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塔の町で君と  作者: 九木圭人
一夜
10/34

一夜1

 映画の日から数日が過ぎた。

 制服は夏服に変わって久しく、日々気温は上がり続け、夏休みまであと数日を残すばかりとなって、クラス内の雰囲気も変わってきている。

 このクラスの夏休みの過ごし方は大きく四つに分けられる。即ち、部活とバイトと遊びと勉強だ。


 とはいえ当然と言えば当然だが、それら全てが綺麗に分かれて一つの事に集中する者はいない。

 大概が二つか三つを掛け持ちしていて、あれをやろう、これをやろうと仲間内で集まっては尽きぬ話題に花を咲かせている。

 俺も例外ではなく、色々と計画はある――話し合う相手がいないのだが、まあそれは去年から変わらずだ。


 俺のこの夏は勉強とバイトだった。

 一年生の春に決めた目標=東京の大学に進学するためには、今の時期から始めていないと間に合わない――という訳ではないが、少なくともある程度の頭がないとならないのも事実だ。

 大学全入などという言葉は今の目標を決める前から聞いたことはあったが、それ故にある程度のレベルの大学でなければ東京に行く必要を説得できない。

 名前を書くだけで入れるような所なら何も東京に行く必要はない。ここから通える名前もよく知らない大学で十分だ。

 バリバリに今から受験戦争に参戦する必要はないが、その準備位は、つまり、授業の内容は頭に入れておく必要がある。


 それとバイト――これは必須ではないが、先立つものがあって困ることはない。というか、友達と出かける予定なんて存在しない以上、毎日することが全くないのだ。

「――夏休みまであと少しだが、お前ら忘れるなよ。休みが明けたら文化祭、そしてテストだ」

 帰りのホームルームで担任が言う。

 誰の耳にも届いているが、誰もまだ本気にしてはいない。

 勿論俺も例外ではない。

 ホームルームなんてより身近な、つまり明日何が必要で、提出物の期限がいつで、という部分だけ分かっていればいい。小学生の頃のような誰それが悪いだのなんだのかんだの並べ立てて魔女裁判するのは論外として、事務連絡以外にも興味はない――俺以外の全員と同様に。


 そのホームルームが終わって数分後には、俺は随分日が伸びて、まだ昼間と変わらないような空の下でバスを待っていた。

「……」

 スマートフォンを見ても新しい情報は何もない。

 指はメールを開き、「琉子先輩」を開くが、映画の日の夜、その日のお礼を交わし合ったのを最後に、先輩とのやり取りは途絶えている。

 いや別に途絶えさせておく必要もない。俺から誘ってもいいのだ。

 だが何を?どうやって?その方法は一切分からなくて、誰に聞いて何を調べればいいのかもわからない。そもそも信頼して聞くことのできる相手などいるのだろうか。

 到着したバスに揺られながら、俺はスマートフォンの画面を何も操作せずにじっと眺めている。


 From:琉子先輩

 Title:re:

 今日はありがとう!

 また何かあったらよろしく!!


 そのやり取りから更新されることはない。

 何度か試みて、しかし出来ない。

 何を言ったらいい?何を送ればいい?どういう提案ができる?何を伝えればいい?

 情けない話――何一つ分からなくて、心のどこかでまた誘ってもらう事を望んでいる。


「次は川見丸橋駅前、川見丸橋駅前」

 そんな事を考えているうちにバスはロータリーに滑り込む。

 多くのバスの終点となっている駅前のバスロータリーだが、この路線はここでは止まらず、家の最寄りの停留所まで行くことができる。

 降りていく他の乗客を躱しながらぼんやりと外の景色に目をやる。


「……お!?」

 駅に向かう人々、駅から出てくる人々、駅ビルに向かう人々、バスから降りてくる人々、バスに乗る人々。

 大勢の人間が行きかっている中に、その姿はあった。

「先輩だ」

 ロータリーに停まっているバスに乗り込む列の中に、今までどう連絡しようかと思いあぐねていた相手の姿があった。

 東丸橋総合病院行き――先輩たちを乗せたバスの行き先表示は、その名の通り丸橋川を渡った町の東側に向かう路線だ。

 ちらりと時計を見る。社会人ならまだ働いているか帰宅ラッシュ、学生なら暇だとしてもおかしくはない時間帯だが、最初に会った時のやり取りから先輩は学生ではないと思われる。


「っと」

 そこでバスが動き出す。向こうではなくこちらが。

 揺れに持っていかれそうになるのをつり革を掴んで踏ん張り、車窓の向こうに消えていく東丸橋総合病院行きのバスを見る。車体横に表示されている主な停留所はどれも町の中でも人のいない地域だ。

 その行き先が示す通り、町中の年寄りを乗せて病院に連れていくための路線――誰かがそんな事を言っていたのを思い出す。つまりどこか仕事に行くという訳でもなさそうだ。

 本当に、何をしている人なのだろうか。


「うん?」

 バスが見えなくなるのと、スマートフォンが震えるのは同時だった。


 From:母

 Title:緊急

 帰りに玉ねぎ買って来て!

 3個ぐらい入った袋があるはず


 緊急ミッションの発生により、先輩の事はそれきりになった。

「メールしたじゃん!」とか何とか色々言われてから再度買いに行く羽目になるので、この緊急事態を軽視はできない。

 一個前の停留所で降りてスーパーに寄り、その前に置いてあるバイト情報誌を貰って帰ろう。了解した旨のメールを送りながら、頭の中はそちらに切り替わっている。

 大丈夫だと思うが財布の中身を一応確認。玉ねぎ一袋ぐらいは買えそうだが、余裕があると言えるのとは縁遠い状態だった。

 やはりバイトだ。先立つものは必要だ。

 特に何か用事が無いにしても、いつ先輩と――。


「あ……」

 そこで不意に気が付く。

 また先輩とどこかに出かけることを、ナチュラルに考えている己を知る。

 そこまでして、でも適当なメール一本送ることができない。もし俺が平安貴族なら、百人一首に載るような一句を詠んでいるところだ。


「次は稲荷前、稲荷前。地域密着で半世紀。不動産売買ならお任せの朝田不動産へは、こちらが便利です」

 降りるべき停留所のアナウンスが聞こえてボタンを押す。

 出来ない事を今悩んでも仕方がない。玉ねぎ買って帰る間に何か思いつくだろう――そんな風に考えを打ち切りながら。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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