一部になるのだ――そう思っている時に限って、赤信号はしっかりと一ブロックごとにバスを止めた。


「はい、川見丸橋駅前です」

 運転手のマイク越しのアナウンスが車内に響き、俺はロータリーに降り立つ。

 他所から見に来る人間もいるのだろうという事は、駅からロータリーから、川岸の停留所に停まる路線のバス停まで細かく配置されている花火大会の案内看板が物語っている。

 実際、ちょうど電車が着いたのだろう駅から吐き出されてくる人間の半分近くは仕事帰りではなく花火の見物客だ。

 町の人間とそれ以外の見物客。そのどちらにもカップルが目立つ。

 一歩歩くごとにいちゃつく者たち。或いはお互いのスマートフォンから目を離さない者達。または時折口を利くだけでごく普通のやり取り以上のものをしない者達。中には浴衣姿も珍しくない。


 俺たちもあそこに混じるのだろうか。

 つまり、傍からはカップルと――。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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